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ティーチングレター

徹底的に調査しなさい

文:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

約束の地を前にしながら、その地に入ることが許されなかったイスラエルの民。
その原因を探りながら、私たちの信仰生活の教訓としてまいりましょう。

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スパイと聞けば、戦時中の話や最近読んだスパイ小説を思い浮かべるかもしれません。聖書にもスパイ(斥候(せっこう))にまつわる有名な話があります。今回はそのうちの二つの物語を見ていきましょう。一つはモーセが遣わした12人の斥候の話、もう一つはヨシュアがエリコに遣わした斥候の話です。

10人の斥候の大失敗(民13〜14章)

モーセは、神がイスラエルに約束された地を偵察させるため、部族ごとに一人ずつ、族長(計12人)を遣わしました。彼らは、斥候として40日かけてその地を徹底的に調査すると、その良い地とそこに住む巨人について報告しました。

10人の族長たちは一目置かれている人々でしたが、その地を征服することは不可能だと言いました。「……『あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。』……『私たちが行き巡って偵察した地は、そこに住む者を食い尽くす地で、そこで見た民はみな、背の高い者たちだ。私たちは、そこでネフィリムを、ネフィリムの末裔アナク人を見た。私たちの目には自分たちがバッタのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。』」(民13:31〜33

二人の斥候がこれに反対しました。ヨシュアとカレブです。イスラエルの民は泣き叫び、残念ながらその地に入らないことを決めました。彼らは、モーセに代わって自分たちをエジプトに連れ帰ってくれる人を指導者にしようと画策します。ここで主は怒りを発せられました。

その結果、その世代のイスラエル人は40年間荒野をさまよい、20歳以上の男性は全員荒野で死に絶えました。何という失敗でしょう! 一世代が全員滅びることになったのです。

ティシャ・ベ・アブの悲劇

ティシャ・ベ・アブ
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ティシャ・ベ・アブ(聖書暦のアブの月の9日)は、ユダヤ人にとって一年で最も悲しい日です。この日ユダヤ人は食と水を断ちます。なぜ嘆きの日なのでしょうか。ユダヤ史上、最も恐ろしい悲劇の数々が起こった日だからです。

最初に記録されているアブの月9日の出来事は、10人の斥候が悪い報告をもたらした民数記の物語です。第一神殿と第二神殿が破壊された日もアブの月9日でした。さらに、1290年のアブの月9日には全ユダヤ人がイギリスから追放され、1492年の同日、スペインから追放されました。1941年の同日(8月2日)、ナチスドイツの指導者ハインリヒ・ヒムラーは「ユダヤ人問題の最終的解決」を正式に承認しました。こうしてホロコーストが始まり、ユダヤ人のほぼ3分の1が殺されてしまいました。

何が悪かったのか?

この10人のイスラエル人たちは神を信じていなかった。そんなことがあり得るでしょうか。イスラエル人は紅海を渡り、超大国エジプトへの災いと勝利を体験しました。
イスラエル人が約束の地の偵察に行ったのは、エジプトを出てから約1年後のことです。その年、イスラエル人はシナイ山でトーラー(モーセ五書)を受け取り、昼には雲の柱、夜には火の柱を見ています。なぜ今回も神を信頼できなかったのでしょうか。

恐れた。そのため間違った視点で物事を見てしまいました。10人の斥候は、尊敬されていた族長であったにもかかわらず、恐れのあまり神の力と素晴らしさを忘れてしまったのです。

真理に耳を傾けることができなかった。真理とは、ヨシュアとカレブの語った次の言葉です。「もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない」(民14:8〜9

あるユダヤ文書によると、イスラエル人は荒野の生活が気に入っていたとあります。必要なものはすべて神から与えられ、宿営の中心には神の臨在があり、家族のために働く必要もなく、常に神の臨在に浸っていられたからです。

いかなる動機であれ、神は怒られました。「主はモーセに言われた。『この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。わたしは彼らを疫病で打ち、ゆずりの地を剥奪する。しかし、わたしはあなたを彼らよりも強く大いなる国民にする。』」(民14:11〜12

この世代のイスラエル人は約束の地に入ることができず、神が定められた時を逃しました。自らの行動が将来を台無しにしたのです。約束の地に入るチャンスが与えられたのは、次の世代の者たちだけです。しかも40年後に。

