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「とりなし」に召されて -後編-

TEXT:シャリーダ・スプリンクル[BFP国際本部副編集長]

前編では、「とりなし」とは問題が解決するまで継続して祈る責務のことであり、犠牲的な祈りであることを学びました。後編では聖書に登場する実際のとりなし手をモデルに、さらに深いとりなしの世界を体験していきましょう。

モーセ(出エジプト記32・33章)

先月号でご紹介した、ユダヤ人とクリスチャンの理解と対話を進めているデイビッド・ネクルートマンは、「ユダヤ人は、モーセの祈りをとりなしの見本としてい る」と記しています。モーセは、うなじのこわいイスラエルの民のために、何度も大きな犠牲を払ってとりなしの祈りをしました。金の子牛事件の後、神は非常に怒 り、彼らを滅ぼし、モーセを通して新しい民を興すと宣言されました。しかしモーセはその提案を受け入れませんでした。「わたしのするままにせよ。」と言われる神 に対し、モーセはそうせず、代わりに、謙遜の限りを尽くしてへりくだり、犠牲的祈りを捧げました。「今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら―。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」(出エジ32・32)。ネクルートマンは、これを「霊的大胆さ(神に対する厚かましさ)」と呼びます。モーセは、反抗的な大勢の人々を救うために、第二のアブラハムになるような地位も名声も選びませんでした。

この物語にはさらに続きがあります。「わたしが途中であなたがたを絶ち滅ぼすようなことがあるといけないから。」(出エジ33・3)と神はモーセに、この民と共に行かないとおっしゃいます。神からの使いが彼らの前を行くが、主が行かれるのではないというのです。モーセはこれを受け入れることができなかったので、深いとりなしの祈りに入りました。そして、宿営の外に、特別の祈りの幕屋(会見の天幕)を張りました。

シナイの山々

モーセは、神がこの民を選ばれた目的を思い出していただこうとしました。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」(出エジ33・15―16)。神はアブラハムにしたように、モーセも試されました。神は、新しい国の指導者が、神の目的と一致したとりなし手となるよう望んでおられます。そうでなければ主がご計画した通りの国には決してなり得ないからです。

モーセのように偉大でなければとりなしの祈りはできないのでしょうか。いいえ。そうではありません。私たちの小さなとりなしの祈を必要としている人がいます。イザヤ58章6節では、私たちが、他の人々の「くびきのなわめをほどき」と言っています。イエスは、その時代の不正な宗教指導者らを非難しました。「彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。」(マタイ23・4)。私たちは「互いの重荷を負い合い」と言われています(ガラテヤ6・2)。その一つの方法がとりなしの祈りです。

ネヘミヤとエズラ(ネヘミヤ記1章、9章)

バビロンに捕囚されていたネヘミヤは、エルサレムの城壁崩壊のニュースを聞いて、城壁の再建を主に懇願しました。「私は…私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。…」(ネヘミヤ1・6)。彼の祈りには、いつも告白と悔い改めが含まれています。それに対して神は心を向けてくださるのです。ネヘミヤは自分自身を含め謙遜に、「私たちは…」と祈ります。それから、神に向って、人々を約束の地に戻すという主の約束を思い起こしていただこうとします。このように、私たちが神に約束を思い起こしていただこうとすることは、神の好まれることです。

およそ13年後に、城壁は完成しました。祭司エズラは、5万人もの人々の前で、一日の4分の1をかけて、神のことばを読み上げました。次の4分の1は、告白をして、彼らの神、主を礼拝しましたそれは23日間も連続して行われました。彼らの悔い改めの祈り(ネヘミヤ9・5―38)は、私たちが国のために祈るときのとても良い手本になります。

自分たちの罪を挙げた後、彼らは祈りました。「それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられるので、彼らをお捨てになりませんでした。」(ネヘミヤ9・17)。同じように、私たちも神に、主の約束を思い起こしていただきましょう。そして、神がどのようなお方であり、過去にどのような御業を成されたかを、私たちに思い起こさせてくださるように迫りましょう。神はこの祈りを喜んでくださいます。

エステル(エステル記4章)

