ティーチングレター

祝福 -後編-

レベッカ・J・プリマー/BFP国際会長(CEO)

西壁で祈る人々 (C)Israelimages.com/Hanan Isachar

前号で、私たちは言葉によって人々を祝福したり呪うことができるということ、また、ユダヤ教ではすべてのことにおいて、祝福の祈りと神への賛美があることを学びました。

今号では、神は誰を祝福されるのか、また、私たちが神の祝福の中を歩むためにはどのような選択をして生きるべきなのかを再確認してまいりましょう。

ユダヤ人の葬儀ではカディッシュと呼ばれる美しい祈りが唱えられます。この祈りはしばしば悲しむ者の祈りと呼ばれます。興味深いことにこの祈りは、悲しみや亡くなった人に焦点を当てるのではなく、神に焦点を当てています。

神が御心のままに創造された世界で、その偉大な御名があがめられ、聖別されますように。
神がご自身の御国を、あなたの生涯とあなたの時代、そしてイスラエル全家の命のあるうちに速やかに打ち立ててくださいますように。
あなた方はアーメンと言いなさい。
(会衆・アーメン、神の偉大な御名は永遠から永遠にわたりほめたたえられますように)
神の偉大な御名は永遠から永遠にわたりほめたたえられますように。
祝福と賛美、栄光と賞賛、高揚と光栄、崇拝と称賛が聖なる方の御名にあるように。
神はほむべきかな。
(会衆・神はほむべきかな)
世界中でかつて語られたすべての祝福や賛美、称賛や慰めを超えて。
(会衆・アーメン)
天からの豊かな平和と命が、私たちと全イスラエルの上にありますように。
(会衆・アーメン)
いと高き所で平和をつくられる神が、私たちと全イスラエルに平和を与えてくださいますように。
(会衆・アーメン)

ユダヤ文化では、亡くなった人を呼ぶとき、故人の名が祝福され続けることを願って、名前の後に「祝福された記憶」という言葉を付けます。2007年 6月2日に私の父デイビッド・アレン・ルイスが亡くなり、「祝福された記憶のルイス博士」となりました。父の葬儀では多くの人々が、父から受けた祝福について語りました。届けられた多くの花束、電子メール、カード、手紙は父の人生がもたらした祝福の印でした。妹と私は、母、子どもたち、孫たちのために記念誌を用意しました。そこには祝福された父の生涯の物語がつづられています。父は私たちの許を去り、永遠の報いを楽しみながら、なおも私たちを祝福し続けているのです。

祭司の祝福

神殿時代、祭司たちは朝ごとに祝祷を捧げました。ニューヨーク生まれのラビ、アブラハム・チルは、自著『ミズボット』の中で次のように書いていま す。

祭司たちは台に登り、伝統的に定められたやり方で頭の上に両手を上げ、指を広げます。(テレビの『スター・トレック』という番組で、ミスター・スポックが手を上げてこのポーズをとりながら、「長寿と祝福を」と言いました。興味深いことに彼はユダヤ人で、そのポーズは祭司の祝福を脚色したものでした)

大祭司は神殿の中で神の御名(ヨッド、ヘイ、ヴァヴ、ヘイ)を構成するテトラグラマトン(神聖四文字)を発音しましたが、神殿の外では神の御名を発音することは禁じられていました。代わりに「アドナイ」という言葉が使われています。

今日でもユダヤ人は、シナゴーグの礼拝や家族の中でこの祝祷を唱えますが、神の御名(ヨッド、ヘイ、ヴァヴ、ヘイ)は全く発音しません。この聖なる神の御名を「ヤハウェ」とか「ジェホバ」と発音するクリスチャンはたくさんいますが、ユダヤ人はこれに神経を使います。ユダヤ人は神に対して「アドナイ(主)」とか「ハシェム(御名)」という言葉を使うからです。神聖四文字は長い間発音されなかったので、正確にどう発音するか今は分からないようです。

神は誰を祝福されるのか

聖書には、人間の選択いかんによって、神の祝福が変わると書かれています。詩篇115篇13節には、「主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。」と書かれています。ここで「恐れる」と訳されている言葉は、恐れ、恐怖、畏れ、恐ろしいもの(恐れを起こさせるもの)、尊敬、畏敬、敬虔を表す「イレー」(ヨッド、レッシュ、アレフ)という言葉が使われています。

