文:ピーター・ファスト(BFP国際会長・CEO)
聖書は繰り返し「恐れるな」と語ります。
それだけ私たち人間は、恐れにとらわれやすいと言えます。
どうすれば恐れを消滅させられるのかを学び、主の力を頂きましょう。

多くの人が恐れでがんじがらめになっています。ここで言う「恐れ」とは、危険や愚かさに対する恐れではありません。それらは、主が人間の生存本能として組み込んでくださった健全な恐れです。そうではなく、まだ起こってもいない将来に対する、非現実的で不合理な恐れについて考えてみましょう。
この恐れはしばしば「不安」と呼ばれます。メンタルヘルスの関連サイト「NeuroLaunch」に最近掲載された記事「不安と感謝の強力な関係:両者は共存し得るのか」によると、不安とは「将来の出来事や状況に対する、終わることのない圧倒的な恐れや懸念」です。的確な定義だと思う一方、不安が人生に与える甚大な損失については言及されていません。
恐れは盗人
恐れは人生を支配し、人を弱らせ、喜びや睡眠、健康、論理的思考、集中力、生産的に働く力までも奪います。イエスは、マタイの福音書10章29〜31節で恐れについて弟子たちにこう教えられました。「二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです」
人間は神の似姿に創造され(創1:26)、私たちに対する神の愛ははかり知れません(ロマ5:8、Ⅱペテ3:9)。論理的に考えれば、イエスの教えは不安を払拭するはずです。にもかかわらず、人々は恐れに悩まされています。
使徒ペテロは次のように警告しました。「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(Ⅰペテ5:8)。敵の武器の一つは恐れです。恐れが破滅につながることもあります。
恐れへの対処
PeopleImages.com/shutterstock.com恐れに直面すると、たいていのクリスチャンは祈り、みことばで対処します。恐れがある時には神に頼ることが必要です。恐れに支配されてはなりません。恐れをなすがままに増殖させることは、鍵のかかった部屋に自らを閉じこめ、その鍵を捨ててしまうようなものです。しかし、神は光であり、私たちを解放してくださるお方です。
パウロはローマ人への手紙8章15節で次のように記しました。「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは『アバ、父』と叫びます」
パウロはさらに「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました」(Ⅱテモ1:7)と力強く述べました。臆病(ギリシャ語でデイラ)とは、「気弱」「恐れ」「懸念」を意味します。使徒パウロは弟子のテモテに、神が恐れを追い出し、その代わりに力と愛と慎みを与えてくださることを思い起こさせたのです。
私たちと共に戦う
恐れや不安への特効薬は何でしょうか。NeuroLaunchの専門家たちによると、「感謝」です。その研究によると、感謝と不安は脳の同じ領域で生じる一方、共存ができません。つまり、人は感謝と不安を同時に感じることはできないのです。感謝の習慣を身につけることで、人生を豊かにすることができます。主に感謝し信頼する時、人生に変革が起こり、すべての恐れは打ち砕かれます。
イザヤ書41章10節は、うれしい時や悲しい時に読まれる人気の聖句です。「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな(不安になるな)。わたしがあなたの神だから」(加筆著者)。この聖句は文脈を考えて読むことが大切です。その背景や目的、原語を考慮せずに読むと、大きな混乱につながる恐れがあります。
預言者イザヤは、これをユダ王国への激励として語り、真の力がどこから来るのかを思い起こさせました。ヘブライ語の原文は非常に力強く、神の約束を前にして恐れることはもはや不可能に感じられるほどです。
イザヤはここで、大いなる恐怖を意味する「ヤレー」という言葉を使いました。多くのクリスチャンは、10節前半を「神がそばにおられるので心配する必要はない」と理解して満足しています。しかし、イザヤがそれ以上に強調しているのは、全能の神の臨在が恐れが存在する余地を打ち壊すということです。
「あなたとともにいる」はヘブライ語で「インメカ」と言い、古い意味では「軍」を表す言葉「アム」から派生しました。単に「あなたの近くにいる、そばにいる」という意味だけでなく、あなたと共に戦闘隊形を組んで立つことも意味します。「インメカ」の深い意味を理解するには、神がすべての武器、隊列、そして武力をもって戦闘隊形を整え、あなたの味方として戦ってくださることを知ることです。万軍の主は恐れに立ち向かい、打ち砕く準備を完了しておられるのです。
