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ネヘミヤの精神をもって -後編-

著:シェリル・ハウアー(BFPアメリカ支部副支部局長)
編:BFP編集部

書物としてのネヘミヤ記(続き)

ヘブライ語の語根には、多くの意味があります。例えば、「トゥシュバー」という単語は、単純には「悔い改め」ですが、実際には二つの意味があります。「〜から背を向ける」、そして「〜に返る・向かう」。このことから、「悔い改め」の真の意味が何なのか、私たちは理解することができます。「罪に背を向け、神に立ち返る」――それが悔い改めの姿勢です。

聖書注解書のほとんどが、ネヘミヤという名の意味を「神の慰め」と定義しています。「ネヘミヤ」という名は、「ナフーム」という語根から来ています。ナフームには、「慰める」「元気づける」「あわれみ」「敵を討つ」「のろいから逃れる」という意味があります。神の器として、ネヘミヤはイスラエルの上に降り掛かるのろいを取り払い、イスラエルを捕らわれの身から解放し、その敵を討ち、エルサレムを神の聖なる都として建て直しました(詳しくはネヘミヤ記参照)。その働きが同胞に励ましと慰めをもたらしたことから、この名にはより多様な、より深い意味が含まれていることが分かります。

先月、ネヘミヤ記の1・2章を通して、ネヘミヤがどのような人物であったかを見てきました。次の第3章では、壁の修復事業が進む中、誰が何をした、という記述が続きます。

ユダヤ人社会のリーダーであった祭司たちが、まず先頭に立って工事に当たった、と記されています。また、個人、家族のそれぞれが、自分の住居がある部分の壁について、責任をもって修復をした、とあります。当時、町を囲むその厚い城壁の中に、住居や部屋が設けられていたからです。それぞれが自分の住む区域の分担を負い、しかも幼い少女たちまでもが携わった、とあります。壁の修復に当たり、ネヘミヤは、班分けをして、この班はここに配置……あの班はこの仕事に……などということはしませんでした。彼は、それぞれが住み、属している場所において、それぞれの仕事を負うようにしたのです。

私たちも、主のために働くとき、自分の居場所で始められます。壁の修復に当たったのは、専門技術を持った石工や大工といった人々ではなく、一般の人々でした。ネヘミヤ記3章31節では、金細工師や商人までもが、壁の修復に参加した、とあります。社会全体が、この事業の一端を担ったのです。

正しい人は内側に輝きを携えている

ところで、「正しい人は、内に聖なる輝きを携えている。彼が行く所すべて、その輝きで満ちている。彼が去ると、その輝きも取り去られる」と、ユダヤ教のラビは教えています。

次のような記述がタルムードにあります。ペルシャの王が、ユダヤ人に「エルサレムに帰還してよい」と命令を出しました。このため、ユダヤ人は何日もかけて用意をし、ついにある日の午後、町を去りました。次の朝、王が目覚め、バルコニーに出てみると、町があまりにも空っぽで、静かで、むしろ嘆きに満ちているように見え、悲しみを覚えました。

「私の金細工人たちはどこへ行ったのだ?」
「彼らは行ってしまいました、陛下。」と召使。
「私の職人たちは?」
「彼らは去っていきました、わが主人よ」
「私の歌い手たちは?」
「彼らもまた、行ってしまいました、陛下。」
「それでは、私の喜びはいったいどこに?」彼はつぶやいた。
「それも去ってしまいました――エルサレムへと」

ペルシャにいたユダヤ人社会のすべての層の人たちが、城壁再建に協力するため、エルサレムへと去りました。ペルシャ王は、彼らと共にあった「輝き」が失われたことを感じました。ペルシャは大きな喪失を味わうこととなりました。

内の敵、外の敵

「さあ、再建に取りかかろう。」(ネヘミヤ2:18)。この大事業がスタートした時点からすでに敵が登場します。「ところが、ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤ、および、アラブ人ゲシェムは、これを聞いて、私たちをあざけり、私たちをさげすんで言った。『おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。』
そこで、私(=ネヘミヤ)は彼らにことばを返して言った。『天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。』」(19-20節)
。イスラエルの再建に反対し、あざける人たちが存在する今日と、あまり変わりない状況です。

再建前のエルサレムでは、
幼い少女までも人身売買され、
人心は荒み切っていた

4章で、ネヘミヤは、これらの敵と直接対峙します。彼らは中傷やあざけりをもって働き手たちに嫌がらせを加えましたが、それでも効果がない場合は、実際に徒党を組んで、壁を破壊しにきました。しかし、ネヘミヤの神に対する揺るぎない信仰が、比類ない武器となり、仲間たちは励まされ、働き手たちの信仰は強められました。あらゆる種類の攻撃に対し、ネヘミヤの対処は常に同じでした。祈りと行動――勝利を与えてくださる神に対する信頼に加え、的確な行動を伴うことによって、力は増し、イスラエル人たちはびくともしませんでした。

ネヘミヤにとってさらに扱いづらかった敵は、恐らく内側にあった問題でしょう。5章で、ネヘミヤは、同胞の一部が、自分たちより弱者の立場にある人々を利用して益を得ていたことを発見します。子どもたちが奴隷として売り飛ばされ、穀物を買うために、土地やブドウ畑や家屋が売りに出され、税金を払うために金貸しのもとに走る者もいました。

