チャーリーダ・スプリンクル/BFP出版局、副編集長
毎週金曜日の夜、私は近所に住むユダヤ人の友人と一緒に、安息日の食事を楽しみます。私にとって、一週間で最も意義ある時間です。まだアメリカにいたとき、生まれて初めて安息日の食事を体験し、その食事の一つひとつに象徴されている聖書的意味を教えられました。
たとえば、二本のろうそくは、安息日を覚えて(出エジ20:8)守るように(申命5:12)との神の命令を象徴しています。ぶどう酒は安息日の喜びを、二つのハラー(安息日用のパン)は、荒野で安息日の前に降った二倍のマナを思い出させるものです(出エジ16:22)。テーブルは神殿の祭壇に置かれた聖なる食卓を象徴し、父親は家族の祭司としてその食事を司るわけです。
安息日の礼拝は、まだ神殿があった時代の礼拝を思い起こさせるものです。紀元70年に神殿が破壊されて以来、彼らには新しい神殿が与えられていません。そのため、安息日の食卓と会堂における礼拝のいずれにも、神殿を思い出させ、生きている間に新しい神殿が与えられるようにとの願いが込められています。
イスラエルに住むようになり、私は神殿の礼拝と安息日の結びつきについて、さらに多くのことを学びました。ろうそくを灯すことは、神殿におけるメノラー(七枝の燭台)の思い出を表わし、ぶどう酒は神殿時代の献酒を思い出させます。ハラーは神殿の聖なる食卓に置かれた12個の供えのパンを表し、妻と子どもたちを祝福することは、古代の祭司たちが聖所において香油をくゆらせた後で、人々を祝福するためにささげた祝福の祈り(民数6:24-26)を象徴しています。そして、食事の前後にささげられる麗しい賛美は、レビ人たちの賛美を反映するものだったのです。
安息日の礼拝はとても麗しいものですが、クリスチャンはどのようにそれを自分たちに当てはめるべきか、戸惑うかもしれません。私はその礼拝を通して、聖書時代の礼拝の仕方について学びました。神が昔の人々にご自身を礼拝する方法を教えられた方法そのままなのです。
パンとぶどう酒は、
キリスト教教会の
聖餐式で用いられ
ている
それは今日の礼拝形式と異なるのでしょうか。クリスチャンが礼拝するメシアは、当時まだ出現していなかったことは言うまでもありませんが、旧約時代の礼拝は神が直接指図された礼拝なのですから、今日の私たちに関連する事柄を、十分にそこから拾い集めることができるはずです。
安息日の礼拝で用いられるパンとぶどう酒は、もちろん教会で行われる主の晩餐、つまり聖餐式で用いられています。それは当時の過越の食事でした。私は安息日の食事で用いられる一つひとつが大きな意味をもっていることを発見しました。その一つが「契約の塩」です。
なぜ「塩」なのでしょうか
安息日の食事で理解できなかったのが、なぜパンに塩を振り掛けるのかということです。パンを取り、神に感謝をささげる直前に、父親は塩を取り、二つのパンの上に振り掛けます。この行為は、神殿におけるすべての供え物に塩が振り掛けられていたことを思い出させるためなのだと教えられました。レビ記2章13節には、次のように記されています。
「……あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。」
ある晩のこと、私は質問しました。「なぜ塩なのですか。塩のもつ意味とは何なのですか?」と。それに対して誰もすぐには返答しませんでした。一週間後、『エルサレム・ポスト』にその話題が掲載されていたので、とても興味深く感じました。私は塩がもつ霊的な重要性を学ぶだけでなく、塩の特性やその歴史を知りたいと思いました。なぜなら、古代の世界においては、今日のように日常的に使用される物質ではなかったことを知っていたからです。塩ははるかに高価なものでした。私たちは聖書の中で用いられている塩の重要性を十分に理解するために、そのことをしっかりと把握しておく必要があります。
塩に関する預言と歴史
私たちは誰でも、塩には味を引き出す作用があることを知っています。ヨブもそれを知っていました。「味のない物は塩がなくて食べられようか。」(ヨブ6:6)。冷蔵庫が発明される以前、塩は最も価値ある保存料でした。塩水は細菌を脱水して繁殖を阻止し、食物の腐敗を防ぐことができます。塩は生肉から血液や湿気を取り除いて乾燥させ、保存します。エジプトにおいては、ミイラをつくる過程の中でも塩が使われました。
