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メシア -後編-

レベッカ・J・プリマー/BFP国際会長(CEO)

黄金門 (c)Israelimages / Hanan Isachar

前号では「メシア」という言葉の意味とユダヤ人のメシア観、そして、イエスがご自分のメシア性を当時のユダヤ人に明確にお示しになっている箇所を挙げ、学びました。

イエスは少年時代から、神を「わたしの父」と呼んでおられました。ロバート・リンゼイ博士は、この表現の重要性を次のように語っています。

「シナゴーグの祈りでは、『天にいます私たちの父(アビィヌ)』という言葉が何度も繰り返されています。イエスも弟子たちに『天にいます私たちの父』という言葉で始まる祈りを教えられました。しかし、当時のユダヤ人が、『わたしの父(アヴィ)』という言葉を使うことはありませんでした。

旧約聖書の中で『わたしの父』と呼ばれている箇所は、来るべきメシアについて書かれている詩篇89篇26節の一箇所だけです。そこには『彼は、わたしを呼ぼう。「あなたはわが父(アヴィアター)、わが神、わが救いの岩。」』と書かれています。ここからも分かるように、当時神を『わたしの父』と呼ぶ権利をもっておられたのはイエスだけでした。

私はイエスの時代のラビが人々に、『天におられる私たちの父』と言うように教えていたという確信があります。なぜなら『わたしの父』という言葉は、メシアのためだけに取っておかれたからです。第二サムエル記7章14節にも、『わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。』というメシアに関する預言があります。これは、来るべきメシアが神の子であることを最初に示したものです。詩篇89篇26節、第二サムエル記7章14節、詩篇2篇7節には、メシアが神の子であることが示されていますが、そこには『神の子』という表現は出てきません。代わりに、『彼は、わたしを呼ぼう。「あなたはわが父」』、『わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。』、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』という表現が使われています。これがメシア性を説明するヘブル的方法なのです」。

預言の成就

イエスが故郷のナザレでシャバット(安息日)の礼拝に参加したとき、前に出てイザヤ書を読むように促されました。イエスは巻物を開いてメシアについての預言が書かれているイザヤ書61章1節から2節をお読みになりました。

「『わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。』イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。『きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。』」(ルカ4:18-21)

会堂にいた人々は、イエスが自分をメシアだと宣言していることに驚きました。それからイエスはしばらく説教を続けましたが、「これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエスを町の外に追い出し」(28、29節)と書かれており、故郷の人々がイエスをメシアとして認めなかったことが分かります。しかし、イエスはメシアであることの大きな証明として、メシアだけが成し得るとされていた病の癒やしを各所で成就されました。

(c)Israelimages / Israel Talby

明確な宣言

聖書には、イエスがご自分をメシアだと宣言された記事が数箇所あります。ヨハネの福音書4章で、サマリヤの女と話しをされたとき、会話の中で女はイエスに、「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」(ヨハネ4:25)と言いましたが、この女に対してイエスは、「あなたと話しているこのわたしがそれです。」という明白な宣言によってご自分のメシア性を示されました。

また、イエスは大祭司カヤパ他、長老や律法学者たちの前で裁きを受ける前に、ご自分がメシアであることを宣言されました(マタイ26:57-68、マルコ14:53-65、ルカ22:66-70、23:2)。マルコの福音書には、大祭司がついに直接イエスに「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」(61節)と尋ねたと書かれています。それに答え、イエスは「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」(62節)と言われました。

ロバート・リンゼイ博士は以下のように述べています。

「イエスがメシアであり、神の子であると宣言されたことに議論の余地はありません。大祭司と律法学者たちはイエスのメシア宣言をはっきり理解していたにもかかわらず、それを信じませんでした。なぜなら、イエスを処罰するためピラトの前に引き出したのはこの理由によるものだったからです。イエスが神を冒涜したと考えた者もいれば、イエスの宣言を神によるものだと考えた者もいました」。

イエスはご自分がメシアであることを知っておられ、機会あるごとにそれを示しておられました。ヨハネの福音書17章3節では、「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたわたし(イエス・キリスト)を知ることです。」と、父なる神に祈られました。

