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ティーチングレター

神殿の西壁~ユダヤ民族の中心 -後編-

TEXT:ダン・ブラウン師(BFP国際開発副部長)

西壁がなぜこれほどまでに人々を惹きつける場所なのか。西壁が時代を超えて人々に及ぼし続けている影響力を探ります。

西壁で祈りを捧げる男性 ©KnelsenKollection.com/Rick&Grace

西壁の全長

エルサレムが統一され、西壁はこれまで知られていた以上に長く高いものであることが明らかになってきました。現在でも発掘は続き、新事実が発見され続けています。祈りの広場から見える西壁の部分は、実は全長の9分の1に過ぎません!西壁の全長は488メートル。南の端から80メートルの西壁は六日戦争直後に発見され、研究されました。北側に隣接している祈りの広場は57メートルで、六日戦争後の数年間で拡張されました。残りの320メートルはエルサレム旧市街の道路や家々の下に続いているのです。

1968年、イスラエル宗教省は現在の旧市街の建物の下にある西壁全域を発掘し始めました。北側の310メートルの部分は、ヘロデ王が建築した当時と変わらない状態を保っていました。第二神殿時代からあったこの敷石の上を、2千年前の人々が神殿の丘の祭儀に参加するために通っていたと考古学者たちは信じています。地下道で見られる荘厳で美しいローマ時代・中世の石段やアーチに加えて、最も畏敬(いけい)の念を起こさせる場所は「至聖所の反対側」として知られる壁の窪(くぼ)みです。この壁の真向かいの神殿の中に至聖所が存在したとされており、私自身も含めて多くの人々がここでしばらくの間立ち止まり、静まって「あなたがたの神、主が…選ぶ場所(申12:11)」に向かって祈り、思いを巡らします。

西壁での祈り

西壁で祈るとき、非常に霊的な経験をすることがあります。今まで以上に神を近くに感じたと主張する人もいます。ある著名なラビは「一度西壁で時間を過ごすなら、決して去ることは出来ない」と書いています。

BFPの前副編集長、シャリーダ・スプリンクルの書いた、西壁での典型的な安息日の描写を紹介します。「私は安息日にタリートをかぶった男性がトーラーの巻物を掲げるのを見たり、声を合わせて賛美の祈りを唱える人々の声に聞き入ったりするのが大好きです。広場に出入りする人々は途切れることがなく、ユダヤ人も異邦人も群れを成してやってきます。若者も老人も、裕福な者も貧しい者も、病を持っている人も、宗教的な人も旅行者もいます。悲しみで打ちのめされているように見える人たちもいます。ほとんどの人々は石壁の小さな隙間に押し込むために、紙に書いた祈りを持ってきます。(少数の人々が医療用テープで紙を石壁の上に貼り付けていたのも目にしました!)これらの人々から私が受けた印象はこの場所に何と多くの願いが集められているかということです。祈りには書かれたものも語られるものもあり、時には嗚咽を伴う言葉にならない苦しみの祈りもあります。にもかかわらず、神はすべてを聞くことができ、応えることができるのです。」

男性の場合は入口で無料配布されるキッパをかぶってから、石壁のすぐそばまで行きます。壁の前に立つと、紙切れが岩の裂け目や隙間に詰め込まれているのが分かります。祈りを書いてコテル(西壁)の隙間に差し込む慣習があまりにも広まったので、アメリカ系ユダヤ人の新聞には、病人に代わって祈りを書いた紙を隙間に挟むサービスの宣伝をしているものもあります。「石の心を持った人々がいる。そして人々の心を持った石がある」と、西壁を表現した有名なイスラエルの歌があります。「壁に耳あり」という古くからのことわざでさえ、もともとは西壁についてのヘブライ語の表現だと言われています。

コテル(西壁)前の広場全景

祈りの紙を西壁に差し込むことに対する賛否は別として、私にとって西壁で祈ることは本当に感動的な体験です。祈るたびにわくわくし、とてつもない歴史を感じ、この場所が何世紀にもわたって神の宮として存在した場所だったことに畏れと尊敬を感じます。神が真摯(しんし)な嘆願の祈りを聞いてくださり、祈りに応えてこの時代に素晴らしいことを行ってくださると期待せずにはいられないのです。

