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ティーチングレター

イスラエルに関する予言を解き明かす12の鍵 Part-2

BFP編集部 2003年7月

6月号のティーチング・レターで、イスラエルの預言について解き明かす「12の鍵」のうち、5つの鍵を学びました。

ユダヤ人は、民族絶滅にかかわるほどの迫害や苦難を幾たびも受けてきました。しかし、神は決してご自身の民と彼らに対する計画をお忘れにはなりませんでした。そして、彼らをもう一度救い出し、その地を回復し、彼らを一つの民、一つの国家としてあがなうとおっしゃいました。(エゼキエル36章

この預言的な過程は、今からわずか百年前に始まったばかりであり、現在も全力で進行中です。神は間もなくやって来られるメシアのために、イスラエルの地と民を整えておられるのです。聖書はこの国に対する預言で満ちています。イスラエルは、もうすでに用済みとなって捨てられたのではありません。彼らに対する神のあわれみは永遠に続くものです。彼らは以前から神のご計画の一部であったし、今日もそうです。神のご計画を信じる何百万ものクリスチャンが、ユダヤ民族を迫害する代わりに、エルサレムの平和のために祈り、神のご計画を支持する側に立っています。

今回のティーチング・レターでは、残りの7つの鍵について学んでまいりましょう。

第6の鍵

イスラエルのちりでさえ、民はいとおしむ

詩篇の著者は、シオンの回復について次のように語っています。「あなたは立ち上がり、シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来たからです。まことに、あなたのしもべはシオンの石を愛し、シオンのちりをいつくしみます。こうして、国々は主の御名を恐れ、地のすべての王はあなたの栄光を恐れましょう。なぜなら、主はシオンを建て、その栄光のうちに現われ……。」(詩篇102:13-16)

9世紀に近代考古学が始まって以来、聖書の舞台であるイスラエルの地には、かなり力を入れて研究が進められてきました。聖書の預言者たちは、古代のイスラエルの町々が再建されることを語っています。20世紀に入り、ユダヤ人の考古学者たちは、何千もの遺跡を調査し、それらが聖書時代に確かに存在した場所であるという事実を証明しました。発掘するための時と資金が満たされるまで、それらの遺跡の保存には細心の注意が払われました。聖書でも特に重要な町々の跡が発掘され、その近くには古代と同じ名をもつ、現代の町が建てられています。まさに、「いにしえの町々が復活する」と預言者たちが予告した通りです。

この国では、土木や建築の現場で聖書時代の遺物の一つでも発見されようものなら、一つの道路、一つの家屋とて、そこに築くことはできません。イスラエルの過去を傷つけないように、それまで建てられていたものは取り払われるか、別の場所へ移動されます。

イスラエルでは、「すべての国民が考古学者だ」と言われています。専門家というわけではありませんが、たいていの人が考古学についての素養を身に着けています。彼らはまさに、「シオンの石を愛し、シオンのちりをいつくしんで」います。どんな発見も、この地における彼らの過去を、さらに明らかにするものだからです。発掘現場では貴重な発見物を損なうことがないよう、小さなはけを用いながら苦労してちりを取り除きます。

今日、エルサレムの町は考古学の庭です。すべての人がその歴史を楽しみ学べるようにと、発見されたすべての遺跡が保存されています。エルサレムは、歴史上かつてなかったほどに、そのサイズも人々も大きく成長しています。詩篇102篇では、イスラエルの人々がその地の石やちりを愛し、神がシオンを建てられる時、主がエルサレムに栄光をもって現れると記されています。すでに成就したその他の預言と共に、このみことばについて考えるとき、主ご自身がエルサレムに来られるのを見るのはそう遠くないと言えるでしょう。

第7の鍵

神は石から肉へと民の心を変えられる

預言者エゼキエルは、エゼキエル36章で、大いなる終わりの日の奇跡について語っています。私はそれを「イスラエル預言の三つのアール(R)」と呼んでいます。第一に、「シオンの民の帰還(Return―リターン)」です。それについては、第3、4の鍵に記しました。第二に、「地の回復(Restoration―レストレーション)」です。これは第5の鍵に記しました。そして最後のRは、「イスラエル人の心のあがない(Redemption―リデンプション)」です。

「わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」(エゼキエル36:24-28)神はイスラエルの地を、ユダヤ人のために選ばれました。この、「土地」「民族」の両者がそろわなければ、この地に繁栄はありません。土地と民の再結合が、両者の物理的・霊的繁栄の鍵であることを、神は明示しておられます。

私たちはこの目で、両者の繁栄・発展を見ることができます。イスラエルの民は、“完全さ”からはほど遠いのですが、ここを訪れる人々の心は、確実に神と聖書に引き付けられます。この国の文化は聖書的です。国家の祭日は聖書由来の暦によって定められ、公の建物および公園などには、随所にデザインされたみことばが刻まれています。政府が執り行う式典では、ほとんどの場合、聖書が読まれます。また、国全体で聖書の学びが行われています。聖書は、「この地も民も、神のご計画と目的のゆえに存在している」と述べています。その神の目的とは、イスラエルをとおして、全世界があがなわれることです。彼らは神によらず、この尊い使命を全うすることはできません。

今、イスラエルにいるすべての人々が、しっかりと聖書のみことばに従っているでしょうか。いいえ。しかし、聖書を一度も見たことがなく、神について聞いたこともない旧共産圏から来た何万何千人ものユダヤ人について考えてみてください。今、イスラエルの地で、彼らは聖書を読み、神について聞き、公に神を礼拝しています。彼らの多くにとって、これは生涯初めての体験です。聖なる地で、彼らは神に出会いつつあります。神は御民の心を、ご自身の下へと引き戻しておられるのです。

第8の鍵

神は異邦人を用いてご自身の国と民を祝福される

イザヤは言いました。「まことに、島々はわたしを待ち望み、タルシシュの船は真先に、あなたの子らを遠くから来させ、彼らの金銀もいっしょに、あなたの神、主の名のために、イスラエルの聖なる者のために運んでくる。主があなたを輝かされたからである。外国人もあなたの城壁を建て直し、その王たちもあなたに仕える。実に、わたしは怒って、あなたを打ったが、恵みをもって、あなたをあわれんだ。あなたの門はいつも開かれ、昼も夜も閉じられない。国々の財宝があなたのところに運ばれ、その王たちが導かれて来るためである。」(イザヤ60:9-11)

ローマ書11章17―24節では、「異邦人はイスラエルの契約・約束・希望である“オリーブの木”に、接ぎ木されている」と教えられています。私たちが木を支えているのではなく、木が私たちを支えているのです。ですから、私たちは神の民イスラエルに向かって誇ることはできません。同章28節で、「族長たちのゆえに彼らは愛されている」と記されています。ユダヤ人が忠実に唯一の神に対する信仰を守り、聖書を伝えてこなかったならば、彼らをとおしてメシアが来られることもなく、私たちクリスチャンに主イエスの救いはなかったでしょう。それで、聖書はこう結論づけています。「……あなたがた(ユダヤ人)の受けたあわれみによって、今や、彼ら自身(異邦人)もあわれみを受けるためなのです。」(ローマ11:31)

パウロは、私たちクリスチャンはユダヤ人に対して「支払うべき負債がある」ことを教えています。

ローマ書15章27節は、はっきりこう述べています。「彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。」クリスチャンとイスラエルおよびユダヤ民族の関係について、これ以上明確に語っているみことばがほかにあるでしょうか。

第9の鍵

神は約束を守るお方であることを諸国民に示される

エゼキエル書36章で、神は世界の諸国民に、ご自身の約束とみことばを忠実に守ることを示すため、イスラエルの地と民を回復されることを宣言しておられます。「この荒れ果てた地は、通り過ぎるすべての者に荒地とみなされていたが、耕されるようになる。このとき、人々はこう言おう。『荒れ果てていたこの国は、エデンの園のようになった。廃墟となり、荒れ果て、くつがえされていた町々も城壁が築かれ、人が住むようになった。』と。あなたがたの回りに残された諸国の民も、主であるわたしが、くつがえされた所を建て直し、荒れ果てていた所に木を植えたことを知るようになる。主であるわたしがこれを語り、これを行なう。」(エゼキエル36:35-36)