シモン・ペテロが、「あなたは、生ける神の御子キリスト(メシア)です。」という立派な信仰告白をしたとき、イエスは、「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」(マタイ16:16、17)と答えられました。

イエスの初臨の目的は、人類の罪のために死に、世界の救い主となり、聖なる神の臨在の中に入る道を備えることでした。このときイエスはすべてではありませんが、メシアに関する預言の多くを成就しておられます。今、私たちは残りの預言が成就するのを熱心に待ち望んでいるのです。

イエスは異邦人世界にだけ、メシアとして来られたという人がいます。しかしイエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません。」(マタイ15:24)と言われました。またイエスは天に上る前に、「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」(マタイ28:19、20a)と言って、異邦人に神の御国の祝福にあずかる機会を提供するご計画を示されました。神殿でシメオンは、「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」(ルカ2:29-32)と言って、同様の預言をしています。神の救いはいつでもすべての人のものです。同時に、それはイスラエルの民の受ける光栄でもあるのです。

イエスのヘブル的世界を理解する

この短い学びで見てきたように、イエスは間違いなくご自分をメシアだと見なしておられました。イエスは、「わたしはメシアである」とか「わたしは神の子である」と言われませんでしたが、1世紀のラビ的方法でご自分がメシアであることを明確に示されたのです。イエスの言葉を理解するために大切なことは、主が身を置いていたヘブル的世界をクリスチャンが理解する必要があるということです。

ロバート・リンゼイ博士はこのように指摘しています。

「福音書は、ヘブライ文化を土台としたラビ的思索を背景に書かれたものだということを、いつも心に留めていなくてはなりません。今日のクリスチャンにとって、これは全く馴染みのないことです。しかし、聖書の中に隠された言葉や概念はヘブル的なものであり、その意味を知るとき、今まであいまいでよく分からなかったことが明確になるのです。イエスが誰であり、彼が何を語られたのかをもっとよく知りたいなら、イエスの語られた言語と生活していた環境についてもっと学ばなければなりません」。

将来の希望

クリスチャンとして、私たちは熱心にイエスの来られるのを待ち望んでいます。確かに私たちは預言者が預言した多くの終末の印を目にしています。

しかし、主の来臨を待ち望んでいるのは私たちだけではありません。私たちの友であるユダヤ人の中にも聖書の預言が成就して、ハオラム・ハバ(来るべき世界)が来るのを待ち望んでいる人がたくさんいます。シロに住む正統派ユダヤ人デイビッド・ルビンは、聖書を信じるユダヤ人とクリスチャンが一つになるとき、この日が来ると信じています。

(c)Israelimages / Israel Talby

ルビンは「主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。」というゼカリヤ書14章9節を引用して、こう説明しています。「言葉を換えて言えば、この日、『メシアの疑問』などの神学問題というユダヤ人とクリスチャンの間に存在した混乱と不一致がなくなるのです。かつてユダヤ人の流血と苦難を招くきっかけとなり、その理由ともなった神学的不一致は過去のものとなるのです。その日、神をほめたたえるにふさわしい方法がすべての人にはっきり示され、神をほめたたえたいという願いによって、世界中の人々が今までになかったほど一つになるのです」。

ここ数年、私はメシアについて、正統派のラビを含む大勢のユダヤ人と何度も話しをしました。そこでよく語られるのが、メシアが来られたとき、「主よ、あなたは以前ここに来られましたか?」と質問しようという話しです。

そのような語らいの中で、ユダヤ人の友達から、「あなたは、天国へ行く道にはユダヤ人の道とクリスチャンの道の二つがあると信じているのですか?」と尋ねられました。私は「二つの道がある」と答えることは決してできませんでした。そして「『聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』(申6:4、5)のみことばを信じています」と回答しました。また、「メシアが誰であるかということについて一致できないかもしれません。でも神が一人であるように、メシアも一人です。そしてメシアが来られたとき、私たちは共にメシアに従うでしょう」と言いました。そのメシアが誰であるかは、皆様ご存知の通りです。

メシアが間もなく来られ、私たち全員が待ち望んでいる喜びの時代に、メシアご自身が招き入れてくださる日を私は熱心に祈り、待ち望んでいます。

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