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現代の教会へ −コリントからの教え 後編

TEXT:シェリル・ハウアー(BFP国際開発部長)

コリントの教会から、現代にも通じる教えを学んでいます。前編に続き、当時盛んであったほかの三つの異教の神々について、また、その影響下で新たにクリスチャンとなった信者が、どのように過去の世界観を刷新できるのかを学びます。

パウロが戦った異教の神は、アフロディトやアポロだけではありませんでした。

3.アスクレピオス 癒やしの神

パウロ時代、多くの人々が癒やしを求めてコリント郊外のアスクレピオス神殿に集いました。礼拝者は癒やされたい体の部分を粘土でつくって神殿に携え、その粘土製の器官は神殿の周りにつり下げられました。学者の中にはパウロが第一コリント12章で、「ひとりひとりは各器官であり、全体で一つのからだをなす」と言った時、このような捧げ物のことをほのめかしたと言う人もいます。パウロはコリントの人たちに、体の一部が苦しめば、すべての部分が共に苦しむという信者の一致を教え、その調和をつくり出すことができるのは唯一真の神だけであることを思い起こさせたと言います。アスクレピオス神殿に慣れ親しんでいた人々にとってはそれが強力な視聴覚教材となったことでしょう。

アスクレピオスの娘である女神たちのカルトも文化を害していました。ヒュギエイアは清潔と食事への強い執着、アグライアは美と外見への執着を起こさせました。パナケイアを礼拝する者は、この女神がすべての病を癒やす万能薬をもつと信じていました。

4.キュベレー 偉大な母

ギリシヤ神話の母神キュベレーは羊飼いアッティスと恋に落ちます。彼が彼女を裏切った時、彼女は彼の正気を失わせ、彼は狂気の中で自ら性器を切り落として死にます。キュベレーは服喪後、アッティスをよみがえらせます。このカルトの祭儀は非常に極端で、祭司たちは音楽と踊りで狂乱状態に陥り、ナイフや割れたガラスで自分の体を深く切り付けます。痛みや傷によって霊的優位に立ち、信者の人生を支配する力が得られると信じていたからです。信者は儀式の間、太鼓やどらやシンバルを鳴らし続けます。

パウロが第一コリント13章でどらやシンバルについて語っていますが、これはコリントの聴衆に深い影響を与えたことでしょう。パウロは愛以上に大切なものは無いと言っています。恍惚状態や自傷行為には何の力も無いのです。パウロの言葉を聞いた聴衆の中には実際に見たキュベレーの血生臭い儀式を思い起こした人もいれば、その儀式に参加したことのある人もいたことでしょう。

5.ディオニュソス ブドウ酒の神

ディオニュソス
Marcus Aurelius at the German
language Wikipedia /wikipedia.org

ギリシヤ神殿で最も人気があったものと言えば、ディオニュソスのカルト的礼拝でしょう。時には強いドラッグを混ぜたブドウ酒によって参加者たちは恍惚状態になり、性的乱交や狂乱状態の中で神と交流できると信じていました。ディオニュソスは、当時の古代世界に隈(くま)無く知れ渡っていました。その儀式において、参加者は酩酊(めいてい)、錯乱し、派手に感情を爆発させることで悪名を馳せていました。古代文書には、時には一日5回も行われていたいけにえの儀式が詳細に記されています。人間が捧げられることもあったいけにえの儀式は、叫び声とシンバルの音と女性参加者の泣きわめく声を伴って執り行われました。

異教の神々が信者に与えた影響

このような異教がコリント教会の新しい信者に影響を及ぼしていたため、信者の中で混乱や分裂が起こりました。改宗者たちは、偶像に捧げていた肉のことで、異教の神殿のいけにえの食事に加わってはならないことを思い起こさなくてはなりませんでした。愛餐(あいさん)の席に酩酊がありました。最悪の性的罪が会衆の中で野放しでした。彼らの礼拝には異教の儀式で行われていたのと同じ、騒々しい混乱があるように見えました。パウロはコリントの信者たちに、自制と秩序が、クリスチャンである彼らの礼拝の標準とならなくてはならないと教え、励まさなくてはならなかったのです。