神はご自分を偽ることができないお方です。ご自身が約束されたことを不履行にされることは決してなさいません。エレミヤは「あなたの真実は力強い。」と述べています(哀歌3:23)。ひとたび神が語られるなら、そのみことばは成就します。これこそ今日、神の地と民を回復するために、神が天と地を動かしておられることの原動力です。エゼキエルが告げた通り、現代のイスラエルに対する御業をとおして、聖書と神を無視するこの世に、ご自身の忠実さを示してくださっているのです。

世界の民は、神の預言が成就しつつある現場を見ています。興味深いことに、多くの人が神の真実を見ることにより、主に触れられました。イスラエル国家が誕生して後、教会、そしてユダヤ民族すらも刷新され、成長してきました。預言が実際に成就されていることをとおして、人々は神が実在されていることを、単なる哲学の領域を出て、日常の現実の中に見いだしました。神は、人とかかわりをもつことを選び取られるお方です。聖書時代と同じく、再び物理的な方法で、ご自身の民イスラエルとかかわりをもっておられます。証明される必要はないとはいえ、神の成されることを「見る」ということをとおして、多くの人々が信仰に導かれています。

第10の鍵

エルサレムは異邦諸国の手から移り、エルサレムの町で神への礼拝が回復する

ルカ伝21章20-24節は、ローマ帝国によって紀元70年、そして紀元135年に起こった「エルサレムの崩壊とユダヤ民族の離散」を預言しています。それ以降、ユダヤ人によるエルサレム統治はただの夢物語でしかありませんでした。再びユダヤ人がイスラエルで主権を回復することを、誰が想像できたでしょうか。

しかし、旧約聖書の多くの預言者たちは、この回復がやがて成されることを信じていました。ルカも同様です。24節にルカはこう書いています。「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」しかし、これは“異邦人の時”が終わるまで、つまり、主イエスの福音が宣べ伝えられ世界の国々が真の神に立ち返るまでの、しばらくの間だけです。それが終われば、神は再びその目をイスラエルの地、そしてその町エルサレムに向けられます。

1967年、ルカ伝に記されたイエスの預言が実現しました。紀元135年から1967年まで、異邦人の手の中にあったエルサレムが、ついにユダヤ民族の手に戻ったのです。1967年6月の有名な「六日戦争」時、イスラエル人が世界に離散してほぼ1900年後のことでした。この時撮影された、嘆きの壁で祈るイスラエル兵士たちの姿に、この瞬間の神聖さがありありと表されています。古代の聖都が、再び彼らのものになったのです。

果たして神は、この聖なる都を再びイスラエルから切り離し、イスラム世界にお与えになるでしょうか。興味深いことに、新約聖書のどこにも“パレスチナ”という名称は記述されていません。ただイスラエルとエルサレムがあるだけです。“エルダト”(イスラム教徒のエルサレムの呼び名)と呼ばれるイスラムの町にではなく、エルサレムにイエスが戻って来られるという聖書の記述に注目しましょう。

エルサレムを巡り、やがて闘争が起こるでしょうが、その戦いの源は霊的なものです。神はシオンにその御座を再確立するために働いておられます。神の敵はそれを好みません。しかし最終的に神が圧勝され、諸国民はエルサレムで唯一の神を礼拝するでしょう。

信仰をもった異邦人が従うべき律法を確立するために、エルサレム会議が招集されました(使徒15章)。そのとき、ヤコブはアモス書9章11-12節を引用しました。そこには、メシアが来られたときに、ユダヤ人と異邦人が共に神の御名を賛美し、エルサレムが回復することが記されています。「この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。」(使徒15:16-17)

ゼカリヤは、「主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ」のを見ました(ゼカリヤ14:4)。諸国民(異邦人)は、エルサレムで神を礼拝する民の中に加わるでしょう。16節に次のように記されています。「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。」この聖なる町エルサレムにおいて、すべての民が礼拝を捧げるという栄光ある日に向かって、歴史は動いています。その時エルサレムに神の平和と臨在があふれ、唯一の神だけがその宮で礼拝されるでしょう。

