文:ピーター・ファスト(BFP CEO)
イスラエルを憎み、滅ぼそうとする敵は、歴史を通じて存在してきました。
聖書に見られるその最たる例が、アマレク人です。
民族としては滅びても、その霊は今も息づいています。

古代の敵
悲しいことに、イスラエルという国家にとって戦いやテロは日常生活の一部です。イスラエル人は、自国が「紛争国」と呼ばれることを望みません。イスラエルは、活気ある家族生活、技術革新のチャンス、悠久の歴史、芸術と音楽を誇りとする国だからです。しかし、1948年の国家再建以来、イスラエル人は世代を問わず身をもって自国を守り続けなくてはなりませんでした。イスラエルの奇跡的な勝利の数々は、イスラエルを守られる神の御手の証しとして語り継がれています。
23年10月7日、想像を絶する悪が解き放たれました。4300発というミサイルの集中砲火の下、数千人に及ぶハマスのテロリストがイスラエル内部に侵入し、残虐の限りを尽くしました。250人以上の人々が拉致され、老いも若きも虐殺され拷問を受けました。ハマスは狼のように、無力で弱い人を狙いました。
戦いが七正面(イラン、ガザ地区、レバノン、イエメン、シリア、イラク、西岸地区)に広がると、イスラエル国防軍は国家防衛のために30万人という史上最大の部隊を招集。この戦いの震源はイラン政権です。79年のイスラム革命以来、イランはイスラエル滅亡を誓い、この地域に触手を伸ばし続けています。
それでもイスラエルは存続してきました。なぜ存続できたのでしょうか。その答えを得るために聖書を開き、アブラハム、イサク、ヤコブの神がどのようにイスラエル史を通して働かれ、守られ、未来の希望であり続けているかを検証していきます。
神への叫び アサフのとりなし

アサフはダビデ王朝時代(紀元前1000年ごろ)、宮廷の賛美リーダーの一人だったと考えられています。詩篇83篇の冒頭でアサフは、神に向かって三度、「沈黙していないでください。黙っていないでください。黙り続けないでください」と叫びました。訳文だと混同されがちですが、アサフは注意深く言葉を選んでいます。
最初の「沈黙」と訳されたヘブライ語は「ドミ」で、「中断」したり「休息」したりするという意味です。アサフは、イスラエルに危険が迫る中、神が警戒を怠らずにいてくださるよう切に嘆願しました。2番目の「ハラシュ」という言葉は、「静かにする」「黙っている」と訳されることが多く、「口に出さない」「耳が聞こえない」という意味です。単に静かにしているとか聴覚に障がいがあるということではなく、行動する動機がなく故意に黙っていることを意味します。これは緊急の行動要請です。敬虔(けいけん)なユダヤ人であったアサフは、イスラエルの神こそが完全な主権者であり、すべてを知っておられる世界の神であることを理解していました。同時に、アブラハム、イサク、ヤコブの神がイスラエルにとって夫のような存在であり(イザ54:5)、ご自分の民を愛しておられることも知っていました。神は、神の子らに無関心な方ではなく、関係を築くことを望まれ、子どもたちの声を聞きたいと願っておられます。そのためアサフは、イスラエルが直面する現実を神に訴えたのです。
「ご覧ください。あなたの敵が騒ぎ立ち あなたを憎む者どもが頭をもたげています。彼らは あなたの民に対して 悪賢いはかりごとをめぐらし あなたにかくまわれている者たちに 悪を企んでいます。彼らは言っています。『さあ 彼らの国を消し去って イスラエルの名が もはや覚えられないようにしよう。』」(詩83:2〜4、強調筆者)
特に、太字に注目してください。アサフは、敵が共謀している原因に切り込んでいます。それはイスラエルの神を憎んでいるからです! 結局のところ、彼らは神に敵対しているのです。
神の敵は知るだろう
アサフは、イスラエルの古代の敵、すなわちエドム、モアブ、アマレク、ペリシテ、アッシリア、ミディヤンを列挙し、イスラエルを憎む暴力的な諸民族に対処してくださるよう神に叫びました。アサフが敵に宣言した裁きは、神の正しい復讐がなされることでした。「(イスラエルの敵を)土地の肥やしと(し)……彼らを 風の前に吹き転がされる 藁のようにしてください。林を燃やす火のように 山々を焼き尽くす炎のように そのように あなたの疾風で彼らを追い あなたの嵐で 恐れおののかせてください。彼らの顔を恥で満たしてください」(詩83:10b、13〜16a)
興味深いことは、アサフが単に敵対民族の消滅を求めているわけではないことです。その破滅と恥を通して、彼らが御名を求めるようにと願うアサフの心が垣間見えます(詩83:16)。この願いを再度言い表す前に、アサフは義憤に戻ります。「彼らが いつまでも恥を見て 恐れおののきますように。辱めを受けて 滅びますように」(同:17)
最後は、この詩篇のクライマックスであり、アサフの心の核心です。「こうして彼らが知りますように。その名が主であるあなただけが 全地の上におられる いと高き方であることを」(同:18)
アマレクの霊
ところが、今もなお居座り続ける敵がいます。アマレクです。アマレク率いる敵は、レフィディムでイスラエルと戦いました(出17:8)。イスラエルは勝利しましたが、アマレクがあまりにも邪悪だったため、神は「アマレクがあなたがたにしたことを覚えていなさい」とイスラエルに命じられたほどです(参照:申25・17〜19)。アマレクは、イスラエルを挑発して戦争に持ち込み、敗北しました。申命記25章18節によると、アマレクは容赦なく、計画的に「あなたが疲れて弱っているときに、道であなたに会い、あなたのうしろの落伍者をすべて切り倒し」襲いました。ここでモーセが使った「落伍者」というヘブライ語は「ハシャル」で、「疲れ果てた者たち」や「弱った者たち」を意味します。
これは、イスラエルの神が当時の大国エジプトを打ち破った直後のことです。アマレクは、イスラエルを打ち負かすことなどできないと十分理解していたことでしょう。ところが、邪悪なアマレクは「神を恐れることなく」(申25:18)、幼子や子ども、妊婦や老人を餌食にすることを選びました。無防備な者を虐殺して楽しむという計算づくの戦略だったのです。このアマレクの心の闇に対し、神は「アマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない。このことを忘れてはならない」(同:19)とイスラエルに命じられました。

