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ヘブライ語で学ぶ詩篇

詩篇を学ぶために知っておくこと-2

詩篇が書かれた背景

旧約聖書の詩篇を正しく読むには、詩篇が書かれた時代背景と詩篇を書いたユダヤ人たちの信仰を正しく理解することが必要です。なぜなら、聖書の言葉は、「すべての人たちのため」に書かれていますが、詩篇の言葉を執筆したユダヤ人著者たちは、その当時、「神の民として選ばれたイスラエル人」を対象にこれらの詩を書きました。そのため、当時のユダヤ人の視点に立ってこれらの詩を読まないと、詩篇の持っている本当の美しさと霊的な力を体験することはできません。

詩篇を読む時に大切なのは、神がユダヤ人と結んでいた「モーセ契約」について理解することです。現代の私たちには、「モーセ契約」と言われてもあまりピンと来ないかもしれません。また、なぜ「モーセ契約」が詩篇と関係あるのか、理解できないかもしれません。しかし、当時のユダヤ人にとって、「モーセ契約」が日常生活の基盤となっており、彼らの信仰生活はそれ無しに考えることはできませんでした。

イスラエルと神との特別な契約

「モーセ契約」とは、神と、指導者モーセによって導かれていたイスラエルの民の間で結ばれた条件付きの契約のことです(出エジプト19:24)。主は、モーセを通して、エジプトから救出されたばかりのイスラエルの民に対して、「今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」(同19:5-6)と言われました。主は、イスラエルの民を「ご自分の民にする」と約束されたのです。イスラエルの民は、そのような素晴らしい特権を与えられましたが、主の声に聞き従うことが求められました。イスラエルの民は皆、口をそろえて、「私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。」(同19:8)と答え、神とイスラエルの民の間で「モーセ契約」が成立したのです。

イスラエルの民に与えられたユニークな役割

この契約が成立したことによって、イスラエルの民には特別な役割が与えられました。それは、彼らが「祭司の王国、聖なる国民」となることです。「祭司」の役割とは、罪びとが聖なる神と和解できるように両者の間をとりなすことです。つまり、イスラエルの民は、神の掟を守ることによって、この世界に主の存在と恵みと力を示し、その神と和解できるようにとりなす役割が与えられたのです。

契約に基づいた祝福と災い

主は、イスラエルの民に、「祭司の王国、聖なる国民」として生活できるよう、祝福と災いを約束しました。

祝福の約束はこうです。「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。」(申命記28:1-2)もしイスラエルの民が主に従うなら、主ご自身が彼らの敵を蹴散らし、彼らのすべての手の業を祝福し、「地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう」(同10節)と言われました。

しかし、もしイスラエルの民が主から離れ、主の聖さを国々に示すことを放棄すれば、祝福と真逆のことが降りかかると言われました。「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。」(同15節)もし、彼らが主を捨てて、悪を行うなら彼らのすべての手の業に、のろいと恐慌と懲らしめとを送り、ついに彼らを根絶やしにして、すみやかに滅びるようにされると言われました(同20節)

これらの約束は、「個人」に対して与えられたのではなく、神の民として選ばれた「イスラエル民族」に与えられていました。当然、神の掟に従って個人が歩むことによって、個人の信仰は報われましたが、この契約の条件を満たすことと、それに応じた報いは、神の民に「民族単位」で与えられていました。そういうわけで、詩篇には、個人の悔い改めではなく、民全体が主に立ち返り、民全体に主を選ぶように教える表現が多いのです。

契約に関連したキーワード

このような契約の下にいたイスラエルの民は、神との特別な関係を思い出すためにいくつかのキーワードを用いました。
それらの中で特に大切な言葉を二つだけ紹介したいと思います。

一つは、神の名前で、「ヤハウェ」という呼び名です。旧約聖書の中で、神はご自身をさまざまな呼び名でお示しになりましたが、この呼び名は、神がイスラエルの神として現れた時にお示しになった呼び名で、イスラエルの民との契約を思い起こさせる特別な名前です。この呼び名は、旧約聖書の中で6800回ほど使われますが、その内780回ほどが詩篇の中で登場します。

日本語訳聖書では、この呼び名を「主」と訳しています。新改訳聖書で、この特別な名前が使われている時は、太字の「主」を採用することによって、普通名詞の「主」と混乱しないようにしています。また、口語訳聖書と新共同訳聖書は、太字でない「主」を採用しています。そのため、「ヤハウェ」と普通名詞の「主」の区別はつきません。文語訳聖書は、「エホバ」という表現を用いています。

ここで大切な事は、この呼び名が使われる度に、ユダヤ人は、神との契約を思い出し、主の掟に従って歩む責任を思い起こさせられたということです。

二つ目のキーワードは、「ヘセッド」と言う言葉です。新改訳聖書は、この単語を「恵み」と訳し、新共同訳聖書は、「慈しみ」と訳す傾向があります。しかし、この言葉は、神がすべての人に与える恩恵を示すのではなく、神と契約関係を持っている民に対して神が示される特別な善意、誠実さ、また、恵みの事を指します。つまり、神がイスラエルの民をご自身の宝とされた事によって、神がイスラエルの民に示される特別な愛情と誠実さの表れを示す言葉なのです。この言葉は、旧約聖書の中で248回使われますが、その内の半数(128回)は詩篇に登場します。ユダヤ人は、この言葉を用いる度に主の契約に対する誠実さと彼らが受けるに値しない恵みを思い起こさせられたのです。

教会時代の契約

ユダヤ人は、神の民として「モーセ契約」のもとに生まれ、そこに含まれている数多くの律法を守ることによって、神の「ヘセッド」を体験することができました。しかし、現代の教会時代に生きる私たちは、ユダヤ人のように「モーセ契約」のもとにいるのではなく、「キリストの契約」のもとにいます。旧約時代に生きていた神の民は、モーセを通して与えられた律法を守ることによって契約の条件を満たしました。しかし、新約時代に生きている私たちは、イエスから与えられた律法を守ることによって神の特別な恵みを体験することができます。

キリストの律法とは、教会が、神を愛する表れとして、隣人の重荷を背負い合う事によって、お互いを愛し合うことです(ガラテヤ6:2、Iヨハネ4:21)

詩篇に登場する義人とは、モーセの律法を守っている人です。しかし、新約時代の義人は、キリストの律法に基づき、神を愛し、隣人を愛している人です。ですから、イスラエルの民が主の律法に従うことが励まされている箇所を読み、それを教会に当てはめ、教会全体が隣人を愛することに徹しているかを考える時に、詩篇の言葉の本来の意図を理解できていると言えるでしょう。

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