ホーム知る・学ぶティーチングレターバックナンバー > 弟子であることとヘブル的価値観 -前編-

ティーチングレター

弟子であることとヘブル的価値観 -前編-

シェリル・ハウアー BFPアメリカ支部副局長

主イエスは、イスラエルの地を歩まれましたが、その道のりには「弟子」と呼ばれる随行者が常にいました。

ウェブスター辞典では、弟子のことを、「師の教えを信じる者」と解説しています。この定義によれば、今日の弟子についての理解は、ただ単に、「知的な面での理解者」だけのように見えます。

では、イエスの弟子になるためには、イエスが語られたことを理解するだけでよいのでしょうか。イエスと弟子たちが生きた当時の紀元1世紀にタイムスリップするなら、全く異なった定義を発見するに違いありません。そのことを十分に理解するために、イエスがどのようなお方であったのかを、ユダヤ的視点から学んでまいりましょう。

イエスの生い立ち

イエスはユダヤ人であり、ユダヤ人のおきてと習慣に従順に従い、律法を遵守する家庭で育ちました。イスラエルの地に生き、ヘブライ語を話されました。またアブラハム、イサク、ヤコブの神を土台とする、力強いコミュニティーの中で育まれました。主は、他のユダヤ人の男子と同じく、生後8日目に割礼をお受けになりました。母親マリヤは、当時の習慣に従って、その産着を大切にしまっておき、それに丁寧な刺しゅうを施し、バル・ミツバ(ユダヤ人男子の成人式。12〜16歳くらいで迎える)のときに、プレゼントとしてそれを渡したと思われます。

また主は、誕生から8年間、神に熱心に従う母の姿を通して、主と共に生きる者の模範を学びました。安息日の到来を歓迎するマリヤの祈りの言葉に耳を傾け、父ヨセフが、昔の族長たちの話を繰り返し何度も語るのを、喜びに満ちた笑顔で聞いたと考えられます。6歳になったころには、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)で開かれていた学校に通い始めたことでしょう。

ヘブライ語のアルファベットを
“アレフ・ベート”という

そのころまでには、父から“アレフ・ベート”(ヘブライ語のアルファベット)を学び、たくさんの聖句を暗唱し、当時の習わしに従って、8歳からは父ヨセフのそばで、家業である大工の訓練を受け、毎日の生活も、トーラー(モーセ五書)と、ユダヤの賢者たちの教えによって規律正しく営まれていたと考えられます。聖書の例祭を祝い、エルサレムで祝う祭りには、家族と共に上って行きました。

当時のユダヤ教育制度に従い、13歳で学校を卒業した後は、ベイト・ミドゥラッシュ(宗教学校)にお進みになり、偉大なユダヤ人教師たちのありとあらゆる教えを学ばれ、学者や先生たちと、トーラーに関して議論を戦わせたことでしょう。そして30歳になられたとき、主は、当時のユダヤ人がそうしたように、ミクベ(ユダヤ教の沐浴槽)に赴かれ、そこで、ユダヤ人としてのきよめの儀式を受け、公の働きに入られたのです。

イエスの弟子教育

紀元1世紀――ユダヤ教のラビは、国内を巡って人々を教える巡回教師でした。イエスもまた、当時の典型的なラビの一人として、ご自身と同じ歴史と伝統をもつユダヤ人の中から、弟子となる人々を選ばれました。そして、彼らを傍に置き、生き生きとした交流の中で育成しました。

弟子たちは、すべてのものを後にして主と共に旅をし、主の御業と、それに対する人々の反応を観察しました。彼らは主に愛と忠誠を尽くし、食物を調達し、料理をし、旅の道連れとなり、主を危険からお守りしました。何千という人々が主の癒やしを必要とし、主の御教えに飢え渇く中、主のアシスタントとして働きました。

このような役目を、ヘブライ語では「シムッシュ(奉仕)」と言いますが、その献身の見返りとして、弟子たちはトーラーに関する教えと洞察力を主から与えられました。弟子たちが成功するために、最も重要なことは、主のなさることを真似ることでした。イスラエルの大路や小道が、弟子訓練を受けるための教室となりました。彼らは熱い思いをもって主の御声を聴き、鋭い観察力で主のお人柄を記憶し、教えを自分たちに染み込ませていきました。

