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プロジェクトレポート

大坪幸子のウクライナ&ポーランド・リポート2 孤独な心を愛によって包む

大坪幸子/フリーライター(元BFPイスラエルスタッフ)

5月上旬、私は、BFPが企画したポーランド&ウクライナ視察ツアーに参加する祝福にあずかりました。今回は、ウクライナ西部にある小さな町、イヴァノフランコスを訪れた際に見た「希望の糧プロジェクト」の姿を、歴史に翻弄されたユダヤ人の姿と共にご紹介したいと思います。

イヴァノフランコス――ユダヤ人共同体の歴史

現在のウクライナとベラルーシは、帝政ロシア時代後期に「ユダヤ人居住区」と定められ、国内のほとんどのユダヤ人が、この地域に強制移住させられました。その数、約500万人。イヴァノフランコスは、その中にある小さな町の一つです。1939年、第二次世界大戦が勃発すると、ここはナチス・ドイツに占領されました。人口8万2千人(内5万人がユダヤ人)の町で、生き残ったユダヤ人は、わずかに150人でした。

その後、ホロコーストを生き延びたユダヤ人を待っていたのは、旧ソ連統治による共産政権の迫害……。やがてそれも去り、91年、晴れてウクライナは独立。ユダヤ人にイスラエル帰還の自由が訪れましたが、苦労に苦労を重ねた彼らを、次に捕らえたのは、考えられないような貧困でした。

現在、イヴァノフランコスでは、ユダヤ人の70%が帰還を果たし、残っているのは約800人。そのほとんどが高齢者、ホロコースト生存者です。人生のほぼすべてを迫害に耐えてきた人々が、最後に飢えと病で孤独に死んでいく……。しかし、主はこれを黙って見過ごされませんでした。

『希望の糧』の誕生

BFPの「希望の糧プロジェクト」は、東欧のクリスチャン団体『ヘヴラ(ヘブライ語で“友”)』と協力して生まれました。

『へヴラ』のスタッフ

ヘヴラの設立者・スタニスラフ・ゴヴェル師は、目の前にアウシュヴィッツ強制収容所の跡地を見ながら育ち、いつも心にユダヤ人への重荷を抱いていたクリスチャンです。

共産政権末期のウクライナを訪れて、ホロコースト生存者たちを取り巻く過酷な状況を知った彼は絶句しました。「私の救い主をこの世にもたらしてくれたユダヤ人を、こんなにひどい貧困の中に、どうしてこれ以上置き去りにできるだろう!」激しく心を揺さぶられた彼は、イヴァノフランコスのラビと出会ったとき、こう語られました。

「私の民を、どうか助けてください。」ユダヤ人が、クリスチャンに助けを求めるなんて……!彼は答えました。「アブラハム、イサク、ヤコブの神に祈ってください。そして、私たちはこのお方がこの手に与えてくださるもの、すべてをあなた方に差し上げます!」

こうして始まった『ヘヴラ』は、現在、旧ソ連の各地に60カ所ものスープ・キッチン(無償で食事を提供する施設)を持つ団体へと成長しました。スタニスラフ師は言います。「イエスは、『あなたがたは、わたしが空腹であったとき、祈ってくれた』とは言いませんでした。『わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませてくれた』と言われたのです。」

「あなた方は、どの神を信じているのですか?」と尋ねるユダヤ人に、彼はよくこう答えます。「イスラエルの神―アブラハム、イサク、ヤコブの神――、私たちにメシア・イエスを送ってくださった神です。このお方が、私たちのしていること、すべての理由です。」

会う人すべてが別れ際に感謝と祝福を捧げてくれるとき、スタニスラフ師もスタッフも皆こう思うそうです。彼らの感謝と祝福を真に受けるべきなのは、彼らの顔を知らずに捧げてくれている、世界中の支援者なのだ、と。「私たちは、彼らの祝福をいつも、心の中で祈りに託して皆様にお返ししています。どうか彼らの感謝と祝福を受け取ってください。」と彼らは言います。

心いっぱいの愛情を込めて……

BFPの「希望の糧プロジェクト」では、ウクライナにある五つのスープ・キッチンの資金を全面的に提供しています。誰が何度来ても自由です。ほとんどの人にとって、ここで食べるのが唯一の食事らしい食事です。

私たちBFP一行がスープ・キッチンを訪れたこの日、ラビと共に大勢のユダヤ人が、庭に咲くライラックを花束にして私たちを迎えてくれました。

そして、その日のランチと同じメニューを私たちも頂くことができました。こぢんまりとしたレストランのような室内、造花とランチョンマットで小ぎれいに飾られた食卓、食器はバラバラだけど、サラダとスープ付きのちゃんとした食事。

決して施しを受けているような気持ちにさせない、また来たい、いつまでも座っていたい……そんな気持ちにさせられる場所です。

ここで食事をしたあるユダヤ人が言ったそうです。「あなた方のしていることに、私は驚きません。」しばらく口をつぐんだ後、彼はこう続けました。「でも、あなた方の心を動かして、これらのことをさせている力に、私は敬服します。」この、スープ・キッチンの一つ一つの配慮に込められた愛の深さに、熱い感動を覚えました。

スープ・キッチン以外にも、パスタや油、砂糖、缶詰、ジュースなどを詰め合わせた食料バッグが、940人に配られています。過越や仮庵、プリムなどの大切な祭りには、コミュニティー・センターの要望に応えて、オレンジなど、ちょっとしたプレゼントも用意します。薬の無償提供も行っていて、二つの薬局と提携し、費用は全額へヴラが決済します。高齢者だけでなく、母子家庭も助けています。

ウクライナの冬は過酷で、凍死する人は毎年後を絶ちません。「希望の糧」では、ヒーターや毛布など、冬の生命線ともいえる品々も援助しています。

私たちがこの日出会ったある女性は、自分の境遇を明かすや、ポロポロと涙をこぼし始めました。彼女は、ホロコーストで親類をすべて亡くし、両親も幼いころに亡くなってしまいました。そして唯一の身内だった兄が、前の週に亡くなってしまったのです。本当に独りぼっちになってしまった……彼女の肩を抱いて、私たちも一緒に泣きました。ひとしきり泣くと、彼女に再び笑顔が戻ってきました。

主が、「あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」(イザヤ46:4)というみことばを実行するために、ご自分の民の中でも最も貧しく、最も弱い人たちの命を私たちの手に委ねてくださるとは、何と恐れ多いことでしょう!

彼らが、自分の命はもはや無意味で、誰からも必要とされず、愛されず、神にも忘れられていると思いながら息を引き取ることが決してないように。自分の命を慈しんでくれる人に見守られながら人生最後の時を迎えるなら、彼らはそこに、私たちを動かしているキリストの愛を見いださないでしょうか。

希望の糧プロジェクト

約110円で、ユダヤ人の方に、温かい食事が提供できます(一食分)。
食事のほか、食料、毛布、薬、ヒーターなど、BFPイスラエルさながらの実際的支援を、ウクライナ・ポーランドで行っています。
皆様のご支援をどうぞよろしくお願いいたします!!(金額―任意)

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