第11の鍵

神は諸国民を裁くために、イスラエルを世界の焦点とする

ゼカリヤは、終わりの日にエルサレムが非常に重要な場所となることについて明確に語っています。「見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲されるときに。その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。」(ゼカリヤ12:2-3、9)

“その日”、神はエルサレムを「世の国々を裁く基準」として用いるとおっしゃっています。ちょうど、神がご自身の栄光を諸国民に示すため、イスラエルの地と民を用いられたようにです。イスラエルに対する態度によって、神は各国の動向を試されます。この意味で、エルサレムは神のリトマス試験紙と言えるでしょう。「あなたは、私が間もなくやって来る準備をしていることが分かりますか。また、この地に対するあがないの計画を理解し、エルサレムを回復するというわたしの意志を支持しますか。それとも、それに抵抗して戦いますか。」と、主は国々に問われています。神のご意志に対抗して戦う国々には、御怒りをもって破滅の裁きが下されます。

今、ここに一つの質問があります。「メシア来臨に向けて準備するため、神がイスラエルを回復しつつあります。ユダヤ人のメシアは、分割されたイスラム教徒の町に来られるでしょうか。それとも、神への礼拝が行われている、ユダヤ人の町に来られるでしょうか。」エルサレムをもう一度分割しようと求める諸国家は、イスラエルとユダヤ人に対抗して立ち上がるでしょう。

第12の鍵

神の民は帰還を続け、再び捕囚としてこの地から連れ去られることはない

今、ここに一つの質問があります。「メシア来臨に向けて準備するため、神がイスラエルを回復しつつあります。ユダヤ人のメシアは、分割されたイスラム教徒の町に来られるでしょうか。それとも、神への礼拝が行われている、ユダヤ人の町に来られるでしょうか。」エルサレムをもう一度分割しようと求める諸国家は、イスラエルとユダヤ人に対抗して立ち上がるでしょう。

あるイスラエル人の批評家は、ここで取り上げている“ユダヤ人の帰還”に関する預言は、今日のイスラエルに当てはまらないと言います。彼らは、これらの預言はみな、ユダヤ民族がバビロン捕囚から紀元前6世紀に帰還した時に成就したと言います。しかし、私たちが生きているこの時代に、これらのみことばが成就していることが、これから学ぶ節ではっきりと分かります。そして歴史上他のいかなる時代にも、これほどの規模でユダヤ人の帰還が起こったことはありませんでした。バビロンからの帰還は、来るべきより大きな出来事の、影絵のような存在にすぎません。

アモス書9章14-15節を見るとき、ここで語られている捕囚は、明らかにアモス自身が語っているものでないということが分かります。「『わたしは、わたしの民イスラエルの捕われ人を帰らせる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない。』とあなたの神、主は、仰せられる。」“わたしが与えた地から再び彼らが引き抜かれることは決してない”という最後の節にご注目ください。バビロンから帰還した後、ユダヤ人たちは再び、全世界に散り散りとなりました。この事実からだけでも、アモスが別の捕囚と帰還について語ったことは明らかであり、それはローマによる捕囚と今日の帰還で成就している、と私は信じます。

これは私たちにとって、何を意味するか

先月、そして今月のティーチング・レターで取り上げた、この「12の鍵」は、水晶玉を使って将来の占いをしようと試みたものではありません。むしろ、聖書の預言の多くが、私たちが生きているこの時代にどれだけ成就してきたかを示すための学びでした。私にとっても、そして他の多くの人々にとっても、神が今日働いておられるのを見ることは、信仰が成長する手助けとなります。

私たちの信仰を、単なる哲学や宗教的な義務としてではなく、イスラエルの生ける神とのかかわりの中で、生き生きとした歩みへと変えていきましょう。神はご自身の民イスラエルのために奇跡を成就するだけでなく、教会のためにもご計画を成してくださいます。クリスチャンもユダヤ人も、共にメシア来臨の時が近いことをわきまえる必要があります。それゆえ私たちは、神の真理を求め、大きな霊的危機に直面しているこの傷ついた世界に、神の救いのメッセージをもたらすため、共に働こうではありませんか。

エルサレムからシャローム

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