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神は良いお方 -後編-

TEXT:レベッカ・J・ブリマー [BFP国際会長]

前編では、神がご覧になる良し悪しは、人の思いとは大きく異なることを学びました。後編では、ヨセフを通して、困難な時期に、いかに失望しないで神の答えを待つのかについて学びましょう。

失望から自分を守る

どのようにしたら、いらいらするほど長く思える準備の期間(試練の期間)の怒りや苦々しさ、失望から自分を守ることができるでしょうか。ヨセフはどのようにして、自分の心を純粋に保ったまま、痛みや苦しみの日々を乗り越えたのでしょうか。私たちは、神の御声を聞く能力が、怒りや赦せない思い、苦々しさによって阻害されることを知っています。実の兄から奴隷商人に売られたヨセフは、怒りを持っても全く不思議ではありませんでした。彼はどのようにして兄たちを赦し、神に信頼したのでしょうか。忠実に熱心に仕えても、ヨセフの周りに起こり続ける問題にどのように勝利していったのでしょうか。

ヨセフは誘惑に直面しても、潔白であり続けました。困難な状況下でも、常にその優秀さを発揮していました。そんなヨセフに、神はたとえ牢獄の中にあっても恵みを与え続けました。「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」(創世記39:21-23)

聖書では、牢獄で義人としてふるまった人が他にも見られます。パウロとシラスを思い出してくだ さい。彼らは、鞭で打たれた後、獄屋に入れられ、鎖でつながれました。真夜中に祈りつつ神への賛美を歌っていると、地震が起こって、彼らは奇跡的に解放されます。この状況に取り乱す代わりに、神の前で普段通りの信仰的な態度を守り通しました。彼らの人格に深く心打たれた牢の看守が、その場で信者になったほどです。

ライオンの穴に入れられたダニエル
Foster Bible Pictures

また、ダニエルの友人たちは激しく燃え盛る炉の中へ投げ込まれましたが、奇跡的に助けられました。ダニエル自身もライオンの穴に投げ込まれますが、神がライオンの口を閉じたので、何の害も受けませんでした。これらの記事から気付く点は、たとえ状況がどんなに困難であったとしても、神がご自分の子どもたちから離れず、常に共にいてくださるということです。

イエス・キリストは言われました。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)ユダヤ教のアートスクロールという注解書には、創世記39章21節について、次のように書かれています。「たとえ牢に入れられたとしても、それは単に神の恵みのさらなる現れを予兆するものでしかなかった。なぜなら、イスラエルに属する個人が束縛に苦しめられる時はいつも、言うなれば『…わたしは苦しみのときに彼とともにいて…』(詩篇91:15)と書かれているように、神の臨在(シャカイナ)がその人と伴われるからだ。」

預言者イザヤもまたこの真理を伝えています。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。…恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。」(イザヤ43:1-2、5)

準備期間は必要

神は、困難や衝突、迫害が全く無いような人生を約束されていません。そうではなく、牢獄やライオンの穴、燃え盛る炉のただ中にいる時に、主が私たちと共にいてくださると約束してくださっているのです。自分の状況がどうであれ、神がすべてを働かせて益とする計画を認める態度、心の姿勢をしっかりと持つ必要があります。ちょうどヨセフが、彼の身に起こったあらゆる恐ろしい出来事を経て、「神がすべてを益とし、このようになされた」と言ったようにです。

ヨセフは神のご計画を理解するまでに、22年もの間、忍耐しました。その間ずっと神がヨセフと共にいました。神はヨセフを助け、困難を克服する術に長けた人物へと成熟させました。私は、皆様が人生の困難に圧倒されてしまうことなく、むしろ嵐のただ中で、神を信頼しつつ忠実に信仰の道を歩んで行くことができますようにと祈ります。

私たちは準備期間を大切に歩むことを学ぶ必要があります。神と神のみことばを知らなければ、困難が襲ってくる日にしっかりと立ち続けることはできないでしょう。イスラエルへ来るまでに、私たち夫婦が過ごした8年間の待機期間に神が教えてくださった教訓の数々なしでは、イスラエルでの生活と働きに十分備えることができなかったでしょう。

ヨセフは、全能者とその力強い御業について学びつつ成長していきました。彼は、神が夢の解き明かしをするための能力を与えてくださっていることを知りました。奴隷として過ごした期間や、獄中で過ごした期間も含め、神が、ヨセフの全生涯をあらかじめ準備されていました。そして、神の時に御心を成し遂げられるよう、ヨセフに力を与え備えさせたのです。

忍耐

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」(ヤコブ1:2-4)

