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ティーチングレター

まず神の国を求めなさい

文:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

世界の現実に目を向ける時、不安や恐れに駆られることがあります。
しかし、神の国を求め、天の御国の市民として生きるなら、平安が訪れます。

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私たちは時に、政府の決断に失望することがあります。混乱、感染症の大流行、貧困の増大、不動産の高騰、富裕層の医療専有、失業者の増加……。こうした状況下で私たちは政府に答えを期待します。世界の現状を見ても、街頭での暴動、略奪や暴力、戦争、クリスチャンへの迫害、反ユダヤ主義、際限のない怒りなどが目に付きます。

私たちは、義なる「王」が現れ、国々に平和をもたらすことをどれほど切望していることでしょうか。最近、世界中の混乱についてユダヤ人の友人と語り合いました。友人が出した結論は「今僕たちに必要なのはメシアだ」。全くその通りです!一方で、私たちは地上のさまざまな指導者たちに悩まされています。

現代の王の役割はほとんど儀礼的なものですが、歴史的・聖書的に見れば、王には究極の権威がありました。王は神の権威の下にあると認められていたからです。列王記を読むと、善王と悪王が登場します。聖書は悪王について「彼は主の目の前に悪を行い」と説明し、対する善王は主の目にかなうことを行って主を喜ばせます。

王が強権的に支配していた時代もありました。例えばレハブアム王の時代(Ⅰ列王12章)などです。今日同様、悪王が権力を握っている時は民も苦しみ、善王が支配する時、国は繁栄しました。しかし善王であれ悪王であれ、王が国民に期待するのは忠誠心です。どの国にも行動基準があり、忠誠心が求められます。民が国家に反逆することは重大な犯罪と見なされ、反逆罪や扇動罪に問われる場合もあります。

アメリカには忠誠の誓いがあり、下院では毎日この誓いを暗唱して始まります。私の子ども時代も毎日学校で国旗に向かい、右手を胸に当てて忠誠を誓いました。「私はアメリカ合衆国の国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に忠誠を誓います」。こうして、母国アメリカとその土台である理想に献身することを常に思い起こしたのです。ほとんどのアメリカ国民はこの誓いを暗唱していることでしょう。

では、忠誠とは一体何でしょうか。辞書によると「ある理念や人物に対して忠実であり献身的であること」「信念や国家、支配者に対して忠実であること」「忠実であると約束すること、もしくは誰かの側に立って行う忠実な行動」とあります。

イエス時代の忠誠

イエスの時代、民はローマの支配下に置かれ、ローマの支配者は完全な忠誠を要求しました。ローマの法律の中には、皇帝礼拝のように聖書に真っ向から反するものもあり、トーラー(モーセ五書)を信じる敬虔(けいけん)なユダヤ人にとっては問題でした。十戒は、他の神々に仕えてはならないと命じているからです。

第二神殿時代、ユダヤ人は激しく弾圧され、紀元70年の神殿崩壊によって悲劇的に幕を閉じました。包囲された民は、飢えに苦しみ、殺され、とりこにされ、愛する故国から追放されました。

今日同様、イエスと弟子たちの時代にも、非道な指導者、不敬虔な指導者、邪悪な指導者の下で大勢の民衆が苦しみを味わいました。ローマの法律に従って生きることは非常に困難だったことでしょう。しかし、イエスはカエサルに税金を支払うべきか尋ねられた時、「カエサルのものはカエサルに…返しなさい」(マル12:17)と、市民に服従を奨励しました。イエスの関心は、地上の国ではなく神の国とその価値観に向けられていたのです。

イエスは混乱した困難な時代にあって、繰り返し神の国について語り、常に神の国(天の御国)に注意を向けられました。例えば主の祈りは次のようなことばで始まっています。「天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように」(マタ6:9〜10、ルカ11:2。強調筆者)

神は私たちの王

9月、イスラエルでは秋の祭り(レビ23章)を祝います。最初はロシュ・ハシャナー(ユダヤ新年)として知られるラッパの祭りです。シナゴーグには大勢のユダヤ人が集い、祈りに包まれ、一日中ラッパが吹き鳴らされます。この祝日のテーマの一つは「神の王権」です。

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神は聖書で「王」と呼ばれています。クリスチャンもユダヤ人も神を王と呼び、神の国について語ります。詩篇47篇はその例です。

