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紀元1世紀のユダヤ人男性.パート1(ヨセフ) -後編-

TEXT:シェリル・ハウアー BFP国際制作責任者

前号ではイエスの育ての父ヨセフの人物像について、その当時に生きた人々の信仰や習慣、考え方を元に検証してまいりました。ヨセフは生活の中で神と家族に対しすべてを捧げて献身していた人物であり、それは彼の住む地域社会に対しても同様でした。

今回の後編では、ヨセフとマリヤにとって献身の舞台となった結婚関係を中心に、当時の人々の姿をさらに探ってまいりましょう。

責任ある結婚

ヨセフの住んでいた1世紀のユダヤ社会では、結婚は神の最初の命令に基づく義務であると見なされていました。それは、「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。……』」(創1:28)というみことばによるものです。イエスも創世記に記されている創造の秩序(創1:26-31、2:7、18-25)から結婚の意義を人々に教えています(マタイ19:4-6)。今日のユダヤ教では、男性の中に見られる神の性質と女性の中に見られる神の性質が結ばれたとき、神の全体像が現れるという考え方をしています。結婚という神の聖なる定めは、人類に罪が侵入する前も今も変わらない神の御心なのです。

(c)Israelimages / Liran Shemesh

また、子孫を残すことは結婚の重要な側面ですが、神の目的は子孫繁栄以上のものを含んでいます。トーラー(モーセ五書)においては、結婚の親密な関係によって夫婦に大きな喜びと幸福がもたらされることが期待されています。神の性質を現すという大きな目的のために、お互いに対し、そして神に対して献身し、二人の間で力強く健康な関係を作ることが重要でした。ですからヨセフの考える公式は、「ヨセフ自身+マリヤ+子どもたち=神の性質の完全な現れ」というものだったことでしょう。

愛とは

愛――この言葉を聞いて真っ先に思い起こす聖句として、「神は愛です」(Ⅰヨハネ4:8、16)を多くの人が挙げるかもしれません。イエスの弟子ヨハネが記したこのみことばは、神の本質が愛であることを示しており、これはすなわち聖書の中心的メッセージです。イエスご自身もマタイの福音書22章37節から40節において、次のように語っています。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

また、イスラエルにはこのような逸話があります。昔、多忙を極める商人が聖書を学ぶ時間がなかったため、ラビに聖書の中心的内容を一言で説明してもらおうと尋ねました。そしてそこで教わったことは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」(レビ19:18)ということでした。イエスと同じように、このラビも愛こそが聖書の核心だと教えていたのです。

1世紀のユダヤ人社会に生きたヨセフが認識していた「愛」は、言葉だけではなく実際に契約の民として、民族の歴史の中で体験したものでした。また、神と人とに献身する日常生活で経験する深い感情を表すものでした。

ヨセフの時代、若者は自分で将来の結婚相手と出会うことも可能でした。しかし多くの場合、縁談は両親かあるいは仲介者を通してまとめられていました。なぜなら当時も今日においてもユダヤ教では、女性の同意なしに結婚が決められることはなかったからです。ただし双方の家族が遠方に住んでいるなどの理由で、婚約を取り決める際に初めて花婿と花嫁が顔を合わせるということはしばしばありました。

ところが何世紀もの間、学者たちの多くが古代へブルの結婚関係を、ギリシャの結婚と似たものだと考えていました。それは、妻は息子を産むために必要な道具としてしか見なされず、愛のない困難な結婚生活で権威主義的な男性によって支配されていたというものです。しかし、このようなヘレニズム的結婚観はヘブル的な結婚とは全く異なるものです。

もし、結婚の目的が神の性質を反映するものであるなら、神の本質と同様に誠実で優しく、聖書に基づいた愛で満たされていなければなりません。実のところこれこそがヘブル的な理想だったのです。その当時の愛は、情欲、気まぐれ、悲壮的な姿勢など、今日の愛の姿に見られるようなものではありませんでした。そして、結婚の約束がとても重要なポイントとなっていました。ヨセフとマリヤは神に対し、そして互いに対してすべてを捧げる献身的な態度をもって結婚したのです。彼らは結婚が最初にあり、それから愛が生まれることを理解していました。その愛は好きという感情よりは決意であり、温かいぬくもりというよりは誓いであり、やがては心の絆に成長し、ロマンチックな愛と深い愛情を伴っていく結婚の約束だったのです。