こうした異教のカルトが社会にもたらした影響は想像以上のものでした。異教的行為は社会的に受け入れられていただけでなく標準的行いとなり、恥ずかしいとは全く思われませんでした。その結果、「私はOK、あなたもOK」という自己中心的で神無き世界観が支配的となっていたのです。これは現代の欧米社会に広く蔓延(まんえん)している考え方と同じです。

優れたヘブル的道を歩む

パウロは伝統的パリサイ派出身のラビでしたので、献身的に神に喜ばれる人生を送ることの重要性を知っていました。コリントの信者が真のイエスの弟子になろうとするなら、彼らは考え方を大きく転換する必要があったのです。彼らはイエスを受け入れ、自分の救い主と認め、イエスが十字架上で自分のために命を捧げたと信じていました。しかしそれによって自動的に過去が消え去ったわけでも、破壊的な異教の世界観が取り去られたわけでもなかったのです。コリントの信者たちはトーラーとは無縁の存在で、信仰の土台が全く無かったのです。ブラッド・ヤングは「パウロはすべての人は最後の審判の日に、神の豊かな恵みか怒りのどちらかを受けると信じていた。・・・・・・パウロはトーラーの中にある知恵と導きだけがコリントの人々を本当にきよめる唯一の方法であることを知っていた」と言っています。

神のみことばが答えです IngridHS /shutterstock.com

一方パウロは、新しい異邦人信者が、ユダヤ人にならなくてもイエスの真の弟子となることができると確信していました。パウロは、ユダヤ教の伝統を異邦人信者に分かち合ったに違いありません。しかし、パウロは異邦人信者たちにユダヤ教の伝統を押し付けることはなかったはずです。むしろ真の聖書の土台であり、トーラーの本質である神の御心と品性を彼らが見出すことができるよう献身していたのです。

パウロはコリントの信者たちに、自分たちは神の似姿につくられていることを理解してほしいと願っていました。ですから、愛を追い求めなさいと教えたのです。パウロは、信者一人ひとりが必要のある人に助けを差し伸べたいという愛と願いをもって、神の賜物を熱心に求めるよう励ましました。パウロは愛がさらに勝る道であることを知ってほしいと願っていました。愛が、クリスチャンの働きの特徴となる必要がありました。それは、個人的働きだけではなく共同体全体の働きにおいても同様です。愛が、地域教会の働きの土台でなければならなかったのです。

パウロは、コリントの信者がそれまで仕えていた邪悪で不品行な異教の神々と、イスラエルの信じられないほど力強く忠実で、愛に満ちあふれた神とを並べて見た時、彼らの人生が変えられると信じていました。コリントの人々の心が新しくつくり変えられた時、人生の価値と結婚の神聖さ、性的純潔や節制の重要性などに気付いて、彼らの異教的世界観が変わったのです。神のみことばが答えなのです。

世界観を刷新する

幸いにも、コリントで広く行き渡っていた異教とその儀式は現在の欧米社会ではほとんど見ることもなく、教会にも存在しません。しかし当時のコリントの信者たちを悩ませた考え方や問題は、今日の教会にも広く浸透しています。性的不品行、同性愛、みことばの過小評価、外見へのこだわり、堕胎、食生活の乱れ、離婚、薬物乱用などが今日の教会を悩ませています。

パウロのコリントの人々に対する心の叫びは、私たちに対しても当てはまります。私たちの神は愛、あわれみ、忍耐、思いやりに満ちた神です。しかし同時に、ご自身に従う者たちに正しい行動基準をもつことを求める神です。パウロはコリントの人々に、不品行な行いを続けるなら深刻な結末が待っていることを認識するよう求めています。パウロはコリントの人々に、キリストにある自由は自分のしたいことを何でもする自由ではないことを理解してほしいと嘆願し、叫んでいるのです。キリストにある自由とは、いと高き神に仕える者となることを選び取れる自由なのです。コリントの教会は世界観を調整する必要がありました。恐らくそれは今日の教会にも当てはまることでしょう。パウロは繰り返しコリント人に、答えは神のみことばの中にあると言いました。もしパウロが今日手紙を書いたなら、同じことを言うに違いありません。

「異教の世界観は心が刷新される時に変えられる。神のみことばが答えである」と。

〈参考文献〉

  • Young, Brad. Paul, the Jewish Theologian: a Pharisee among Christians, Jews, and Gentiles. Peabody, Massachusetts: Hendrickson Publishers, Inc. 1997.

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