今日では「友達になりましょう」という姿勢で、人々は気楽に神に近付きます。もちろん神は私たちと親しい関係を結びたいと願っておられます。しかし同時に、神は人間とはかけ離れた存在です。私たちはいつも、神があがめられるべきお方、恐れ多い全能の創造主であることを忘れてはならないのです。私たちが神を恐れているかどうかは行動に表れます。イザヤ書66章2節には、神はご自分の「ことばにおののく者」に好意を示してくださると書かれています。

また、詩篇41篇1節には、「貧しい者をかえりみる人はさいわいである。主はそのような人を悩みの日に救い出される。」(口語訳)と書かれています。 BFPを通して私たちは、毎日貧しい人々に仕え、この主の祝福を宣言しています。自分は善意あるクリスチャンだと考えながら、路傍の物乞いに顔を背けて、この人たちは自分で不幸を招いたのではないかと考える人は少なくありません。

「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」(詩1:1-2)

みことばを愛し、時間を割いて読み、黙想し、実践する人を神は祝福されるのです。

「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。……それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」(詩133:1、3)

私たちが一つになって住むとき、主の祝福があります。逆に私たちが反目し合っているとき、人生に祝福が与えられることは期待できません。神の祝福を手にすることはできますが、それは私たちの選択に掛かっています。もし神を恐れ、神の命令に従い、祈りとみことばによって神と共に時間を過ごし、神と人とを愛するなら、神は祝福すると約束しておられるのです。

イスラエルを祝福する

神は最初のヘブル人アブラハムに、「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。」(創世12:3)と言われました。この約束は今も有効です。イスラエルを祝福する国や人は、霊的にも物質的にも祝福を受けています。夫と私がBFPの働きのために初めて支援者を求めたとき、ある一家が援助してくれるようになりました。その一家には子どもが数人おり、余り豊かではありませんでしたが、この約束を信じて毎月援助することにしてくれたのです。一年後、この一家から「以前は限られた予算で何とか生活していたけれど、イスラエルに捧げ始めてから神が驚くほど経済的に祝福してくださった」と書かれた手紙が届きました。私たちはこのような証しを数限りなく聞いています。

スープキッチンでの食料支援

神は本当に、アブラハムの子孫を祝福する者を祝福してくださるのです。詩篇122篇6節には、「エルサレムの平和のために祈れ。『おまえを愛する人々が栄えるように。』」と書かれています。バラムの物語を覚えているでしょうか。預言者バラムはイスラエルを呪おうとしましたが、神はイスラエルを祝福すること以外はさせませんでした。実際にバラムは、「あなたを祝福する者は祝福され、あなたをのろう者はのろわれる。」(民数24:9b)と言って、アブラハムに対する神の約束を宣言したのです。

また、申命記8章18節にはこうあります。

「あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである。」

この聖句について神学者マシュー・ヘンリーは以下のように解説しています。「神はあなたを富ませる力をもっています。 それは、あなたを満足させ、あなたに安楽を与えるためではありません。神の賜物はすべて神の契約を遂行するためにあるのです」

神の契約を遂行するためにイスラエルを祝福しましょう。そうすれば皆様も神の賜物としてこの祝福を経験するのです。

BFPの物資支援

主をほめたたえる

聖書は「主をほめたたえよ」という勧めでいっぱいです。主を愛する者の生活は全能の神への賛美、礼拝、感謝で満ちています。私は最近よく歌われるワーシップミュージックにとても祝福されています。今日、多くのクリスチャン・ミュージシャンが、神に対する賛美と称賛を捧げる歌をつくっています。そのような歌は神への祈りです。そして詩篇はそのような歌で満ちています。

「私の神、王よ。私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなく、ほめたたえます。日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。……主よ。あなたの造られたすべてのものは、あなたに感謝し、あなたの聖徒はあなたをほめたたえます。彼らはあなたの王国の栄光を告げ、あなたの大能のわざを、語るでしょう。」(詩145:1-3、10、11)

真理の実践

私たちは自分の言葉によって、愛する者を祝福するか呪うかを選択しています。言葉を使って人々の人生を祝福することもできれば、十分に考えもせず愚かに人を見下したり批判したりして祝福を差し止めることもできます。私たちは今、選択します。うやうやしく神を恐れる人生を送るのか、口先だけで神に仕える人生を送るのかを選択します。形式的に礼拝するのか、心から礼拝するのかを選択します。イスラエルを祝福するのか、呪うのかを選択します。

今、祝福と豊かな人生を選びましょう。神の道を選ぶのに遅すぎることはありません。例え過去に行った間違った選択のために苦しんでいるとしても、今それを好転させることができるのです。神はやり直しをさせてくださるお方です。今、神の約束の道を選び、神の祝福の中を歩き始めましょう。

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