エステルがモルデカイに頼んだ三日三晩の断食の祈りの詳細については、聖書に記録はありません。しかし、危機的状況の中で断食の祈りが必要であったことは容易に想像ができます。クリスチャンのマへシュ・チャブダ牧師は、「断食は、私たちの生活に、聖霊の力を解き放つのを助け…あなたの生活にあるすべての不要物を溶かし、取り除き、あなたを通して聖霊の流れが一層自由に流れるよう促します。」と書いています。奇跡が必要なとき、このことを真剣に考えることは大切です。モルデカイのエステルへの言葉は、すべてのとりなし手に動機を与える言葉となるでしょう。「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。…」(エステル4・14)

自分以外には誰もとりなし手がいないという状況に置かれることがあるかも知れません。私たちは他に誰か祈る人がいるだろうと考えたり、自分たちの祈りでは何も変わらないだろうと思ったりしがちです。しかしヤコブは言います。「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」(ヤコブ5・16)その祈りに断食を加えるならば、勝利をもたらす素晴らしい秘訣となるでしょう。(※断食をすることが御心のときには、主が断食をする力も同時に与えてくださいます。肉の努力による断食で律法主義に陥ったり、体を痛めることがないように、主に尋ね、御心を求めましょう。)

ダニエル(ダニエル書9章)

ネヘミヤと同じようにバビロンで捕囚の身にあったダニエルは、エレミヤの預言を読み、捕囚が70年続くこと、そして、捕囚が終わりに近づいていることを知ります。彼は、神に祈り、断食をし、荒布を着、灰を被って、願い求めました。祈りの第一声で、「あなたは、契約を守られる方である」と、神に思い起こしていただきました。彼の祈りの主語もまた「私たち」であって、「彼ら」ではありません。

それから、ダニエルはモーセが用いた論法の一つを用います。「…主ご自身のために、御顔の光を、…聖所に輝かせてください。…耳を傾けて聞いてください。…私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。」(ダニエル9・17―18)。「主の御名のために」と祈ることは、聖書に見られる祈りの原則です。「あなたは約束をされました。主がそれを果たしてくださらないなら、聖なる主の御名が汚されてしまいます。」(エゼキエル36・22―23参照)。私たちもまた、祈るときにこの論法を用いることができます。「確かに私たちはあなたに罪を犯しました。しかし、主よ、思い出してください。あなたは祈りに答えてくださるお方です。どうかあなたの御名が栄光をお受けになりますように・・・。」

変化をもたらす

個人であれ、国にかかわることであれ、私たちのとりなしは、変化をもたらすことができます。ある朝、ディボーションの時間に、カナダから来ていたボランティアスタッフが、クリスチャンのとりなしの祈りで国が変えられたという驚くべき証しをしてくれました。約15年前、カナダは深刻な危機にありました。政治スキャンダルによる混乱の中、経済がまひ状態になっていたのです。また、フランス語圏と英語圏の長年の溝によって、国が分裂の危機に瀕していました。

カナダの教会のクリスチャンに対して、神は、この国の問題の根源の一つは反ユダヤ主義の霊であることを明らかにしました。そのとき、主から、「土地を涙で満たせ」と命令を受けました。そして、何千人ものとりなし手が、ユダヤ民族に対して自分たち教会の犯した罪を悔い改めるために集まりました。そして、神は、「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」(Ⅱ歴代7・14)というみことばの通り哀れみ深く応答してくださいました。今、私たちはこのとりなしの答えを見ることができます。多くのカナダ人クリスチャンがユダヤ人のために立ち上がっています。今日、カナダは聖書を土台としてイスラエルを愛する首相が与えられ、さらに祝されています。あなたもあなたの国に変化をもたらすことができます。

イスラエルを愛するカナダの首相、
スティーブン・ハーパー

勇気を出して、私たち自身がとりなしにいつでも応じられるように準備しておきましょう。自分にはとりなしの賜物が与えられていないと思っていても、とりなしから除外されている人は誰もいません。これからとりなしの祈りをしてみようと思われる方にお勧めします。まず、10分から始めてみてください。カレンダーに、祈りの必要課題を書き込んで、週ごとに、または月ごとに祈っていきましょう。ぜひ本誌の「いのちの祈り」(P.15〜)を利用してください。教会の祈祷会に加わってください。一致の祈りには力があります。また、他の主にある兄弟姉妹の祈りを聞くことも学びになるでしょう。

神がとりなし手を誰も見つけられなかったイザヤやエゼキエルの時代とは違い、この21世紀には、主が「あなた」を見付けてくださるように準備しておきましょう。あなたが今、喜んでそのとりなし手としての犠牲を払われることを信じます。

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