彼らは、トーラーの文字通りの読み方や強調点、姿勢など、多くのことを学び取りました。弟子たちは、ただ知的に養われるだけでなく、次第に、主と同じように変えられていくことを目標としていたのです。

冒頭で挙げた「弟子」という言葉の定義では、イエスの弟子たちを十分に理解することはできません。なぜ、現在の認識とこれほどまでに違ってしまったのでしょうか。また、この言葉に含まれたもっと深い意味が、イエスの弟子たちに当てはまるなら、今日の私たちにも当てはまるのではないでしょうか。

新しい戒めを教えるイエス

私たちの価値観とヘブル的価値観

イエスとその弟子たちは、共通の歴史や伝統に根差していただけでなく、宗教的、文化的常識も共有していました。彼らは、その時代と場所に適する礼儀や作法も身に付けていました。言い換えれば、彼らは共通した価値観をもっていたのです。

その価値観とは、唯一で真の神と、何千年にもわたって契約を結んでいた歴史に基づく価値観です。彼らは、神の教えを消化し、ユダヤ人としての解釈に基づいて生活していました。これを「ヘブル的価値観」(あるいはヘブル的思考、世界観)としています。イザヤ、エレミヤ、ダビデ王、その他、聖書に登場する信仰の勇者たちの考え方を採り入れた価値観でもあります。

この価値観の中に織り込まれているのは、聖書に基づく精神世界という、豊かで美しい伝統です。新約聖書は、私たち異邦人が、父祖アブラハムの養子として、すでに迎え入れられていること、アブラハムは養子縁組を通して私たちの父祖でもあることを語っています(ローマ4:16)。

主イエス・キリストを通して、イスラエルの歴史は私たちの歴史となり、主の家族は私たちの家族となり、主の伝統は私たちの伝統となったのです。そのような価値観から、私たちは、子として迎え入れられただけでなく、彼らの救いの概念さえも与えられたのです。

その概念とは、神との個人的な交わりの実現を意味します。また、ユダヤ人が、世代から世代へと大切に受け継いできた聖書を、彼らから受け取ったのです。主イエスは、イスラエルで救い主として現れましたが、そのお働きのゴールは、イスラエルと異邦人――全人類の救いにありました。ですから、彼らユダヤ人の価値観を共有することは、非常に大切なことです。

ヘブル的でなければどうなるのか?

アレキサンダー大王の像

21世紀に住む私たちクリスチャンにとって、ヘブル的価値観は、長年にわたり失われていた遺産です。私たちの価値観は、古代ギリシャに端を発する、“ヘレニズム”と呼ばれる異なった思想によって形作られ、情報として流されてきました。

歴史家によれば、ヘレニズムの時代は、かのアレキサンダー大王の死(紀元前323年)からクレオパトラの死、エジプトがローマ帝国に組み入れられた紀元30年までを指すものとされています。もっと広い意味では、ギリシャ語を話す地方の文化を受け継いだものを指しており、また同時に、ローマ、カルタゴ、インドなど、アレキサンダー大王が征服した地方へ及んだギリシャ文化の影響を指しています。

もっと単純に言うなら、これが「ギリシャ的価値観」であり、1世紀当時のユダヤ人にかなりの影響を与えました。イスラエルの外に離散していたユダヤ人は、さらに深い影響を受けました。

当時のイスラエルでは、ユダヤ人の多くがギリシャ風に着飾り、ギリシャ風の名前をもち、ギリシャの自由な文化を取り入れましたが、ユダヤ教にはほとんど影響はありませんでした。

しかしながら、離散のユダヤ人には、ソクラテスやアリストテレス的な考え方が一つの大きな力となっていました。大きなユダヤ人社会があったアレキサンドリアやエジプトでは、ユダヤ人とギリシャ人は自由に交流し、互いの思想や考えを受け入れ合いました。