イエスの親となるこの二人は、自分たちの結婚が契約であり、その契約が破られてはならないことを知っていました。結婚生活がうまくいくかどうかは神への献身、努力、そして行動力が要求されるということも知っていました。自分たちの文化や模範を通して彼らが学んだことは、夫婦が信仰生活を共に建て上げていく過程で経験する喜びは、非常に大きなものであるということでした。

家族の幸いは、ユダヤの歴史では重大な関心事でした。賢者たちはそのことについて膨大な時間を割き、「シャローム・ベイト(平和な家庭)」という一つの包括的な教えとしてまとめ上げました。男性は良い夫になるために細部にわたる教えを受け、そこでは妻に対して優しく寛大になるにはどうしたらよいかが特に強調されていました。シャローム・ベイトの原則では、夫は家で決して声を張り上げてはならず、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」という命令を守っているかどうかは、妻が愛されていると感じているかどうかで確認されました。

一つのパズル
三つのピース

古代世界にルーツをたどることができる、結婚に対するもう一つのユダヤ人の考えは、理想の相手に関するものです。後にラビがそれを発展させ、「バシェルト(理想の相手)」という教えとして知られることになります。ここでは、たとえその結婚が両親によって決められたものだとしても、神が真の意味での仲介者であるとしています。誰と誰が結婚すべきかを決めるのは神ご自身なのです。実際、神は互いがぴったり合うようにデザインされた一つのパズルのピースのように男と女を創られるのです。完全な夫婦関係は三つのピース、つまり、神が中心におられ、その両脇に二つのピースがはめ込まれるように共にいることができる、特注で創られた二人で構成されます。ただし、神によって結婚に導かれたとしても、二人の間に労苦が全く無くなるということは保障されていません。実際に、力強く喜びに満ちた協力関係を立て上げるための努力が双方に要求されています。しかしそうであっても、神が中心におられることに変わりはありません。

ヨセフの時代には、「バシェルト(理想の相手)」のような明文化された教えはありませんでした。しかし、神を中心とし、神のことばに従う生活を通して神の栄光を現したいという共通の願いがありました。おそらくヨセフは、彼の父親であるヤコブからこのような言葉を聞いたことでしょう。「男性は妻に与えられるべき名誉について、絶えず心掛けていなければならない。なぜなら妻の配慮なくして夫は自分の家で祝福を経験できないからだ」。また、マリヤは結婚関係が尊敬と助け合いの上に立て上げられていくものだということを母親から学んでいたことでしょう。彼女は創世記2章18節に記されている「助け手」という言葉には、「等しい力」という意味があることを認識していました。そして、ヨセフと平等なパートナーであることから生じる責任についても理解していました。神聖な結び付きを建て上げるに際して、それぞれが果たすべき重要な役割があったのです。

聖書はヨセフよりもマリヤについて多くを語っていますが、彼女を養い、愛し、素晴らしい息子を守る責任はすべてヨセフの肩に懸かっていました。父なる神の代わりにイエスの父となるために選ばれたのが彼だったのです。ヨセフはその使命にふさわしい男性でした。アブラハム・イサク・ヤコブの神に対して献身的であったヨセフは、私たちが見習うべき際立った存在だと言えるでしょう。

私たちへの適用

ヨセフの時代から現在に至るまで、ユダヤ人の間には「ティクン・オーラム」という考え方があります。その言語の意味は「世界の正常化」です。これは、創造時に存在した秩序ある世界の再樹立のために果たすべき人類の役割を表す観念で、再創造されるその世界はメシア来臨によってのみ完成するものとされます。一言で表現するなら、信仰を行いによって表すということです。行いを通して周囲に神の栄光を証しし、良い影響を及ぼし世界を変えていくというものです。そうすることでこの地上に御国(神の支配)を広げ、メシアの来臨に備えるのです。信仰を行いで表すということは、十字架によって贖われた私たちが、みことばを聖霊によって実践することと共通しています(Ⅰコリ10:31、ヤコブ2:17)。それは神への愛、献身の現れです。神を中心としてヨセフとマリヤはこれを実践したのです。

終末時代を生かされている私たちには、第二ペテロの手紙3章11節から14節のこのみことばが適用されるでしょう。

「このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」

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