アドルフ・ヒトラー
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イランの最高指導者、アヤトラ・アリ・ハメネイ
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この聖書箇所を熟考した時、ハマスによるイスラエル人の虐殺映像を思わずにはいられませんでした。興味深いことに、ヘブライ語の「ハマス」という言葉は「暴力」を意味します。
ユダヤ的思考では、アマレクはいつの時代にも存在する「アマレクの霊」を象徴し、ユダヤ民族の絶滅を狙う邪悪な人物に体現されています。この思考は、出エジプト記17章16節後半の「主は代々にわたりアマレクと戦われる」に由来します。
クリスチャンは、未来の反キリスト(Ⅰヨハ2:18)を思い浮かべるかもしれませんが、使徒ヨハネは別の多くの反キリストについても言及しました。歴史を通じて「アマレクの霊」に該当する人々、つまりユダヤ人社会に大混乱をもたらしたいと望む人々が存在します。ファラオ、ハマン、アンティオコス・エピファネス4世、ヨシフ・スターリン、アドルフ・ヒトラー、イランのイスラム教シーア派の指導者といった人々は、不気味なほど「アマレクの霊」に当てはまります。
神はアマレクに対処される
実際には、神がご自身の敵に対処されます。神は、イスラエルの敵の悔い改めを望みつつも、彼らに立ち向かうと誓われました。これは聖書の型です。ゼカリヤ書2章8節で、神は「わたしの瞳」(イスラエル)に触れないよう警告を発しておられます。ヨシャファテ王が主の前に叫んだ時、神は王を慰め、王に代わってユダの敵を滅ぼすため戦われました(Ⅱ歴代20:21〜24)。ヒゼキヤ王が神の臨在の中でへりくだった時、主の御使いがセンナケリブのアッシリア軍を滅ぼしました(イザ37:33〜38)。エステル記3章1節は、邪悪なハマンがアマレクの子孫であることを明らかにしています。ハマンが、モルデカイのために建てた柱に吊るされた時、神の正義の裁きが下され、ペルシアのユダヤ人虐殺計画に終止符が打たれました。預言者ゼカリヤは、主ご自身がエルサレムを守られ、将来エルサレムの敵を根絶すると明言しています(ゼカ14:12)。

イスラエルは神の御名を担って(「ナサ」)います。「ナサ」というヘブライ語の語源的意味は、その民に神の御名が刻印されている、あるいは神の御名の印が押されていることと関係があります。イスラエルは神の御名を背負っているため、国々はイスラエルと接する時、動揺します。この動揺の過激な表れが反ユダヤ主義です。イスラエルに対する不合理な憎しみや陰謀論、敵意につながることもあります。
一方、この動揺は、イスラエルのユニークさや有益さに気付かせ、引き寄せる働きもします。こうして国々は、しばしばイスラエルに引き付けられ、協力やパートナーシップを求めてきました。
緊張と苦難、戦争と悲劇という歴史は、いつか終わりを迎えます。この事実は、クリスチャンとユダヤ人の双方に希望を与えるはずです。神はご自身の国を守られ、ご自身の敵とすべての不義に対処されます。神が地上を治められ、海を覆う水のように世界が主を知ることで満たされる日が来るのです(イザ11:9)。異邦人は、イスラエルに対して誠実な神に輝かしい賛美を捧げます(詩117)。王なる神が統治され、義がもたらされる時が来るのです。ユダヤ人の預言者たちは、イスラエルの神だけが礼拝される時が来ると語りました。預言者ゼカリヤはこのことを簡潔明瞭に表現しました。「主は地のすべてを治める王となられる。その日には、主は唯一となられ、御名も唯一となる」(ゼカ14:9)。何と輝かしいメシアの時代が待っていることでしょう。その時アマレクは遠い記憶でしかなくなり、二度とその醜い頭をもたげることはありません。