文:ネイサン・ウィリアムズ(BFP広報部長)
価値観が大きく変わる時代にあって、
揺るぎない土台に立つことがますます重要になっています。
どうしたらそれが可能になるのか、詩篇15篇から学びましょう。
Photo by Jordan Hill Photography/shutterstock.com独身時代に一人暮らしをしていたころ、「自分は最高のルームメイトになるだろう」と考えていました。しかし、実際に誰かと住んだ途端、考えは一変しました。自分や相手の癖に直面し、それまで気付かなかった一面を知ることになったからです。
人生を共にする相手を神にあって選択し、生活環境を賢明に整えることは極めて重要です。同様に、私たちが永遠なる父の家に入る前に、イエスはルームメイトとなる人物を吟味されます。
ダビデも、人間が欠陥だらけであることを痛感していました。詩篇14篇では「神はいない」と言う愚か者や、善を行う者は一人もいないほど堕落した世界(3節b)について説明し、締めくくりにこう叫びました。「ああ イスラエルの救いがシオンから来るように」(7節a)。主が介入して物事を正してくださるのを願い求めたのです。
今日の世界を見る時、同様の絶望を覚えます。まさに、そのような絶望的な状況下で生まれたのが詩篇15篇です。この短くも力強い詩篇は、重要な問題提起をして先の切実な叫びに応答しています。「主よ だれが あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが あなたの聖なる山に住むのでしょうか」(1節)
続いてダビデは、神の永遠の住まいでルームメイトとして選ばれた者たちに、「すべきこと」と「してはならないこと」を説明します。
全き者で正しく真実
理想のルームメイトとは、まず「全き者として歩み 義を行い 心の中の真実を語る人」(2節)です。「全き」のヘブライ語は「タミム」です。この言葉は「正直、完全」と訳されますが、聖書的な意味では「心、行動、忠実さにおいて完全に神と一つになった生き方」を指します。
タミムの言う完全は、絶対失敗しないという意味ではありません。「タミム」と呼ばれたノア、ヨブ、ダビデも、弱さや苦難、道徳的な葛藤がありました。彼らが際立っていたのは、罪のない完璧さではなく、心を尽くして神に向き合って生きた点です。
タミムとは、自分のすべてを主に捧げ、一貫した生き方をすることでもあります。チャールズ・H・スポルジョンは「真の信仰者はどこにいても態度を変えない」と述べました。タミムには言行一致が伴い、人目につく時もつかない時も生き方が変わりません。
心が神と一つになったなら、次のステップは行動が神と一つになるようにすることです。ヘブライ語の概念では「ツァディク」と言い、「正義、義人」を意味します。タミムの結果、起こることです。「自分は何者であるか」という段階から「何を行うか」へと移行します。主と一つであると主張するだけでは十分ではなく、それが生き方にも反映されます。

最も典型的な聖書の例は、ヨセフです。聖書では「ツァディク」(義人)と明確に呼ばれてはいませんが、ユダヤ教の聖書解釈では「義人ヨセフ」と呼ばれます。ヨセフの生涯はまさに義を体現していました。兄弟に裏切られ、奴隷として売られ、えん罪で投獄されても、義の道を選び続けたヨセフ。ポティファルの妻に妥協せず、人目につかないところでも神に忠実であり続け、ついに権力の座に就いた時にも復讐することなく赦しました。正義とは、最も難しく、犠牲を伴う決断の中で実現されるものです。
最後に、ダビデは心の中の真実を語るよう諭します。ヘブライ語で真実を表す語は「エメット」で、「安定性、確実性、真実」を意味します。聖書的な意味での真実とは、不変であるゆえに信頼できるということです。
この詩篇で特に印象的なのは、真実がどこにあるかです。それは唇にではなく、心にあります。イエスが語られた「人の口は、心に満ちていることを話すからです」(ルカ6:45)という教えと一致します。
エメット(真実)の第一歩は、まず自分に正直になること。心の中の真理を語る時、一貫した行動、信頼に足る言葉、確かな行動となって現れます。反対に、内面を偽ることはやがては霊的な歩みと人間関係を損なうことになるでしょう。
まず、悪を行わない
詩篇15篇3節は、内面のあり方から、他者への言動という外面的な振る舞いに移ります。「舌をもって中傷せず 友人に悪を行わず 隣人へのそしりを口にしない人」。インターネット上で怒りが拡散される時代にあって、舌(言葉)の持つ力は増幅しています。言葉はより速く伝わり、深く傷つけ、長い間消えません。「そしる」とは誰かの評判を落とすために悪口を言うことです。ひそかに行われても、現実には大きな影響を与えます。
聖書では、言葉は創造あるいは破壊の道具、生と死の力をもたらす物として扱われます。ダビデは、神に喜ばれる生き方をする上で、自分の発する言葉を大切に扱うことを強調しました。共同体を損なう言葉を口にしながら、主の家に住まうことはできません。
