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御国のくびき -後編-

文:テリー・メイソン(BFP国際開発部長)

前号では御国のくびきについて学びました。
それは重荷とはならず、私たちがより効率的で効果的な働きするために役立つものです。
現代の私たちにも、主は「わたしのくびきを負いなさい」と呼び掛けておられます。

Photo by Robert C/Pixabay

神の命令は重荷とはなりません。なぜなら、愛する天の父が私たちの最善を願ってお与えになったものだからです。詩篇119篇では、神のみことばとそこから得られる知恵をほめたたえています。176節からなる最長の詩篇ですが、今回の学びの一部としてぜひお読みください。この喜びにあふれた詩篇の中で、神の命令は「みおしえ」「戒め」「おきて」「さとし」「仰せ」「道」など、さまざまな名称で呼ばれています。

幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々」(詩119:1-2

主よ。あなたのおきての道を私に教えてください。そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。私に悟りを与えてください。私はあなたのみおしえを守り、心を尽くしてそれを守ります。私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから」(詩119:33-35

どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。あなたの仰せは、私を私の敵よりも賢くします。それはとこしえに、私のものだからです。私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが私の思いだからです」(詩119:97-99

私はあなたの救いを慕っています。主よ。あなたのみおしえは私の喜びです。私のたましいが生き、あなたをほめたたえますように。そしてあなたのさばきが私の助けとなりますように。私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません」(詩119:174-176

この詩篇は文字どおり最初から最後まで神のみことばの価値と祝福を解き明かしています。これほどまでに素晴らしい命令を与えてくださった方のくびき(誠実な契約)を受け入れずにはいられません。

今日の教会のために

主の「律法」(命令)は良いもので、現実の問題とも関わりがあり、祝福だと考えるクリスチャンはあまり多くありません。「旧約聖書」(ヘブライ語聖書)は廃棄され、もはや必要ではなくなったという教えが今日復活しています。神は御心を変えられ、かつての優れた命令を廃止されたのでしょうか。そんなことはありません!神は変わることのないお方です。「主であるわたしは変わることがない。ヤコブの子らよ。あなたがたは、滅ぼし尽くされない」と、マラキ書3章6節で神は宣言しておられます。

イエスはマタイの福音書11章28-30節で、次のように言われました。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(強調筆者)。これは当時のラビがよく使った表現です。ここで言う「くびき」とは、イエスが理解し実行しておられた神の戒めのことでした。私たちはイエスの弟子として、神のことばが与える素晴らしい戒めのくびきを受け入れるかどうか決断しなくてはなりません。神は戒めを通して、優れた生き方を示しておられます。すなわち、神を喜ばせ、世界に良い変化を起こす生き方です。

1世紀の初代教会の文書『ディダケー』でも、「主のくびき」という用語が使われました。「ディダケー」とは「教え」を意味し、この文書は「十二使徒の教え」とも呼ばれています。教えること、あるいは道徳を教えることを意味する「didactic」(ディダクティック)という言葉も、同じギリシャ語から派生しました。ディダケーは新しく信者になった異邦人の指導書でした。同書の6章2節には「もし主のくびきを全部負うことができたなら、あなたは完全になるだろう。もしできなければ、できることをしなさい」と書かれています。言い換えるなら、「天の父が完全なように、完全」(マタ5:48)になりたければ、できる限り「主のくびき」を守るように努力しなさい、ということです。これは人生における優れた命令であり、それに従うことで知恵が与えられます。主のくびきを負うとは、信者の人生における弟子訓練と聖化の進行の過程を指しています。使徒パウロは弟子のテモテに言いました。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」(Ⅱテモ3:16-17

当時の信者が手にすることのできた「聖書」はタナハ(創〜マラ)だけです。イエスも「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます」(マタ5:17-19)と証言されました。すべての主の戒め(命令)を守ること、これが目標です。ディダケーの著者はそうなるためには時間が掛かることを知っていました。詩篇119篇1節、34-35節には「幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。…私はあなたのみおしえを守り、心を尽くしてそれを守ります。私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから」と書かれていますが、私たちもこの記者と同じ心を持つようになる必要があります。

「くびき」という用語がイエスの時代にどのように使われていたかが分かると、今日の自分の生活に正確に適用できるようになります。もう一つのためになる文献はイエスの時代よりも約200年前に書かれた外典です。知恵を求める価値について言及しており、箴言2〜4章を思い起こさせます。「わたしのそばに来なさい、無学な者たちよ、学舎で時を過ごしなさい。なぜ、いつまでもそのままの状態でいるのか。お前たちの魂は激しく渇いているのに。わたしは口を開いて語ってきた、知恵を得るのに金はかからないと。軛(くびき)の下にお前の首を置き、魂に教訓を教え込め。知恵はすぐ身近にある。目を開いて見よ。わずかな努力で、わたしが多くの安らぎを見いだしたことを」(シラ書51:23-27、新共同訳)

ここでも教訓(主のくびき)と知恵(休息)が緊密な関係にあることが分かります。1+1=4の法則が働いているのです。イエスの招きを耳にした者は、イエスの恵み深い勧めがどのようなものかをはっきりと理解できたことでしょう。事実、イエスは使徒パウロに「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(Ⅱコリ12:9)と語り、パウロも「私が弱いときにこそ、私は強いからです」(同:10)と述べました。パウロは自分の力で仕えようとせず、へりくだる時に力強い神の助けを見つけることを知っていたのです。パウロはこの真理を、苦難の多い人生で経験した試練を通して学びました。そしてピリピの教会に「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリ4:13)と叫ぶことができたのです。

招きのことば

これから皆さんはどのような決断をするでしょうか。聖書の神、イスラエルの神が唯一真の生ける神であると認めますか。神の御国のくびき、戒めのくびきを負いなさいという神の勧めを受け入れますか。このくびきは、神の優れた命令であり、創造主による取扱説明書なのです。神はご自分と共に弟子訓練のくびきを負って義の訓練を受けるよう提案しておられます。救いのためというよりむしろ聖化のためです。神は、私たちが神の本性と栄光を世に輝かせる、きよい生活を送ることを願っておられるのです!「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです」(ヨハ14:15)。このイエスのことばは、ご自分との麗しい関係の中で共にくびきを負うようにあなたを招くことばです。

 

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