ティーチングレター

荒野にて -後編-

TEXT:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

先月は荒野で行われた人口調査から、神が個人と国家全体の両方を大切に思っておられることを学びました。今月は、荒野の宿営図に示された、神の深い知恵を学んでいきます。

Ruk7/wikipedia.org

部族の頭たち

聖書に出てくる名前の素晴らしい点は、そのほとんどに意味があり、多くの場合、神をたたえる名前だということです。

民数記1章5〜15節の人口調査リストで最初に登場する名前は、ルベン族のエリツルです。その意味は「守護者なる神」です。最後はナフタリ族のエナンで、その意味は「目」です。

二人の名前から、申命記32章10節「(主は)ご自分の(目の)ひとみのように、これを守られた」という聖句が思い浮かびます。

部族の頭の名前とその意味をもう少し見ていきましょう。

 ●エリツル…守護者なる神
 ●シェルミエル…完成させてくださる神
 ●ネタヌエル…神の賜物
 ●エリアブ…父なる神
 ●エリシャマ…私の神はそこにおられる
 ●アビダン…裁きの父
 ●アヒエゼル…援助する兄弟
 ●エルヤサフ…主が増し加える
 ●アヒラ…不正な兄弟/羊飼いの兄弟

夕食時の宿営を想像してみてください。「守護者なる神、帰ってきなさい」「神の賜物、夕飯の時間ですよ」と、宿営中で母親たちが子どもたちを呼んでいます。その声は、神へのにぎやかな賛美となります。宿営のすべてが、神を思い起こさせたのです。宿営の中央には民を引き寄せる神の幕屋があり、夜には火の柱、昼には雲の柱があって、神の臨在があふれていました。

部族の詳細な配置

民数記2〜3章では、宿営の配置が詳細に説明されています。会見の天幕を中心にして三方にレビの氏族が、残りの方角にモーセとアロンの氏族が配置されました。そして各祭司の氏族と指導者たちの背後には、おのおのの旗を持ったイスラエルの部族が三部族ごとに宿営していました。

会見の天幕に面した東側は一番重要だと考えられていました。ここに指導者モーセとアロン、そしてレアの息子であるユダ、イッサカル、ゼブルンの三部族が宿営していました。

南側には、レビ部族のケハテ族がレアの二人の息子(長男ルベンとシメオン)、そしてレアの女奴隷ジルパの子ガドの部族を従えて宿営していました。

西側には、レビ部族のゲルション族がラケルの子孫であるエフライムとマナセ(ヨセフの息子たち)とベニヤミンの部族を従えて宿営していました。

北側には、レビ部族のメラリ族がラケルの女奴隷ビルハの子ダン、ナフタリと、レアの女奴隷ジルパの子アシェルの部族を従えて宿営していました。

何と細部に注意が払われていたことでしょう。部族をそれぞれの母親に従って配置したことは、神にとって女性が大切な存在であることを示しています。今日のユダヤ社会でも部族は父親の家系で決まりますが、イスラエル人かどうかは母親の家系で決まります。

モーセとアロンは天幕の正面に宿営し、いつも聖所を見守っていました。二人は指導者なので、信仰の問題だけでなく人間関係や律法、日常生活の問題についても導くことを期待されていました。二人が近くにいたおかげで、神に献身して生きるその姿を、人々は毎日見ることができました。

すべての中心

輝かしい神の臨在の幕屋を中心とした光景は、素晴らしかったことでしょう。どの部族であっても、中心には神がおられ、常に神の臨在がありました。誰もが共同体に囲まれ、家族や部族に責任を果たしつつ、民と神に完全につながっていたのです。昼は雲の柱、夜は火の柱として現れる神の臨在が動くまでは、宿営は移動しませんでした。食物としてのマナ、擦り切れない衣服、民を導く指導者たち、調和のある社会をつくるための律法など、必要はすべてイスラエルの神が備えておられたのです。

反逆

ついにイスラエルの民が約束の地を前にした時、12人の斥候が偵察に送り出され、矛盾した報告を持ち帰ってきました。地は素晴らしかったけれども、先住民がいたというのです。恐れに圧倒された民は、神には敵から解放する御力があることを信じず、結果として荒野を40年間さまよいました。しかし、神は試練の真中にいる民の必要を満たされました。「……あなたの神、主は、この四十年の間あなたとともにおられ、あなたは、何一つ欠けたものはなかった(申2:7)」

今日の社会は、神の家と臨在を中心として個人、家族、部族、国家が互いに関わり合うという神の計画からほど遠いものとなっています。共同体の必要よりも個人的な願望が優先され、少数の必要のために大多数の安全が脅かされる場合さえあります。

私たちは再び、真の中心であるイスラエルの神を中心に据える必要があるのです。神は、私たちを共同体や家族そして国家の中に置いてくださいました。人は、一人で生きているのではありません。自分の人生や家族、共同体に対して神が特別な召しをもっておられることを認め、神が自分の上に掲げられた旗の下に立つ必要があるのです。

イスラエルの荒野に対する神のご計画

イスラエルの地は砂漠や荒野のある半乾燥地帯です。そのため毎年立ち往生したり、不幸な結末を迎えたりするハイカーが後を絶ちません。夏にはヨルダン渓谷の気温は40℃以上まで達します。私は夏の間はどこにも出掛けないようにしていますが、夫はガイドなので一番暑い時でもツアーに出掛けていきます。ツアー客には水をたくさん飲み、できるだけ日陰に入り、帽子をかぶるように注意していますが、それでも過酷です。しかし、みことばには荒れ果てた場所にも神のご計画があると書かれています。

イザヤ書で神はユダヤ人の帰還について語りました。 「……わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。わたしは、北に向かって『引き渡せ』と言い、南に向かって『引き止めるな』と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ(イザ43:5-6)」。私たちはこのみことばが成就する時代に生きているのです。私がユダヤ人の帰還という奇跡について語ると、「もしユダヤ人が全員イスラエルに帰ってきたら、住む場所があるでしょうか」とよく尋ねられます。イザヤ書43章の後半には、荒野をよみがえらせる神のご計画が書かれています。「……確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける(イザ43:19)」

イスラエルの初代首相、ダヴィッド・ベン=グリオンは荒野への入植をビジョンに掲げていました。それが今起こっているのです。ベエル・シェバは急激に成長しています。淡水化工場の出現によってイスラエルは海水から飲料水をつくっているのです!この工場は需要の80%の水を供給しています。また、自国で開発した「点滴灌漑(かんがい)システム」を使って砂漠や荒野で多くの穀物を栽培しているのです。

kavram / shutterstock.com

砂漠で野の花が育っている場所もあります。イザヤはこの日を待ち望んでいました。「荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。……荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ(イザ35:1-2、6)」


荒野で働かれる神

要約すると、神はご自分の民に詳細な計画をもっておられるということです。それに応答するなら秩序、祝福、備え、神の臨在が与えられます。神は良いお方であって、ご自分の民を祝福したいと願っておられるのです。私たちが応答せず自分勝手な道を行ったとしても、神はそこにおられ、悔い改めるよう招かれます。神は困難な状況の只中で働いてくださるのです。イスラエルの子らが荒野をさまよっていた間、神がその必要を絶えず備えられたことを思い出してください!神は乾いた不毛の場所を実り多い場所へと変えることができます。もしあなたが「荒れ果てた地」を歩いているなら、神を信頼しましょう。神はご自分に頼る者を決して見捨てることはありません。

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