ティーチングレター

神の御顔を求める

文:シェリル・ハウアー(BFP国際副会長)

世界を席巻している感染症をきっかけに、人生を改めて見つめ直した方もいるかもしれません。
人生において本当に必要なものは何なのか、私たちクリスチャンは何を追い求めていったらいいのか、共に考えてみたいと思います。

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最近は、否が応でも新型コロナウイルス感染症が話題の中心になってしまいます。今年も中盤を過ぎた今、世界はわずかに活気を取り戻し、景色も変わりつつあります。多くの国々で対策が進み、人々はようやくレストランで食事をしたり、1年半ぶりにハグし合ったりできるようになりました。公園や遊園地は家族連れでにぎわい、飛行機は空を飛び、会話も少しずつ増えてきました。

しかし、世界にはまだまだ新型コロナ感染症に苦しんでいる国々があります。南半球に住む友人たちは22年まで海外への渡航は控えたほうがいいと勧告され、カナダの国境も閉鎖されたままです。中には、昨年のほうがまだ自由だったと思えるほどのロックダウンを行っている国もあります。深刻な不安が希望に変わった国もあれば、引き続き大きな不安の中にいる国もあります。

神を求める者となる

そんな中、私は今後の導きを主に求めていました。私が過去1年半から学べる教訓は何なのか―。この問いに対する神の答えはいつも変わらず、「あなたに神を求める者となってほしい」でした。しかし「神を求める者」とはどういう意味でしょうか。今日「神を求める者」という言葉には、さまざまな含みがあります。この20年の間に、いわゆる「神を求める人々(求道者)に優しい運動」が起こり、人間を中心に据え神を求める価値観がつくり上げられました。この価値観に基づく場合、聖書をよく知らないまま、柔らかい食物で満足してしまうことがあります。

この価値観は、使徒パウロの告白ともかけ離れています。「私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです」(ピリ3:10-14

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ここで「走っている」と訳されているギリシャ語はディオコーです。パウロは渇望とも言えるほどの切なる願いに突き動かされ、激しく栄冠を追い求め、休むことなく疾走し、神が自分のために用意されたものに達するまで走り続けると言っています。

すなわち、神は、一心に追い求めたパウロのように神を求めてほしいと願っておられるのです。これが「神を求める者」です。同時に、神は今年の残りの期間、私が集中して取り組むべき聖句を示してくださいました。「…主よ あなたの御顔を私は慕い求めます」詩27:8

「慕い求める」と訳されているヘブライ語はダラシュとバカシュの2語です。この2語は同じ語根から派生しましたが、意味は少し異なります。ダラシュは「探し出す、〜を求めて努力する、要求する、深く渇望する、切望する」。バカシュは「期待して探す」という意味の他に、「〜を踏み固める」(頻繁に人が通って摩耗した道を暗示)という意味があります。この言葉はどちらも目標に達するまでやめず、執拗(しつよう)に行動することを暗示しています。私が主から語られたと感じていることを若い知人に説明したところ、「絶対になくてはならないスマホを探す時みたいですね!」と言われました。その通りです。でもそれ以上です。

活用できなかったロックダウンの時期

主が示されたことを振り返っていた時、ロックダウン時期の大部分を有効活用できなかったことに、はたと気付きました。この時を主から与えられたチャンスと考えることなく私は退屈して愚痴を言いながら、することを探して時間を浪費していました。しかし問題は、何に焦点を当てていたのか、ということだったのかもしれません。喜びをもって神を追い求めることから目をそらすことがよくあったのです。これは多くの信者にとって恐れや怒りや心配につながる道です。

心配事の無い人はいません。その対策について探してみると、「体を動かす」「お酒の代わりに水を飲む」「タバコとコーヒーをやめる」「健康的な食事をし、深呼吸する」といった有益な情報が数多く見つかりました。どれも良い考えです。しかし問題の解決にはなりません。解決は主との親密な関係です。常に神を求めるという、神を中心とした親密な関係の中にこそ解決を見いだすことができます。これまで時間と感情的エネルギーを浪費してしまったとしても、天の父なる神にとって遅過ぎることはありません。神は、私たち全員が真実に神を求める者になり、「主よ あなたの御顔を私は慕い求めます」詩27:8)と神に約束し、宣言する者となってほしいのです。

