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神はどのように愛を伝えるのか?

文:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

律法の中で最も大切と言われる「愛」。
言葉や口先だけではなく、行いと真実をもって愛することを聖書は勧めています。
その愛の表現方法について、具体的に考えてまいりましょう。

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1200万部以上を売り上げた、ゲーリー・チャップマン氏(結婚カウンセラー)の著書『愛を伝える5つの方法』は、愛を表現したり受け取ったりする五つの主な方法を教えています。その五つとは、上質な時間、肯定的な言葉、スキンシップ、贈り物、行いです。さらに知りたい方は、5lovelanguages.com にアクセスすると、自分の愛情表現を確かめられます。BFPのイスラエルチームもこのテストを受け、自分や他人を理解するのに役立ちました。話し合いの後、私はこう質問しました。「神はどうやって愛を伝えると思いますか」

イエスは、一番大切な戒めは自分の全存在をもって神を愛することだ(マル12:30)と言われました。では、神はどのように私たちの愛を受け取られ、愛を伝えられるのでしょうか。

行い

行いは愛を伝える方法の一つです。神ご自身も、私たちの行いを通して愛を受け取られると思うとワクワクします。

神は「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」(出20:6)と語り、神の戒めを守ることと神を愛することをまず結び付けました。これは申命記5章の十戒にも出てきます。神を愛する者は戒めを守ることによって愛を示さなくてはならない、と神が言っておられることは明らかです。

中世フランスのラビ・シュロモ・イツハキ(今日一般的にラシとして知られる)は、タルムード(ユダヤ教の伝統とヘブライ語聖書のラビによる注解書)とタナハ(旧約聖書)の総合的な注解書を著しました。ラシは申命記6章5節の注解で「主を愛しなさい、とは神の命令を愛によって成し遂げることである。愛によって行う者はより高いところに立つ。恐れによって行う者とは違う」と語っています。

友人の正統派ユダヤ人モシェ・ケンピンスキー氏は、戒めを守ることについてクリスチャンから尋ねられ、こう答えました。「律法を全うすることは救いとは何の関係もありません。律法を全うすることは、神の御心を果たすことに過ぎない。もし妻が心から望んでいる物を知っているなら、それを贈ることが妻への最大の愛でしょう。律法を果たすことが神の願いだと知っているなら、律法を成し遂げることは愛の贈り物となるのです」。興味深い答えです。

新約聖書でイエスもよく似たことを言われました。「もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。…わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します(ヨハ14:15、21

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神に対する私たちの愛が、神のみことばと戒めを守る行いによって神に認識されるのであれば、これは確かに真剣に受け取らなくてはなりません。愛する主に喜んでいただくためにはどうすればいいのかを知るために、みことばを読む必要があります。

上質の時間

聖書の冒頭を見れば、神の願いはアダムやエバと共に園で時間を過ごすことだったことが分かります。確かに神は、私たちと時間を過ごしたいと強く願っておられることが、聖書全体から明らかです。どうすれば神と上質の時間を過ごせるでしょうか。答えは簡単です。祈ったり、黙想したり、みことばを読むことです。しかし、神と過ごす時間を確保するのに苦労している人が大勢います。それを妨げるものが実に多くあるからです。けれども、娯楽に使う時間はあっても神と共に過ごす時間がないとしたら、神は私たちの愛を感じるでしょうか。

主はヨシュアに「このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである」(ヨシ1:8)と語られました。

イエスは神と二人きりで過ごす必要性を感じ、「群衆を解散させてから、イエスは祈るために一人で山に登られた。夕方になっても一人でそこにおられた」(マタ14:23

著名なクリスチャン著述家の一人であるアンドリュー・マーレーは「隠れた場所で神に祈るために世俗的なことを締め出し、すべての世的な考えや仕事から身を引いて神と二人きりで引きこもる。天の父なる神の臨在を実感することこそ祈りの最大の目的でなくてはならない」と述べました。

詩篇の記者は言います。「民よどんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。セラ」(詩62:8

使徒パウロは「たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい」(コロ4:2)と勧めました。

歴代誌第一16章11節は「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ」と教えています。

このようにわずかなみことばを見るだけでも、昼も夜も黙想し、心を注ぎ出し、献身し、常に神の御顔を求めよという強い勧めを発見できます。これから扉を閉じ、すべての妨げを締め出し、神と共に時間を過ごしましょう。

肯定的な言葉

私は肯定的な言葉を聞くのが大好きです。主はどうでしょう。聖書(特に詩篇)は、神を賛美し礼拝しなさいという命令で満ちています。神を賛美することが人のたましいにとって必要であることを、詩篇の記者たちは理解していました。賛美や礼拝に関するみことばが数多くあるということは、神ご自身も賛美と礼拝を好まれるに違いありません。詩篇150篇は、聖所と大空の下で楽器を使って賛美し、礼拝しなさいと語っています。34篇は「私はあらゆるときに 主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある」と歌い、149篇は踊り、新しい歌、会衆の礼拝、そして自らの床の上での賛美さえも加えています。

イエスは申命記6章13節のみことばを用いて、サタンに「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある」(マタ4:10)と言われました。

主を賛美し礼拝する気持ちになれない時はどうしたらいいでしょう。詩篇の記者、アサフは言います。「感謝のいけにえを神に献げよ。あなたの誓いをいと高き神に果たせ」(詩50:14

贈り物

神は私たちから贈り物を望まれるでしょうか。創造者なる神は、みことばによって何でも創造できます(イザ66:1-2参照)。その神に何を差し上げられるというのでしょう。

神は確かに私たちからの贈り物を望んでおられます。それは私たちの心です。へりくだり、砕かれた心、そして神ご自身とみことばを真剣に受け止める心です。

神は、罪のための捧げ物よりも、賛美の捧げ物に重きを置いたいけにえ制度を確立されました。ヘブライ語で捧げ物は「コルバン」と言い、「近付く」という意味の言葉から派生しました。神は常に私たちとの交わりを望んでおられます。私たちが捧げ物を携えて近付く時に、神は私たちの愛を認められるのです。

一方で、聖書には捧げ物や全焼のいけにえはそれほど大切ではないとする箇所も幾つかあります。

わたしが喜びとするのは真実の愛(ヘブライ語はヘセド)。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである」(ホセ6:6。ミカ6:6-8も参照)

イエスもこのことに言及されました。「『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」(マタ9:13)。二重かぎ括弧の中はホセア書6章6節からの引用です。マタイの福音書12章7節もホセア書を引用しています。

贈り物は神が愛を伝える方法でしょうか。はっきり分かりませんが、みことばを見ると、神がご自分の民に御国の目的のために共に働いてほしいと願っておられることは明白です。そこには、神殿やシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)、教会、ユダヤ人、神の家族への贈り物も含まれています。

神に愛を伝える方法

神は私たちの動機をご覧になるので、神を愛する心から出たものなら、どんな愛の表現も祝福になることでしょう。イエスは、自分の全存在をもって主を愛しなさいと言われました。自分のうちにあるすべてをもって神を愛するなら、実際の行い、賛美と礼拝の言葉、神との上質な時間、神への贈り物などによって愛を示し、神の心に触れようとするでしょう。

私が個人的に考える、最強の愛の表現方法は、実際の行いだと思います。「わたしを愛するなら、わたしの戒めを守る」ということばが、出エジプト記、申命記、ヨハネの福音書に出てくるからです。しかし、あなたは、神に愛を表す最善の方法を自分で選択し、決心することができます。重要なことは、神を愛し、神を自分の人生において最優先させることです。

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