この状況に、ネヘミヤの心は再び砕けました。一部の貴族やリーダーたちは、同胞に対し、高い利子で金を貸していましたが、これは律法で厳しく禁じられていました。ネヘミヤにとって、これらの人々の心の状態は、壊れたエルサレムの城壁と同じことでした。彼はこう言います。「あなたがたのしていることは良くない。あなたがたは、私たちの敵である異邦人のそしりを受けないために、私たちの神を恐れながら歩むべきではないか。」(ネヘミヤ5:9)。……このままでは、イスラエルの神の御名が揺るがされ続ける。――ネヘミヤはそう訴えたのです。

こうした、外と内にあった敵の可能な限りの反対運動にもかかわらず、ついに城壁は完全に修復されました。何と、栄光に満ちた輝かしい日だったことでしょうか。そしてそれは、城壁の外側、イスラエルの外の人々だけでなく、中にいた人々に対しても、神の力を示すものとなりました。この日、エルサレムの大衆の前で、学者エズラは律法の書を読み上げました。そして大きな悔い改めが人々の内から起こりました。それこそ、真の国家的リバイバルでした。途絶えていた「仮庵の祭り」が再び祝われ、抑え切れない喜びの中、城壁の献呈のために盛大な儀式が執り行われました。こうして、エルサレムの町には再び人が住むようになりました。偉大なる神の御名が回復されたのです。

ネヘミヤとしての召命

では最終的に「ネヘミヤの精神を持つ」ということは何でしょうか。

教会、社会、家庭など、私たちが属するいずれの場所においても、ネヘミヤのように、揺るぎない忠誠を神に示し、主の力と慈しみに信頼する姿勢が求められています。イスラエルの国と人々を建て上げることにおいても同じ献身が求められます。敵に邪魔されたり、失望させられたりする時も、ネヘミヤと同じく、それを拒むことが必要です。生きる上でのすべての局面において、良い時も悪い時も、常にたゆみない祈りをもって臨むことが求められています。

これは、他の人々を敵の手から守るべく、城壁の破れ口に喜んで自分自身の肉体を置くことを意味します。今日、イスラエルは再建されつつあります。しかし、物理的にも霊的にも、その城壁には多くの破れ口があります。神は、ご自身が愛してやまない民のために、教会に、城壁の傍らに立つことを望んでおられるのです。

2千年近くにわたり、ユダヤ人は、キリスト教国が元となって起こった反ユダヤ主義により、言葉に表すことのできない迫害や残虐な扱いを受けてきました。今日まで、「神はユダヤ人との関係を終えられ、イスラエルを教会に置き換えられ、ご自分のひとみの民とされた。」というメッセージが語られてきました。私たちは、過去の反ユダヤ主義から立ち返り、ネヘミヤのように、シオンに対し、慰めと励ましを届けるよう召されているのです。

ネヘミヤは、彼が直面している戦いの中心にあるのが「神の御名」であることを認識していました。神には、ご自身のみことばを遂行される力があります。シオンに住む御民が守られることなど、おできにならないはずがありません。これは今日も同じです。

エゼキエル書36章で神は、イスラエルの民を散らされたのは、彼らが罪を犯したからだ、と仰せられています。しかしながら、諸国に民が散っていったと同時に、ご自身の御名が汚されることになりました。それは、約束の地を永遠にイスラエルに与える、という契約を、神が守られなかったかのように見えたからです。同時に神は、御名を守るため、イスラエルの民を霊的にも肉的にも回復させることを、固く誓われています。「わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える」と。

今日、神は地の四隅から御民を戻しておられます(イザヤ11:11-12)。土地を回復し(エゼキエル36:8-12)、御民の魂を救いへと導いておられます。しかしながら、ネヘミヤの時代と同じく、神に敵対する者たちが、イスラエルを回復し、救い主(メシア)のメッセージを伝えるという神のご計画を阻止すべく働いています。

クリスチャンは、神の救いの計画を伝える大使となるよう召されています。神の御名が回復されるために、救済史の完成とキリストの再臨における、イスラエル民族の独自の役割を、教会が認め、神と共に彼らを愛し支える必要があります。2千年前、預言者によって記され、また主イエスによって語られた多くの預言が今、この時代に成就しています。しかし、多くのユダヤ人と教会が、このすばらしい状況を知りません。

私たちは、これらの預言にしっかりと土台を置き、その一端を担うことができるよう働く必要があります。BFPには、多くの聖書的なプログラムがありますが、これらを通して、教会もシオンの回復という、神の御業の一部を担うことができます。そして「エルサレムの平和のために祈れ。」(詩篇122:6)と呼び掛けることで、メシア到来の約束が成就するために祈りを積むことになるのです。

黙示録には、「新しいエルサレム」が、土台が宝石類で飾り立てられた、すばらしい城壁を備えていることについて書かれています。そこには真珠で飾られた、イスラエルのそれぞれの部族の名前を冠した12の門が設けられています。その壁には一切の破れ口がなく、主の栄光を受けて輝くことでしょう。主に栄光を帰すことができるように。主の尊い御名が聖とされるように。その日の到来に備えて、神の御民が回復されるように、私たちも、ネヘミヤのように歩みたいと思います。アーメン!

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