主よ あなたの御顔を

今日の世界では、人々が注目を浴びようと競い合っています。受け入れられ、人気者になることを目指す人もいれば、安心感や富、安全や成功を目指す人もいます。中には価値のある目標もあるでしょう。しかし詩篇の記者は、何よりも大切なことは主の御顔を求めることだと断言します。

ヘブライ語で顔は「パニム」と言います。動詞のポネーから来た言葉で、「目を背ける」あるいは「目を向ける」「一番奥にあるものを指し示す」という意味があります。顔は人の内面に通じる道であり、ひいてはその人の全存在を表すということです。モーセは神に「もしあなたのご臨在(パニム)がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください」(出33:15)と訴えました。これ以外にも「パニム」はタナハ(旧約聖書)の中で、素晴らしいあがない主である神の全体像、そして本質を指す言葉として何度も使われています。

「主よ あなたの御顔を」と宣言することにより、神が自分の主であり王であり、忠誠を尽くす方であることを認めているのです。神は偉大な「ある」という方であり、この方以外に神はいません。神こそ何よりも大切な方であり、この方以外の何物も神としてはならないのです。神の御顔は、神のご臨在であり神の本質そのものです。私たちはそこで神の愛に包まれ、真の満足を見つけることができます。ご臨在の中で私たちは安心と安全、安息と平穏、癒やしと解放、救いと受容を見いだすのです。結果、私たちは「偉大な『ある』という方、あなたのご臨在のすべてを私たちは探し求めます」と叫びます。

決意をもって神を求めるか

今、自分の意志によって神を自分の究極の目標とすることを宣言します。ダビデは詩篇の中でこの意志の働きについて幾度となく語りました。ダビデは自分自身に語り掛ける人でした。ダビデの苦闘と、それを乗り越えようと固く決意する姿を何度も見ることができます。「わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか」(詩42:5)とダビデは自問し、「なおも神をほめたたえる」(強調筆者)ことを決意しています。「わが力なる主よ。私はあなたを慕います」(詩18:1)という告白は、すなわち「私は、自分の意志によってこの決断を選びました」と言っているのです。

ダビデのように私たちも繰り返し決意することが求められます。忙し過ぎたり、疲れ過ぎたり、妨げが多過ぎたりして神を第一に求められない、ということは決してありません。決意が固ければ固いほど、たましいの敵はさまざまなことを言って攻撃してくることでしょう。しかし誘惑者に直面した時のイエスと同様に、私たちも神のみことばによって「主よ あなたの御顔を私は慕い求めます」(詩27:8)と応答することが求められます。

訳によって異なりますが、聖書には「求める」という言葉がさまざまな形で300回以上出てきます。ほとんどは「神を求めなさい」という主からの励ましであり、約束が伴います。

歴代誌第一16章10節では、求める者に喜びが約束されています。「主の聖なる御名を誇りとせよ。主を慕い求める者たちの心よ、喜べ

 

歴代誌第一16章11節では、神の力が約束されています。「主とその御力を尋ね求めよ(ダラシュ)。絶えず御顔を慕い求めよ(バカシュ)」

詩篇34篇4節では、恐れからの解放が約束されています。「私が主を求めると 主は答え すべての恐怖から 私を救い出してくださった

アモス書5章4節後半では、神は命を約束しておられます。「わたしを求めて生きよ

それ以外にも数え切れない聖句(箴8:17、申4:29、ルカ11:9、マタ7:7、使17:27-28など)があります。中でも最も素晴らしい約束はエレミヤ書29章13節でしょう。「あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける

もしかしたら、これまで時間を無駄にしてしまったかもしれません。しかし、パウロのように後ろのものを忘れ、神を熱望し、飽くなき願いをもって神を求め、前進しましょう。主との時間が慣れ親しんだ道になるように、喜ばしい期待をもって神を求めましょう。ダビデは次のように言って神を求めました。「神よ あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない 衰え果てた乾いた地で 私のたましいは あなたに渇き 私の身も あなたをあえぎ求めます。私は あなたの力と栄光を見るために こうして聖所で あなたを仰ぎ見ています。あなたの恵みは いのちにもまさるゆえ…」(詩63:1-3

私たちも同じ情熱をもって神を求めましょう。その時私たちは神を見つけると神は約束しておられます。ダビデのように真に神を求める者として、また神の喜びのために、常にさらに求めていきましょう。

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