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岩の裂け目の中に -後編-

文:キャシー・ディガクネ(BFPスタッフライター)

何事においても土台に何を据えるかは重要なことです。
私たちは何を土台とすべきでしょうか。物事が急速に変化する不安定な時代にあって、堅固な土台の上に堅く立てるよう聖書から学んでまいりましょう。

エン・ゲディの滝 Noam Armonn/shutterstock.com

わが岩、わが砦

詩篇の記者たちが、神を「わが岩」と表現した中に、神の守り、信頼性、力、不変性がすべて言い尽くされています。血に飢えたサウル王から逃れていたダビデは荒野を熟知していました。彼は乾いて荒れ果てた地に身を置き、太陽の強烈な熱さと、元気を回復させる岩場の陰や、洞窟の陰の涼しさを知っていたに違いありません。

ダビデは神を自分の岩、守り主、飼い主、「右の手をおおう陰(詩121:5)」になぞらえました。焼けつくような暑さと苦難の中で、神が盾となり自分を心身共に安全に守ってくださるとダビデは確信していたのです。

ダビデは、崖がそびえ立つエン・ゲディのオアシスをしばしば隠れ場としました(Ⅰサム23:29)。そこにはわき出る泉と豊かな飲み水があり、食料となるアイベックス(野生のヤギ)もいました。また、自分を捜し出す任務に燃えた3千人のサウルの軍隊の姿が見えると、近くの洞窟に逃げ込むこともできました。ダビデがサウルの衣の裾をひそかに切り取ったのも、エン・ゲディそばの洞窟の中でした(Ⅰサム24章)。何年もの間ダビデはサウル王のわなを巧妙に回避しましたが、これは明らかに神がダビデを熱心に守ってくださったからに違いありません。

ダビデが立っていたのは、岩なる神の約束(ダビデ契約)という堅固な土台の上です。神はダビデにイスラエルの王座を約束し、その約束は完全なる神の時に成就しました。神はご自身が語られたことを成し遂げられる、信頼できるお方だからです。ダビデの安全に注意を払いながら、神はその約束を果たされました。だからこそダビデは「神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない(詩62:2)」と宣言できたのです。

生ける岩

恐れるな、おののくな。わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があろうか。ほかに岩はない。わたしは知らない(イザ44:8)

ルカの福音書19章には、イエスがロバに乗ってオリーブ山を下り、エルサレムに向かう話が出てきます。群衆は道端に列をなし、イエスの行く道に上着を敷き、弟子たちは「祝福あれ。主の御名によって来られる王に(=ユダヤ人がメシアを迎える言葉)」と大声で神を賛美しました(38節)。この叫び声が気に障った宗教指導者たちは、群衆の中からイエスを呼んで弟子たちを叱るよう要求します。それに対しイエスはこう答えました。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます(40節)

ロバに乗りエルサレムに向かうイエス
(ジェームズ・ティソ画)
Photo by Wikimedia

実際に岩が音を出すことを20世紀になって科学者たちが発見しました。イエスはその事実を明らかに知っておられたのです。岩の出す音は、通常は周波数が低すぎて人間の耳には聞こえません。しかし巨大な岩が集まる幾つかの場所では、ハンマーで叩くとチャイムのような明瞭な金属音を出す岩が含まれていることがあります。

科学者たちはこの奇妙な現象を「生ける石」と呼びました。私たちにはなじみ深い名前です。使徒ペテロはイエスを描写する時にこの言葉を使い、「人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石」と呼びました。ペテロはさらにイエスを信じる者たちについても、「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい(Ⅰペテ2:4-5)」と語っています。

私たちクリスチャンはイエスが生ける石であり、この石の上に教会が建てられ、堅く築き上げられると信じています。ペテロは、イエスがピリポ・カイザリヤで語った次の言葉を思い出したのかもしれません。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません(マタ16:18)」。ペテロはその岩が誰であるのかを知っていました。だからこそ、それはイエスであるとペテロの手紙第一で宣言したのです。

