ティーチングレター

御翼の陰で -後編-

TEXT:テリー・メイソン(BFP国際開発副部長)

前編では、聖書で語られている鳥の比喩から神の知恵を学びました。後編では、ユダヤ人が鳥の翼に例えた「神の戒め」が、どのような役割を果たしているか学んでまいりましょう。

Jeannette van der Merwe/Bridgesforpeace.com

詩篇105篇39節は、荒野における神の守りと備えを物語っています。「主は、雲を広げて仕切りの幕とし、夜には火を与えて照らされた」。だからこそ、困難な状況にあってもイスラエルの民は神にあって喜ぶことができたのです。

ラビのロード・ジョナサン・サックス氏は仮庵の祭りについて思い巡らし、次のように言いました。「私にとってなつめやしの葉で屋根をふいた仮庵は信仰の象徴でした。これほど壊れやすく、風雨に対して無防備な仮の住まいはありません。しかし、神の臨在の御翼がその周りを覆っているという事実が、何よりも人々を支えたのです。ユダヤ人の信仰はただの盲信とは違います。人生は危険に満ちていることを知りながらそのままで受け入れ、人間が全く不安定なものであることを認識しながら喜び、仮庵の中で賛美したのです。これこそが私にとっては信仰です」。私たちもまた、いつも神の助けと支えを経験しているがゆえに、神の御翼の陰で喜ぶことができるのです。

ダビデが荒野で過ごした時期を振り返りつつ書いた詩篇63篇に、このような信仰を見ることができます。「あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います(7節)」

詩篇にはこの他にも神の配慮と守りの翼の下に逃れるという比喩が何度も出てきます。

母鳥がひなを翼で覆うように、主は私たちを覆われます。

「私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください(詩17:8)」

「神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます(詩36:7)」

「神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます(詩57:1)」

「私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです。セラ(詩61:4)」

「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。…主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである(詩91:1、4)」

ユダヤ人の祈祷書(シドゥール)にはイスラエル国家に関する祈りがたくさん含まれています。これは、1948年に現代イスラエルが誕生して間もなく典礼に加えられました。そこで取り上げられているのは、神の御翼の下に安全を見いだすという、詩篇に広くゆきわたっているテーマです。「アビーヌ シャバシャマイム―私たちの天の父、イスラエルの岩であり、あがない主よ、あなたの最終的なあがないの、最初の花飾りであるイスラエル国家を祝福してください。あなたの恵みの御翼の下にイスラエルをかくまい、あなたの平安の天幕で覆ってください」

クリス・デメトリオ牧師から、納屋の火事で焼け死んだめんどりの実話を聞いたことがあります。そのめんどりは、いつも座っていた巣の上で焼け焦げた姿で発見されました。ところが、その下に生き延びたひな鳥がいたのです。めんどりには翼がありますから、飛んで逃げ去ることもできたでしょう。しかし、めんどりはじっと動かず、自分の命を犠牲にしてひな鳥を守ったのです。これは、イエス・キリストが詩篇91篇4節を引用しながら語ったご自分の姿と酷似しています。「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった(ルカ13:34)」。イエス・キリストはご自分の前に置かれた希望のゆえに(ヘブル12:2)、そこにとどまり続けました。このことを思い起こさせる古い讃美歌があります。

イエス・キリストは何万人もの天使を呼び寄せて
この世を滅ぼして、自由になることができた
しかし、イエス・キリストはあなたや私のために一人で死なれた

私たちクリスチャンは、父なる神の御心を忠実に成就したイエス・キリストのゆえに、神の御翼の下に逃れることができるようになったのです。

御翼に対するユダヤ人の理解

ユダヤ人の注解書『ミドラッシュ』は、神の命令(生活上の戒め)を鳥の翼になぞらえ、その翼によって私たちは地上から離れ、神の御許に近付くことができると語ります。多くの人は、自由を制限する戒めは重荷であり、人生を耐え難いものにすると考えているようです。しかし、戒めの背後にある理由と、戒めを守ることによって受ける恩恵を本当に理解するなら、戒めを心から感謝し、戒めを用いて神の御許に近付くことができるようになるのです。詩篇119篇はこの真理を繰り返し強調しています。

神の戒めを守ることで、私たちは神の御許に近づきます。

創造にまつわる興味深いお話があります。世の初めに、繊細で小さな鳩が神の御許に来て不満を漏らしました。「なぜ私はこんなに小さくて弱いのですか。私には自分を守る牙も爪もありません。白いのですぐに見つかって他の獣の餌食になってしまいます。足も小さく、追っ手を振り切ることができません。こんなふうにあなたが私をつくったのは、本当に不公平です」

鳩の嘆願を聞いた神は「埋め合わせをしてあげよう」と、鳩の体に翼を付けました。しかし、それからしばらくして鳩はまたやって来て不満を言いました。「あなたが『埋め合わせ』をしてくださる前でさえ苦労していたのに、今ではこんなに大きくて重い翼が私の背中にくっ付いています。これまでだって全力を尽くしても逃げるのが大変でしたが、こんな余分な物がくっ付いていては、大変過ぎます!」

神はほほ笑んで小さな鳩を御そばに引き寄せ、翼は重荷ではなく飛ぶために使うものであることを忍耐強く教えました。「わが子よ、わたしはあなたに翼を与えました。これから先はあなた次第です。もし翼を使って空を飛ぶなら、翼は決してあなたの重荷とはなりません。あなたは地上のどんな生物よりもずっと高い空の上まで上ることができ、夢にも思わなかった天の上にまで上ることができるのです」。鳩は素早くこのことを学び、間もなく雲の上を飛びかけるようになりました。

実際、神の戒めによって私たちの魂は飛べるようになるのです。戒めによって私たちはこの世で神との関係を築き上げ、その関係を守り、継続することができます。戒めの一つ一つが、どのようにして神の臨在に対する感覚を鈍らせるものを控え、この世で神の実在を示していくべきかを教えてくれます。

トーラー(モーセ五書)や命令(生活に対する神の戒め)は私たちを地上の束縛から引き上げ、神に近付かせる翼となるのです。ユダヤの言い伝えでは、私たちの慣習(従順)を向上させるもう一つの「翼」があります。それは神への愛とおそれです。私たちの霊的生活にとって重要な部分は、神と神のみことばです。そして神への愛とおそれによって、私たちは神の御そばへと舞い上がることができるのです。

避け所なる神の御翼

聖書に登場するルツは、私たちの模範と言えるでしょう。ルツが姑のナオミに付いてイスラエルに来て、ナオミの民を自分の民とし、ナオミの神を自分の神とする決断をした時、ボアズは「主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように(ルツ2:12)」と、ルツを祝福しました。

私たちは毎日、鳥やその美しい翼など神の創造物に取り囲まれています。鳥を見ることによって、私たちは鳥が象徴しているみことばの真理の数々を思い起こすことができるでしょう。皆さんが思い起こすのは、ソロモンの富に対する警告でしょうか(箴23:4-5)、神の戒めを守る喜びと祝福でしょうか、神の御翼の保護と守りの中でただ休むことでしょうか。いずれにせよ、日常の中で空の鳥に目を向け、そこに表されている主の愛に触れましょう。

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