出エジプト記3章12節で神がモーセに「わたしが、あなたとともにいる」と告げられた箇所でも「インメカ」は使われました。注目すべきは「あなたがイスラエルをエジプトから連れ出し、自分で物事を処理するのを見守っている」と言われたのではないことです。神は、ファラオとの対決においてモーセと共に戦うと約束してくださいました。
ヨシュア記1章9節でもこの言葉は使われています。「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにいる(インメカ)のだから」(加筆著者)。ヨシュアはイスラエルの民と共に約束の地へ進軍し、31人の王たちと戦おうとしていました。ここでも自分たちだけで戦うのではなく、神がイスラエルと共にいて戦ってくださいました。
変わることのない私たちの神
「イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません」(ヘブル13:8)と聖書が証言する通り、神は変わることがありません。神は、契約の民、すなわちイスラエルと、イスラエルというオリーブの木に接ぎ木されたイエスを信じる者たち(ロマ11章)に耳を傾け、応答し、戦い、救い出されます。
神は、モーセやヨシュア、イザヤの時代にイスラエルと共に戦われたように、あなたと共に立ち、恐れと戦ってくださるのです。イスラエルの神の力と、救い主の完成された御業によって、私たちは決して恐れに押しつぶされることはありません。
強められ、助けられ、守られる
イザヤ書41章10節後半で、神はこう約束されました。「わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」。この短い箇所に、恐れを追い払いユダ王国を解放するという、神の決意と指揮権を伴う四つの行動が記されています。人生で激しい恐れに直面した時にも適用できる言葉です。
一つ目の「強くする」を意味するヘブライ語「アマツ」には、「要塞化する」「戦いに備えて堅牢にする」「勇敢にする」という意味があります。モーセは申命記31章6〜7節、23節で、「強くあれ」(アマツ)とイスラエルの民を励ましました。またヨシュア記1章7節で、これから始まる戦いのために神がヨシュアに力(アマツ)と勇気を与えると約束された際にも同じ言葉が使われています。
二つ目の「あなたを助ける」を意味するヘブライ語「アザル」には、「守りによって囲まれる」「戦いの援軍に来る」「戦闘のさなかの救出」という意味があります。アザルについて思い巡らす時、私は古代マケドニアの重装歩兵が堅固な正方形の方陣を組んでいる「ファランクス」を思い浮かべます。
古代マケドニアの重装歩兵による方陣「ファランクス」ファランクスの成功の鍵は、戦場が平坦(へいたん)であることと、隊列を乱さないことの二つです。「アザル」は、戦いのさなかにも守られていると感じ、あらゆる弱点がカバーされていることを意味します。
三つ目の「あなたを守る」を意味するヘブライ語の「タマク」には、「しっかりとつかむ」「戦いに持ちこたえる」「困難の中で断固として降伏を拒む」という意味があります。軍事行動においてタマクの真価を発揮する将軍は、敵の弱点を見抜いた後、勝利を得るために攻勢をかけるべき絶好の瞬間を見極めることができます。絶好のタイミングで敵の隊列の弱点を突き、突撃隊に命令を下し、敵の抵抗を打ち砕くのです。
これが神との関係におけるタマクの意味です。神は、敗北の中からも勝利の瞬間をつかむ究極の指揮官です。敵が「自分は優勢だ」と錯覚するまでじっと待った後、神は恐れにとどめを刺します。神は、圧倒的な力で敵の裏をかくのです。
イザヤはユダの民に対し、神が彼らの陣営と王国にタマクをもたらすことを思い起こさせました。民は、ただ神に叫び求め、神の力のうちを歩むだけでいいのです。そのためには努力と訓練が求められます。ローマ軍は、自分より強大な敵を負かすために膨大な時間を掛けた訓練が必要でした。同様に、私たちは神がご自分のタマクを与えてくださること、信仰の歩みの訓練に一人で立つのではないことを知らなくてはなりません。
神の義の右の手
イザヤ書41章10節後半は「わたしの義の右の手で、あなたを守る」という、ユダに対する神の宣言で締めくくられます。右の手は、力、権威、軍事的な強さの象徴です。古代の戦闘では、武器を握る手は右手でした。また、古代のレリーフやモザイク画では、右手は裁きを行う側として描写されています。
神はイザヤを通して、ユダにこう断言されたのです。「敵を粉砕し、その武器を打ち壊すわたしの武器の右手が、あなたを支えている!」。義に満ちた王としての力と権威を持つ右手が、あなたを心配と恐れから解放するために今も戦い続けています。
神の民として心を強め、勇気を出してください。神は、私たちを強め、救い、手を握り、敵を滅ぼすための勝利の突撃へと導いてくださいます。神は、恐れを終わらせ、それを名もない墓へと葬り去ってくださる「ユダの獅子」(黙5:5)なのです。
