キリスト教の教えでは、イエスに従う者たちはイエスにならう者となるように命じられています。弟子もまた「生ける石」と呼ばれ、キリストの教会を建てるために用いられなくてはなりません。私たちは揺れ動く砂の上ではなく、岩の上に建てられた霊的な家です(マタ7:24)。その家は嵐の中でも堅く立つことができます。私たちのうちには聖霊が住んでおられ、堅い交わりによって主と一つになっているからです。

堅く据えられた礎

私は建築家の家に生まれました。どの建造物であっても、その建築と設計には多大な技術と誇りがつぎ込まれています。しかし私たちは、その建造物がいつか寿命を迎え、取り壊されて別の物が取って代わるという悲しい現実を知っています。

古代都市カイザリヤ・マリティマの遺跡がある地中海沿岸の浜辺には、部分修復された劇場と円形競技場があり、町の全盛期の壮大さをしのばせます。この町は、優れた設計者かつ建築家としてのヘロデ大王の天才的な創造力を示しています。しかし、ヘロデがこの壮大な建造物を永久に後世に引き継ごうと努力したにもかかわらず、建造物のすべては今では廃虚となり、ヘロデの輝かしい業績をうかがわせるのは海抜マイナス4.5mにある有名な町の港だけです。

ヘロデの遺跡は崩壊しました。地中海沿岸の柔らかく不安定な砂の上に建てられていたため、嵐や波、地震などで浸水してしまったのです。ヘロデは自らの類いまれな才能という揺れ動く砂を信頼し、そこに土台を据えました。しかしその能力には最初から期限がありました。もし、自らの遺産を永く残したいのなら、土台を据えるべきは、その御名と本性(ほんせい)が永遠に残る方の上でなくてはなりません。

礎の石

だから、神である主は、こう仰せられる。『見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない』(イザ28:16)

シオンに据えられた礎の石

シオンとしても知られるエルサレムはユダヤ人の中心です。また、モリヤ山(神殿の丘)は霊的拠点であり、そこを中心としてすべてが回っています。アブラハムがイサクを縛り、犠牲として捧げようとしたことをヘブライ語でアケダーと言いますが、その場所はモリヤ山だったとみことばに書かれています。ところがアブラハムが「目を上げて」見ると、やぶに引っかかっている1頭の雄羊がいたので、アブラハムは息子の代わりにその雄羊を捧げました。「そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、『主の山の上には備えがある』と言い伝えられている(創22:14)

モリヤ山の上にソロモンは主の神殿を建てました。主は「わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある(Ⅰ列王9:3)」と約束しておられます。神のご臨在は、モリヤ山に据えられた「礎石(ヘブライ語でエベン・ハシェティヤ)」と呼ばれる石灰岩の岩盤の上に永遠にとどまるのです。ユダヤの伝承では世界はこの礎石を土台とし、この礎石の上でつくられたと言われています。この礎石が世界の中心であり、ここから世界は始まり、四方八方に広がっていったというのです。シェティヤはヘブライ語で「飲む」という意味もあります。それは賢者たちが、この礎石の下に世界中の飲料水の源があると信じていたからです。

イスラエルの岩

1948年5月14日に国家が再建されて以来、イスラエルにとって聖書という土台は不可欠なものとなっています。イスラエル建国の父たちは、イスラエルの独立宣言の中に「イスラエルの岩に信頼を置く」という文言を確かに盛り込むようにしました。一人の世俗主義者がこれに反対しましたが、この言葉は動きませんでした。ダヴィッド・ベン=グリオンは「誰もがそれぞれの考え方で『イスラエルの岩』を信じている」と語りました。

この「イスラエルの岩」という言い回しは実際の国土、エレツ・イスラエルを指していると考える人もいます。一方、信仰を持つ人にとって「イスラエルの岩(ツル・イスラエル)」と言えば「イスラエルの神」のことです。ツルは岩や断崖、もしくは山を指します。この言葉どおり、イスラエル国家はイスラエルの神の上に堅固に打ち立てられているのです。力と忍耐があり、信頼に足る神は、敵対する近隣諸国に囲まれたこの新しい国家を確実に守ってくださるでしょう。歴史が証明するように、神はご自分の民に忠実であられ、天の守りで民を取り囲み、ご自分の御手で覆われ、優しく岩の裂け目に隠されるのです。

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