二度目:40年後

ヨシュアはエリコを探るため再び斥候を遣わします。二人の斥候は身分を隠し、密かにエリコへ向かいました。聖書にその名は登場しませんが、ユダヤの伝統によるとカレブとピネハスと言われています。非常に尊敬されていた敬虔(けいけん)な人物たちです。

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Sweet Publishing/wikimedia

エリコに入った二人の斥候は遊女ラハブの家を訪れます。ラハブは宿屋の主人だったと語るユダヤの賢人もいます。いずれにしてもラハブの家は旅人がよく訪れる場所でした。聖書によると、斥候たちのことを聞いたエリコの王は彼らがスパイだと気付き、ラハブに二人を連れてくるよう命じます。ラハブは王の命令に反し、うそをついて斥候たちを隠すことを決めました。

なぜラハブは、王に逆らうという危険を犯したのでしょうか。その理由をラハブは次のように説明しています。

主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちがあなたがたに対する恐怖に襲われていること、そして、この地の住民がみな、あなたがたのために震えおののいていることを、私はよく知っています。あなたがたがエジプトから出て来たとき、主があなたがたのために葦の海の水を涸らされたこと、そして、あなたがたが、ヨルダンの川向こうにいたアモリ人の二人の王シホンとオグにしたこと、二人を聖絶したことを私たちは聞いたからです。私たちは、それを聞いたとき心が萎えて、あなたがたのために、だれもが気力を失ってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天において、下は地において、神であられるからです」(ヨシ2:9〜11

ラハブの言葉は、神の御業に基づく信仰を表しています。これこそ最初の斥候たちに欠けていたものです。ラハブは、王によって被るかもしれない結果よりも主を恐れました。イスラエルの子らが特別な目的のために召されていることを知り、イスラエルの側に立つ決心をします。

10人の斥候たちは正しい視点を持っていませんでした。実は「巨人たち」のほうがイスラエル人を恐れていたのです。恐れと不信仰は神がなさることを見えなくし、その反逆は彼らの未来を奪いました。

一方、エリコに行った斥候たちは違いました。二人は帰ってくると、ヨシュアにこう告げます。「主はあの地をことごとく私たちの手にお与えになりました。確かに、あの地の住民はみな、私たちのゆえに震えおののいています」(ヨシ2:24

神の約束を受けることを妨げるものは?

信仰が欠けているのでしょうか。それとも状況を恐れたり、神のご計画に逆らったり、現状に安住し過ぎているのでしょうか。

個人的にはすべての理由に共感できます。私も全く同じことに屈した時があるからです。それに対して聖書は何と語っているでしょうか。

信仰

さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。……信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです」(ヘブル11・1、6

ラハブはこの章にも現れます! 「信仰によって、人々が七日間エリコの周囲を回ると、その城壁は崩れ落ちました。信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びずにすみました」(ヘブル11・30〜31

恐れ

愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです」(Ⅰヨハ4:18

たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。あなたが ともにおられますから」(詩23:4

反逆

あなたがたの心を頑なにしてはならない。メリバでのように 荒野のマサでの日のように。あなたがたの先祖は そこでわたしを試み わたしを試した。わたしのわざを見ていたのに。四十年の間 わたしはその世代を退け そして言った。『彼らは心の迷った民だ。彼らはわたしの道を知らない。』そのため わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して わたしの安息に入れない。』」(詩95:8〜11

自己満足――快適さにおぼれる

神のご計画以下に甘んじてはなりません。神がラオデキヤの教会に言われたことばを聞けば、身震いすることでしょう。

わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す」(黙3:15〜16

ラオデキヤの教会は自己満足に陥り、神を必要としませんでした。私の祈りは、私たち全員が神のことばを受け取り、神のご計画を理解する信仰を持ち、神の時を悟り、神の誠実な本性(ほんせい)に従って前進することです。

神は海の中に道をつくり、民のために奇跡を行われ、彼らの父祖と結ばれた約束を守り、旅の間、夜は火の柱となられました。

10人の斥候のような過ちを犯さないようにしましょう。神はあなたをご計画の場所に連れていくことができるお方です。恐れ、信仰の欠如、自己満足、反逆のために、神の導かれる人生からそれることがないように祈っています。

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