まことに いと高き方主は恐るべき方。全地を治める 大いなる王。…ほめ歌を歌え。神にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。私たちの王にほめ歌を歌え。まことに神は全地の王。…神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる」(詩47:2、6〜8

人間の王と私たちの王なる神は全く異なります。王なる神は常に正しく、良い方です。この方は忠実に従う者たちの最善にいつも気を配っておられる、あわれみと裁きの神です。イザヤ書33章22節では「まことに、主は私たちをさばく方、主は私たちに法を定める方、主は私たちの王、この方が私たちを救われる」と宣言されています。

ユダヤ教には一日に何度も神をほめたたえる習慣があり、その祈りは「ほむべきかな、主なる私たちの神、全世界の王」という言葉で始まります。ヨム・キプール(大贖罪日)などの断食日には繰り返し王なる神に祈り、語り掛けます。それは悔い改めと嘆願の祈りです。この美しい祈りの歌は「アビヌ・マルケイヌ」(私たちの父、私たちの王)と呼ばれています。祈りの文言は以下のサイトをご覧ください。https://www.myjewishlearning.com/article/text-of-avinu-malkeinu/

神の国

イエスの時代、人々はローマからの解放を求めて祈りました。第二神殿時代を研究しているデビッド・フルッサー氏によると、「一般的に民は、神の国が来たらイスラエルがローマのくびきから解放されると信じていた」。イエスの教えを受けた弟子たちは、天の御国について聞き、イエスがイスラエルをローマの圧政から救い出してくれると期待もしていました。だからこそ、イエスの復活後に共に集まった時、「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか」(使1:6)と率直にイエスに尋ねています。

フルッサー氏はこうも述べています。「イエスやラビたちにとって神の国とは現在でもあり未来でもあった。…ラビ的ユダヤ教にとってもイエスにとっても、神の国が目の前にある現実であったことは疑う余地がない(ルカ11:20〜21、出25:8、アラム語聖書註解書)。賢者たちは、『天の御国のくびき』を負っている人は天の御国に既に住んでいるのかもしれない、と教えていた」

「天のくびきを負う」とは神の国の規則に従って生きることです。ユダヤ人の考えでは、トーラー(モーセ五書)とタナハ(旧約聖書)に啓示された神の御心に従って信仰を実践することを指します。キリスト教ではこれに新約聖書も加わります。

イエスは、神の国がどのように機能するのか、生活と行動を通して示されました。人々を癒やし、抑圧された人々を解放され、これこそ神の国が到来している証拠だと言われました。「しかし、わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」(ルカ11:20

イエスは弟子たちに、神の国には莫大な価値があり、無くした硬貨を捜すように求めなくてはならないと言われました。御国の価値は絶大です。それ以外のすべてを放棄してでも得なくてはならないものです(マタイの福音書13章「隠された宝」と「真珠」のたとえを参照)。

イエスは、パン種とからし種のたとえを用いて神の国について語りました。この二つはいずれも成長を示しています。からし種は大変小さいですが、鳥が巣をつくれるほどに成長します。パン種はパン生地を膨らませます。イエスの弟子たちの小集団がどれほど増殖したかを考えてみてください。神の国は成長を遂げるのです。

神の国の一員となることは幸いです。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」(マタ6:33)。何がそれに加えて与えられるのでしょうか。この前の節でイエスは宝や富に対する姿勢について教え、宝を自分だけのために蓄えてはならないと言いました。

これに続く話は、ヘブライ語のことわざを知らないとなかなか理解できません。ヘブル文化には、良い目を持っている人は気前が良く、悪い目を持っている人はケチだという考え方があります。続いて、食べ物や飲み物、着物のことで心配するなという戒めがあります。つまり、「心配せずに神を信じ、富を気前よく分け与えよ」ということです。私たちの王なる神は、私たちの必要を知っておられます(マタ6:25〜32)。空の鳥を養われる神は、私たちをも養ってくださるのです。

神を求め、神の定めに従って生きる人は祝福される、と聖書は繰り返し語ります。同様に、意図的に神に反抗する人々には良くない結果が待っています。

この世界は堕落し、神や神の道に従わない指導者たちの下で私たちは生きています。しかし同時に、私たちは天の御国の市民としても生きているのです。今後、自然界にさらなる困難な状況が訪れたとしても、神は御座についておられます。「まず神の国と神の義を求めなさい」。神と共に時間を過ごし、神を信頼し、神の道を選びましょう。そうすれば安らぐことができます。雀を見守られる神は、私たちも見守ってくださるのです。

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