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御国のくびき -前編-

文:テリー・メイソン(BFP国際開発部長)

「くびき」という言葉を聞くと、一般的には自由を束縛するイメージがあります。
しかし、イエスはご自分のくびきを負うようにと勧めました。
御国のくびきを負う時、私たちは自分一人の力では切り開くことのできない道を突き進んでいくことができます。
ご一緒に御国のくびきを負う幸いを考えてまいりましょう。

くびきでつながれた牛

くびきでつながれた牛を使って畑を耕した経験がありますか。私はアフリカに住んでいた数年間、幸いにもこの古代の農耕方法を実践する機会がありました。最初はとても大変な仕事だと思います。自分の力ですきの刃をコントロールし、真っすぐな畝(うね)をつくろうとしてしまいがちだからです。しかし、放っておいてもくびきとすきの間の鎖は自然に引っ張られ、時々調整するだけで真っすぐに進むことがすぐに分かってきます。強い力を持つ牛に仕事をしてもらえばいいのです。

くびきとは何か?

神に従う弟子は、王なる神のくびきを負うかどうかを自分で決めなくてはなりません。くびきを負うことの意味を理解するために、まずくびきが何であるかを知る必要があります。現代社会では、くびきを実際に見たこともなければ使ったこともない人がほとんどです。農業従事者であっても、機械化された今の時代にくびきを負った家畜を使ったことのある人はほぼいません。くびきとは木や鉄で出来た器具のことで、動物の首や肩に装着し、2頭の動物を並べて引っ張る器具です。くびきでつながれた2頭の牛を「一くびきの牛」と言ったりします。こうした表現は、エリシャが12くびきの牛を使って耕したという聖句(Ⅰ列王19:19-21)に出てきます。エリシャは一くびきの牛を取ってほふり、くびきで火を起こして牛の肉を料理しました。

農業用語でも聖書用語でも、人や物にくびきを負わせることは否定的で厄介なことと考えられがちです。例えば、神の命令に従った結果与えられる祝福と、従わなかった結果起こる呪いについて詳しく説明している申命記28章48節では、次のように警告されています。「あなたは、飢えて渇き、裸となって、あらゆるものに欠乏して、主があなたに差し向ける敵に仕えることになる。主は、あなたの首に鉄のくびきを置き、ついには、あなたを根絶やしにされる」。この「くびき」とは、エレミヤが5回にわたりイスラエルに警告した「バビロンの王のくびき」(エレ27章28章)のことで、イスラエルが直面した敵による抑圧と奴隷状態を指しています。

また、くびきは、王が自分の国の民衆に課す税金や強制労働を指す場合もあります。第二歴代誌10章11節では、新しく王になったレハブアムが性急な若者たちの助言を受け、12部族に「私の父(ソロモン)はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう」と答えました(括弧内筆者)。その結果、イスラエルの分裂という悲劇が生まれてしまったのです。

天の御国のくびき

しかし、くびきを負うことは必ずしも悪いことだけではありません。ユダヤの伝統では「御国のくびきを負う人」は、完全に神への奉仕に献身してこの世で神の道を前進させる人を指します。ユダヤ教百科事典で「くびき」の項目を執筆したルイス・イサク・ラボニッツは「ユダヤ人は、神への奉仕に献身するために人間への隷属から解放されるべきだという原則がある。この原則によれば『人間の王国のくびき』と『天の御国のくびき』は対照的である」と言いました。同様にイエスも「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」(マタ6:24)と教えています。

また、くびきは悪いものどころか、むしろ受け入れるように強く勧められています。イエスは「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(マタ11:28-30)と語りました。恵み深い招きです。しかし、これは実際にはどのように機能するのでしょうか。実は、1+1=4になるのです。

2頭の動物が力を合わせるなら労力は半減し、1頭が引っ張れる量の合計よりも、さらに多くの物を引っ張ることができます。例えば、1頭の馬は3600kgの荷物を引っ張ることができます。では2頭の馬を荷物につないだらどうなるでしょう。2頭では7200kgの荷物を引っ張ることができると思いますが、実は違います。実際には3倍の荷物、つまり1万8百kgの荷を引っ張ることができます。

それだけではありません。もし、共に訓練を受け、一緒に働いたことがある2頭の馬をつなぐなら、引っ張れる荷物の重さは3倍ではなく、4倍になります。

イエスのくびきを負うなら、たましいに安らぎが来ます

私は実体験として、同じくびきにつながれた家畜の共同作業の効果を断言できます。しばらくの間同じくびきにつながれた、経験豊富な家畜と仕事をするのは楽しいものです。家畜は所有者の命令を知っており、一致して行動し、スムーズで効果的に働きます。これは自然に起こるものではなく、訓練が必要です。経験の無い若い牛を訓練するために、経験豊富な年上の牛と同じくびきにつなぐことはよくあることです。「つり合わないくびき」を負ったチームに仕事をさせるのは大変です。例えば、若くて力の無い家畜と強くて年を取った家畜を同じくびきにつなぐと、若い家畜は自分勝手に振る舞ったり、畝の終わりで止まらなかったりすることがよくあります。しかし、たとえ扱いにくかったとしても、これが若い家畜の最善の教育方法なのです。

私たちが神の命令を受け入れ、神の道に歩むことを選び、喜んで神と同じくびきを負うなら、自分で苦闘するよりも楽に人生を送れます。イエスがご自分のくびきを負うよう呼び掛けられる時、イエスの念頭にあるのは私たちにとって最善の道だけです。神の道に歩めば歩むほどより神と近くなるのです。哀歌には「人が、若い時に、くびきを負うのは良い」(哀3:27、強調筆者)とさえ書かれています。

この「若い時に負うくびき」の解釈は注解書によって大きく異なりますが、おそらく神の命令や労苦、困難のことでしょう。若い時に困難に耐えて乗り越えた人は、確かに後の日に力と知恵を増し加えられます。訓練や困難の最中にそれらを喜んで受け入れる人はめったにいません。しかし、後になって考えると、人生の早い段階で私たちを形づくった経験に感謝することを学びます。

ヘブル人への手紙12章11節には「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」とあります。訓練中の若い家畜のように私たちもくびきにいら立ちを覚えるかもしれません。けれども、くびきのおかげで最後には神に栄光を帰する義の実が人生の中で実るのです。

御国のくびきのユダヤルーツ

ユダヤの共同体の祈りでは毎日、天の御国のくびきを負うことについて祈ります。これは通常、神の指示と命令に喜んで従うことだと考えられています。モシェ・ウェインフェルドは著書『第二神殿時代の標準的・派閥的ユダヤ教』の中で、天のくびきを負うことをシェマーの概念と関連付けています。シェマーは、申命記6章4節「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである」から取られた、ユダヤ人の素晴らしい信仰告白です。シェマーは「聞く」という意味の意義深いヘブライ語です。単に受動的に聞くのではなく、行動する意識をもって理性的に聞くのです。「イスラエルの神はおひとりであり、唯一であることを聞いて理解しなさい。それに基づいて神との関係を持ち、神の命令に従いなさい」という意味です。この観点から見る時、御国のくびきを負うということは、すなわち忠誠を誓うということだとウェインフェルドは指摘します。「シェマーの告白の中で信者は全宇宙の王に忠誠を誓っているのです」

王の支配と判断に従う人々がいなくては王国は成り立ちません。シェマーを毎日唱える時に、敬虔(けいけん)なユダヤ人はまず王である神に忠誠を誓い、次に神の命令に従うことを誓うのです。御国にはこの二つが必要です。

後編では、今日の私たちが負うべき御国のくびきについて考えます。

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