やがて、キリスト教が伝えられると、そのような、ギリシャ的影響を強く受けたユダヤ人の中から、救われる人々が起こされていきました。最初、キリスト教は、イエスが始めたユダヤ教の一派として認識されていました。しかし、それから短期間のうちに、異邦人クリスチャンの数が、ユダヤ人信者の数を上回るようになりました。

キリスト教神学を教える最初の学校が、アレキサンドリアで設立されました。この学校の当初の役割は、聖書とギリシャ哲学の調和でした。聖書を文字通り解釈することに重きが置かれなくなったことで、比喩的な解釈が先行するようになり、結果、多くの弊害が出ました。その一つが"反ユダヤ主義"です。

エジプトのアレキサンドリア。
大理石を用いた12段の観客席や
モザイクの床などもあったという
ローマ円形劇場

初代教会における、アブラハム、イサク、ヤコブの神との生き生きとした個人的・社会的な関係が、組織化されたキリスト教教理に取って代わり、3世紀までに、教会のヘレニズム(ギリシャ)化が進み、キリスト教はそのルーツを、イスラエルという土台から切り離しました。それは、クリスチャンとユダヤ人との間に亀裂を生じさせ、以後、その断絶は1700年間も続きました。

私たちの父アブラハムを見よ

マーヴィン・ウィルソン博士は、著書『私たちの父アブラハム』で次のように述べています。「パウロは『異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり……』(エペソ3・6)と述べています。それゆえ、異邦人は、救いを通して新しい歴史を有しており、イスラエルの歴史は今や、異邦人の歴史でもあるのです。信者の大部分が異邦人であったコリントの教会に宛てた手紙の中で、パウロは、古代のイスラエルの人々は、コリント人の霊的祖先であること、『私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。』(Ⅰコリント10:1)と述べています。

だから、初代教会においては、ユダヤ人と異邦人の共通の霊的祖先は、古代イスラエル人であると主張しているのです。すべてのユダヤ人はその先祖の系譜をアブラハムまでたどり、彼を、"自分たちの父"とみなしています。主も、同じように、預言者を通して宣言しておられます。『あなたたちが切り出されてきた元の岩、掘り出された岩穴に目を注げ。あなたたちの父アブラハム……に目を注げ。』(イザヤ51:1-2、新共同訳)」

ユダヤ人の歴史を理解し、その歴史に自分たちを結びつけることは、当時のコリントの異邦人会衆にとって重要であったように、現代の教会にとっても大切なことです。自分たちがこれまで世界を眺め、また聖書を読むのに用いてきたギリシャ的眼鏡を外し、真に聖書的なヘブル的価値観を深めるのに、遅すぎるということは決してありません。むしろ、聖書の著者たちがそれぞれの記事の中に反映した考え方を探り求めるため、当時の彼らの文化を理解することに、一歩を踏み出しましょう。

来月の後編では、私たちがさらに当時の背景を知ることができるように、ヘブル的価値観とギリシャ的価値観が衝突する主な分野を挙げてみることにしましょう。

(次号に続く〉

参考文献

  • Hauer,Cheryl,ChildrenofAbraham,UnitedStates:HebrewHeritagePublications,Inc.,2000
  • Wilson,Marvin,OurFatherAbraham,GrandRapids:WillsonB.EerdmansPublishingCompany,1989
  • Cohen,Abraham,Everyman`sTalmud,NewYork:SchockenBooks,1975
  • Telushkin,RabbiJoseph,JewishLiterary,NewYork:WilliamMorrowandCompany,1991
  • Hertz,Dr.J.H.,ThePentateuchandHaftorahs,HebrewText,
    EnglishTranslationandCommentary,London:SoncinoPress,1996

記事の先頭に戻る

ページトップへ戻る

特定非営利活動法人
B.F.P.Japan (ブリッジス・フォー・ピース)

Tel 03-5969-9656(平日10時~17時)
Fax 03-5969-9657

B.F.P. Global
イスラエル
アメリカ合衆国
カナダ
イギリス&ヨーロッパ
南アフリカ共和国
日本
韓国
ニュージーランド
オーストラリア

Copyright 1996- © Bridges For Peace Japan. All Rights Reserved.