それだけではありません。塩は私たちが知らなかった多くの力をもっているのです。塩はパン生地にきめ細かさを与え、塩漬けにされた肉に硬さを与え、チーズや他の食べ物を均質にします。オーブンで焼いたもの、漬物、チーズ、夏用のソーセージなどをつくる過程において、塩がその発酵作用を抑えます。塩はまた発色剤としても用いられ、保存用の肉を美味しく見せることができるのです。そして塩の作用でパンを焼くと、素晴らしい黄金色になります。
もし塩がなければ、私たちの生活は非常に困難なものになっていたことは、容易に想像がつくでしょう。世界中の大海は一千兆トンの50倍の塩を保有していますが、人類全体が必要とする塩の量は、毎年四千万トンに上るというのは驚くべきことです。
今日の世界では塩は十分にあり、しかも安価です。私たちは当然と考えている向きもありますが、これは大きな祝福です。約百年前、アメリカでは塩をめぐる大きな問題がありました。南北戦争において、北軍が南軍への塩の供給を阻止する作戦をとったのです。1865年には1ポンド(454g)の塩が1ドルもしたのです。古代の世界では、塩は稀にしか見られないもので、非常に高価でした。塩をもっていない国は輸入しなければなりません。
また、塩に税金が掛けられるのも普通のことでした。紀元一世紀のユダヤ人歴史家・ヨセフスは、彼の時代には塩に税金が掛けられていたと記録しています。黄金の奪い合いよりも塩の奪い合いの戦争のほうが多かったことをご存知でしょうか。塩の大量生産を導入した産業革命の時代になって初めて、塩をめぐる争いは終わったのです。
聖書が塩を重要視するゆえに、ギリシャ人たちは、塩は天来のものであると考えました。プラトンは塩が、「神々にとって重要な意味合いをもっている」と言いました。中世の時代には、塩をこぼしたら縁起が悪いという迷信まで生まれました。
15世紀の有名なイタリア人画家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『最後の晩餐』の中で、イスカリオテのユダのそばに塩入れの瓶がころがっている様子が描かれているのは興味深いことです。当時のそのような迷信から聖書を解釈していたのでしょうか、それともイエスの時代には、そのような迷信がはびこっていたと言いたかったのでしょうか。ダ・ヴィンチは恐らく、友情という契約が破られてしまったことを象徴するものとして描いたのではないかと思われます。
いる塩は、今日と違い
はるかに高価で貴重な
ものだった
古代において、塩は代償として用いられました。エズラ記4章14節ではこの点に関して、今日ではあまり用いられない表現が使われています。「私たちは、王宮の恩恵を受けておりますから……。」
この「恩恵」と訳された言葉は「扶養」とも訳せる言葉ですが、直訳すれば、「私たちは王宮の塩を食べています」となり、王が直接彼らの給料を準備していたことを意味しています。
彼らの給料が、実際に塩で支払われていたのかもしれません。英語の「サラリー(給料)」という言葉は、塩の配給制度を敷いていたローマ人が使っていたラテン語の「サル(塩)」から取られたものです。奴隷は塩と交換されていました。そのことから、「彼は自分の塩ほどの値打ちもない」という表現さえ生まれたのです。
イエスの時代および第二神殿時代においては、死海から採れる塩をヘロデ王が独占しており、祭司は神殿の儀式のために、その死海の塩を用いていました。
それ以前のエズラの時代には、塩を供給していたのはペルシャの王でした(エズラ7:21-22)。礼拝者には、いけにえのための塩を用意することは要求されていませんでした。
塩は油や薪と共に、神殿側によって用意され、神殿の敷地内にある特別な部屋の中に蓄えられていました。当時は宗教的な行事のために塩を用いていた例もあり、今日でも用いている例があります。
次回は、さらにこの「塩」の意味について掘り下げ、その役割の重要性について学んでまいりましょう。