3節では視野がさらに広がり、「言葉で傷つけないこと」から、実際の行動でもそうしないことへと移ります。私たちは、共同体の仲間を思いやらなくてはなりません。たとえ正当化できる状況であっても、他者を利用したり、傷つけるような行動を取らないことです。
Photo by Prostock-studio/shutterstock.com3節の締めくくりは重要です。「そしりを口にしない」とは、否定的なことを拡散せず、身近な人の評判を悪くすることに加担しないということです。常に人間関係を大切にします。この自制心は、人を守ろうとする父なる神の愛を反映しています。
識別力と約束を守ること
「その目は 主に捨てられた者を蔑み 主を恐れる者を 彼は尊ぶ」(詩15:4)。これは他人への敵意や霊的傲慢を推奨しているわけではありません。主が悪と定めたものを称賛しないよう識別力を求めているのです。
意識してもしなくても、私たちは周囲の文化の影響を受け、何を称賛し、何を受け入れるかという基準をつくります。道徳的な境界線があいまいになり、以前は闇と認識されていたものが、しばしば光として提示される時代にあって、主と共に住みたいと願う者は主の価値観を持たなければなりません。
4節はこう続きます。「損になっても 誓ったことは変えない」。ここに「シャバ」という力強いヘブライ語の概念が出てきます。「誓う、宣誓する」という意味で、完全さや契約を想起させる数字の7(シェバ)と深い関係があります。聖書の時代、言葉には拘束力があり、人は自分の誠実さにかけて誓いを立てました。
4節は、たとえ犠牲を払っても自分の言葉を守るという、より高い基準を示しています。難しくても約束を守ること、信頼を裏切るよりは損失を受け入れること、世界が見捨てても自分はとどまることを意味します。
主ご自身が、アブラハムとの契約(創15章、22:16)においてこの原則の模範を示されました。主は、ご自分より高い権威が存在しないため、ご自分にかけて誓われました。神の約束は、神の本性(ほんせい)に基づく不変なものです。主と共に住むためには、神の誠実さを映し出すことが求められます。
経済的正しさ
最後の禁止事項は「利息をつけて金を貸すことはせず 潔白な人を不利にする賄賂を受け取らない」(5節)。「利息」はヘブライ語で「ネシェフ」と言い、「噛む」という意味の語根「ナシャフ」から派生しました。これは、他者を食い尽くし滅ぼし尽くす金融行為を生々しく描写し、弱者からの搾取に警鐘を鳴らすものです。
ダビデは、誠実さは財政や商取引、経済的な意思決定にも現れることを明らかにしました。経済的に不安定な世界では、自己保存を優先したいという強い誘惑に駆られます。しかし、5節が求めるのは「神の国のあわれみ」であり、神の寛大さと公正を反映することです。イエスはこの原則をルカの福音書6章34〜36節で詳しく説明しました。「しかし、あなたがたは自分の敵を愛しなさい。彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方の子どもになります」(35節)。見返りを期待しない寛大さは、神の本性を映し出します。
ショハド(賄賂)というヘブライ語の背後にある概念は、正義を歪め、真実をねじ曲げる要因となるあらゆる誘惑に当てはまります。トーラー(モーセ五書)は賄賂を厳しく禁じました。「賄賂を受け取ってはならない。賄賂は聡明な人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめる」(出23:8)。ダビデは個人的な不正を責めるだけでなく、より深刻な道徳的堕落、つまり私利私欲のために正義を犠牲にする姿勢を暴きました。
5節の「潔白な人を不利にする」は、賄賂の罪の重大さを強調しています。ユダヤ人の思想では、主は、潔白な人、やもめ、孤児、外国人らの弁護者です。賄賂を受け取るなら、神の本性と、弱者を公平に扱うという契約に逆らうことになります。主と共に住まう人は、他者、特に弱者に対する公平さにおいて神の義を反映させなくてはなりません。
約束
Photo by shine.graphics/shutterstock.com詩篇15篇は確固たる約束で閉じます。「このように行う人は 決して揺るがされない」(5節)
聖書が「終わりの日」と呼ぶ時代には、大きな揺さぶりが来ます(ヘブル12:26〜27参照)。国々、経済、宗教組織は揺り動かされ、天そのものさえ震えおののくでしょう。それは、真に揺るぎないものは神の国だけであることを世界が知るようになるためです。私たちの目標は、神の国と正しい関係で生きること。そうすれば、揺り動かされない唯一の土台に立つことができます。
人生の安定は、環境や、人間のつくった制度、あるいははかない保証の中には見出せません。天の父なる神の本性と道に歩調を合わせることです。タミム(完全さ)のうちを歩み、エメット(真理)に根差し、口から出る言葉を見張り、正しく識別し、犠牲を払っても契約を守り、あわれみをもって富を用いる人こそ、安全に住まいます。
