試練を克服する人とは、日常がもたらすあらゆる困難をものともせず、神に導かれるままに、忠実に前進し続ける人です。BFP(ブリッジス・フォー・ピース)の理事であり牧師であるジェス・ギブソンが、「神はいつもご自分の約束を守られます。でもあなたがあきらめてしまったら、約束は実現しないでしょう」と語るのを聞いたことがあります。多くの人は、困難な状況に差し掛かった時に、あきらめてしまいます。もちろん、ヨセフもあきらめてしまうことができました。自己憐憫(じこれんびん)に浸りつつ、入れられた牢屋の床に寝そべっていることだってできたはずです。しかし、彼は、そうしませんでした。彼は看守の役に立つようふるまい、獄中ですら価値ある教訓を学び続けたのです。彼は、神から与えられた数々の夢の実現を見るまで、長い年月の拘禁(こうきん)生活に耐えました。

ラビ・ダニエルS・ウォークは、「フウチョウボク現象」(※ 風蝶木[フウチョウボク]、地中海沿岸が原産の常緑小低木)というものについて記しています。フウチョウボクは、しばしば建物の壁から芽を出す、イスラエルにも生育する野生の潅木(かんぼく)です。ラビ・ウォークは、フランス領事館に行った時に、その美しい庭の調和を乱しているように感じられたフウチョウボクの茂みについて「なぜここにあるのか」、と園丁に尋ねました。それに対して園丁は「フウチョウボクの茂みを根絶することはできない。どんなに短く切り詰めても、また生えてくる」と答えます。

ラビ・ウォークは著書の中で、こう記しています。「フウチョウボクを根絶にすることなどできないんです。切っても切っても、その度に、ますます勢いを増して生えてくるんです。フウチョウボクは、どんな逆境にもめげず、絶対にあきらめません。こんなに生きる意欲が旺盛な植物に感心せずにいられません。われわれも、もっとフウチョウボクに見習うべきではないでしょうか。私はフウチョウボク現象(わずかなチャンスを逃さずにつかみ、前へとどんどん押し進むこと)の支持者となりました。誰もが皆、人生で、耐え難く重苦しいと感じる期間を経験します。笑いや、愛、満ち足りた思いなどの人生に活力を与える力が枯渇し、根元まですっかり切り取られてしまった!と感じる時です。私たちはどこに復活への光を見出すのでしょうか。それは私たちの内側からです。」

そして、次のように結んでいます。「私たちは人生から悲しみを取り除くことはできません。ですが、悲しみを克服し勝利することはできます。フウチョウボクは言っています。『私を切り詰め、私の枝々を剪定(せんてい)してご覧なさい。それでも私はいつか再び枝を生え伸ばすでしょう』私たちはフウチョウボクから学ぶことができます。」

フウチョウボクの花

この頑固なフウチョウボクを創造された同じ神が、私や皆様をも逆境を跳ね返す能力を持つ者として造られたのです。私たちは逆境に置かれても孤立させられることはありません。全能の神が共にいてくださいます。「『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。」(ゼカリヤ4:6)

神の計画は、私たち人間が良いタイミングだと思う時とは一致しないかもしれません。絶望の谷間を歩いていると感じ、それが益とは考えられないかもしれません。しかし、ちょうどヨセフの例と同じように、神はそれを良き目的を持って許されるのです。確かに、すべてのことが―神の時と方法により―働いて益とされるのです。

答えは神

全能の神が、この世の災いへの答えです。神のマスタープランは聖書に記されています。イスラエルでは、時々「今、メシアに来て欲しい」という看板を見かけます。確かにその通りです。世界はメシアを必要としています。創世記41章14節で、ヨセフは速やかにパロの前に連れていかれています。新改訳聖書では「人々は急いで彼を地下牢から連れ出した」となっています。ユダヤの伝統では「彼らは彼をせきたてて急がせた」と伝えられています。ユダヤの賢人スフォルノいわく「神の救いはすべての場合において、非常に素早く、予期しない形で起きている。同様に、メシアの来臨も、まさにマラキ書3章1節「『見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている』と万軍の主は仰せられる」と書かれている通り、突然、思いがけない形で訪れるだろう。」

私は「アーメン、主イエスよ、来てください!」と叫ぶ数多くのクリスチャンと声を合わせ叫ぶ者です。しかし同時に、私はこうも祈ります。どうか神の臨在が一人ひとりの上に望み、主の働きのために皆様を導き、召し、備えることができますようにと。

主が来られる日、私たちが忠実に御心を行っている様を見ていただくことができますように。

[参考文献]

  • Kendall, R. T. God Meant it for Good. Wilkesboro, North Carolina: Morningstar, 1986.
  • Riskin, Rabbi Shlomo. Torah Lights, Genesis Confronting Life, Love and Family. Jerusalem, Israel: Ohr Torah Stone, 2005.
  • Wolk, Rabbi Daniel S. The Time is Now. New York, New York: Dell Publishing, 1998.
  • Zlotowitz, Rabbi Meir. Bereishis (Genesis) Commentary. Brooklyn, New York: Mesorah Publications Ltd., 1980.

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