西壁では臨在が非常に強いので、たやすく祈りへと突き動かされます。西壁がイスラエルの中で最も私の愛する場所であるもう一つの理由は、ここがユダヤ人とクリスチャンをつなぎ合わせる場所だからです。ここは日常的に人々が集まって祈る場所であり、ユダヤ人やクリスチャンだけでなく非宗教的な人でさえここで、イスラエル国家のため、世界中のユダヤ人のため、中東と世界の平和のため祈っています。

「とりわけ美しくもないこの場所がどうしてそんなにも多くの人々に対してこのように強い影響力があるのか」と尋ねる人がいます。その答えはこの西壁を訪れた人と同じ数だけあるのでしょうが、この場所に感じられる神の臨在のためだと私は信じています。神ご自身が「わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある(Ⅰ列王9:3)」と言われたのです。

色あせることのない西壁の影響力

幾世代にもわたるユダヤ人がここに来て石を抱き締め、手を差し伸べて裂け目に触れました。…すべてがこの石に刻み込まれ、埋め込まれてきたのです。石は近くにいた人々の祈りと遠くにいた人々の切なる思いを受け入れてきました。ここは嘆きと喜び、絶望と希望が一つになる場所なのです。

第二神殿の面影を残す西壁は、イスラエルの輝かしい過去の記憶を呼び起こします。神殿の中に住まわれる主について、イスラエルの地にユダヤ人が住んでいた時代についての記憶です。そして、神の民の上に神の祝福が完全に刷新されるという希望を与えます。また一部の人たちにとって、これは神がみことばによって約束されたように、過去の神の栄光が回復されるという希望なのです。もちろん、ダビデ王やその息子のソロモン王は共に神の臨在を「手で造った家」に入れることはできないことを宣言しました(Ⅰ列王8:27、使7:48)。それでも、神の臨在を求めることは良いことです。

神はすべての場所のすべての人々がご自身を慕い求めることを願っておられるのです。神はエレミヤ書29章13節で「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう」と約束しておられます。ですからこの場合、西壁はユダヤ人に神を捜し求めることを絶えず思い起こさせるものなのです。それは単に過去の栄光の回復を求めるだけではなく、今も存在しておられ、ユダヤ人のために新しい事を行ってくださる生ける神(イザヤ43:19)を求め、今の時代に神ご自身を新たに現してくださることへの願いです。

神がご自分の民を地の四隅から選びの地に引き戻しておられるこの時代、主のご計画は前進しています。数ある預言の中で、預言者エレミヤは今日のユダヤ人に対して次のように語っています。「それゆえ、見よ、その日が来る。――主の御告げ。――その日にはもはや、『イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた主は生きておられる』とは言わないで、ただ『イスラエルの子らを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる』と言うようになる。わたしは彼らの先祖に与えた彼らの土地に彼らを帰らせる。」(エレミヤ16:14-15)

ユダヤ人以外の人々についても同じことが言えます。西壁は神と神の御業は廃れることがないことを思い起こさせる場所であり、神は今も神を知りたいと願う者、神から祝福されたいと願う者を捜しておられることを思い起こさせるのです。ユダヤ人にとっても、異邦人にとっても、西壁は神との間の目に見えるつながりなのです。

終りに

西壁で祈る女性
Mikhail/shutterstock.com

目に入るよりもはるかに多くのものが西壁にはあります。西壁は明らかにユダヤ人が古代の神殿を失ったことを「嘆く場所」以上のものです。それはユダヤ人が神の選びの民として存在し始めた時点を指し示す「礎石」の一部なのです。その壁にユダヤ人は数世紀にわたって引き戻され続けてきました。みことばには決してエルサレムを忘れず、いつもそのために祈りなさいという勧めがありますが、西壁はユダヤ人の愛する町、エルサレムの統一を思い起こさせるシンボルです。そこは国家のアイデンティティと一致の場所であり、年に数回そこに集うように、神がユダヤ人に命じた場所なのです。そこはユダヤ人の会見の場所であり、嘆きと祈りの場所であり、数え切れない祝いの場所であり、メシヤの来臨を待つ多くの人々にとって重要な場所です。何百万人もの人々が、群れを成してこの礼拝と懇願の中心地に集まってくることは、決して不思議なことではありません。

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