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マリヤ ~1世紀のユダヤ人女性 -前編-

TEXT:シェリル・ハウアー [BFPインターナショナル・デベロップメントディレクター]

今回は、イエスの母マリヤの生きた時代のさまざまな教えと伝統を慎重に調べながら、作られた神話をはがし、真実を発見できるようにしたいと思います。

尊重されていた女性の地位

当時のユダヤ人社会における女性の地位は、現代の私たちが思うほど低くはありませんでした。実際、さまざまな点で聖書時代の女性の地位は、100年前のアメリカの民法よりも良かったのです。彼女たちは自分たちの財産を売買する権利があり、契約することもできました。西洋諸国では20世紀初頭から半ばになって初めて女性にそのような権利が与えられました。

初期の聖書時代には、ユダヤ人女性は男性と共に同じ経験をしてきました。飢饉(ききん)の時も喜びの祝祭の時も、平和な時も戦争の時も、楽しみも迫害も共にしました。例えばミリアムは弟モーセと共に解放者として働き、エステルは同胞の民を絶滅から救うために命を懸けることを選びました。異邦の民であったルツでさえ、聖書で最も尊敬される人々のうちの一人に数えられています。聖書に挙げられる55人の預言者のうち7人は女性でした。

女性への尊敬は、常にユダヤ人の文化の一部でした。聖書は男性と女性の両方が神のかたちに似せて造られたと記しています。ですからユダヤ人社会では、女性は男性と同等の者として扱われてきました。アダムが最初に造られましたが、聖書が示すのは最初の者が優れているという意味ではありません。役割が違うので、女性の義務と責任は男性とは異なります。それは女性の役割が重要ではないということではなく、むしろ社会の長期的利益のためには、より重要であった場合が何度もありました。

家を守る者として

ユダヤ文化の中では、女性は単に家を守る者としてだけではなく、家族の中で重要な役割を果たしていました。家庭は信仰生活の中心とみなされ、ユダヤ社会の基本的構成要素と認識されていました。また、神との契約社会の一員となる子どもたちを育てることは、最も重要な責任でした。聖書は、神が望まれるのは愛と平安に満ちた家庭であると言っています。子どもたちはそこで神を知り、神を愛することができるようになります。当時のユダヤ人の家庭では、暴力や苛立ちや偽善や尊敬を欠く行為などによって家庭の神聖さが汚されることはなかったことでしょう。

紀元70年の神殿崩壊後、ユダヤ人は世界中に離散することになりましたが、家庭の神聖さの土台があったので、「小さな聖所」の役割を持つ家庭として離散後も信仰を持ち続けることができました。神殿礼拝の要素は家庭の儀式として存続することになったのです。その儀式は離散したユダヤ民族のアイデンティティーを保つために、ユダヤ人社会の中で大切に守られてきました。祈り、トーラーの学び、地域社会への貢献は、常にユダヤ人の家庭生活の一部でした。神殿がなくなり、現在は家庭の範囲だけとなっています。食卓が祭壇に代わりました。食卓は単に食物を出すだけのところではなく、食事のときの儀式によって、神に仕えるために聖別される霊的手段の場となりました。「神聖な祭壇」としての役割は、より深い重要性を持つようになっています。それゆえ賛美が歌われ、父親はトーラーの言葉を家族に教えます。家庭の中で聖書に書かれている主の祝祭が祝われ、神の愛と他人への尊敬が両親から子へと伝えられています。

マリヤは、神殿崩壊やその結果生じたユダヤ教の変化を見ることはありませんでしたが、ヨセフや家族と共に過ごした家庭で妻や母として貢献しました。彼女は1世紀のユダヤ人社会の中で、やがて礼拝が神殿から家庭へと移っていくその基礎を築く時代に生きていたのです。

霊的パートナーとして、トーラーの学び手として

トーラーを読む少女 www.israelimages.com

マリヤの生きた時代の数世紀前から、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)はユダヤ人の生活にとって、なくてはならないものでした。伝統的に、それらは男性の領域として見られてきました。シナゴーグでの礼拝は女性の参加が制限され、またある特定の宗教的任務を果たすことも男性に限られるなどと誤って教えた人たちもいます。しかし真実は正反対で、その基本的原則は創世記2章にある創造の記述に見つけられます。そこには、神がアダムの「あばら骨(脇・側面)」の一つを取り、エバを「造り上げ」とあります。神は、アダムの女性的側面を取ってエバを「造り上げた」のです。

最近の歴史研究によると、第二神殿時代の女子も読み書きを学び、トーラーもよく学んでいたとされています。律法を熟知していた女性の例として、ツェロフハデの娘たちが挙げられます。民数記27章でこの女性たちは、幕屋の入口にいるモーセの所へやってきて、女性の相続を求めて訴えを出しました。モーセは主にその問題を持っていった後、彼女たちの「言っていることは正しい」と宣言しました。彼女たちの訴えが聞かれただけでなく、永遠にイスラエルの民を治める戒律の一部に加えられたのです。つまり、この女性たちは律法に基づきその本質に従った後、適切な判断をしたということです。もし無学であって、モーセがユダヤ民族に示した律法に無知であったなら、これは起こらなかったことでしょう。

聖書には、マリヤが律法を学んだかどうかについては書かれていませんが、1世紀のユダヤ人社会の中で、幼いころから母親や祖母から学んでいたことでしょう。そしてイスラエルの誰にとっても重要な、神とアブラハム、イサク、ヤコブとの契約関係を学んだに違いありません。その証拠に、確かにルカの福音書1章46節から56節、エリサベツに対するマリヤの応答の中で、ダビデの言葉を繰り返して真の主のしもべとしての心を表しています。

1世紀のころの女性用ジュエリー
photo of jewellery from
“Daily Life at the Time of Jesus”

少女マリヤ

1世紀に生きた女性たちにとって、家事は今のように便利ではなかったかもしれませんが、歴史の記録を見ると、彼女たちは喜びに満ちて力強く生きたことが分かります。ですから、マリヤの人生も笑いと愛に満ちていたことでしょう。マリヤが御使いガブリエルに応答したときは、おそらく13歳くらいの少女のころです。その少女は自分の神をよく知っていて、いつも主に忠実に従っていました。

この1世紀のユダヤ人社会でも、現代と同様、容姿の美しさは若い女性にとって大切でした。ただし今日のように外見を強調することとは異なり、本物の美しさは内面の美しさと密接に結び付いていました。神との契約は絶対的なものであり、決して変わることはありません。この神に対する純粋な心と、信頼を持って神と共に歩むことから生まれる平安なしに、本当の魅力を持つことは不可能であることをマリヤは知っていたに違いありません。しかし、女性たちが主から受けた身体的な賜物をさらに磨こうとしていたことも、考古学が明らかにしています。イスラエルの考古学的発掘で、棒状のアイシャドー、パウダーの箱、香水瓶を含む多くの化粧用品が出てきました。彫刻の入ったくし、装飾付きヘアネットも一般的でした。この時代の女性たちは、宝石も好んでいました。マリヤは喜んで神に仕え、箴言31章に描かれている女性のようになりたいと思っていたことでしょう。神のしもべとして神に仕えるために、内面も外面も整えて備えていました。

当時の家庭生活は、地域社会とのつながりが強く、女性として、妻として、母としてのマリヤの行動は、私的なことというよりむしろ、公的なことでした。地域社会全体が彼女の生活に関与していました。マリヤが人々を支えるのと同じくらいに支えられており、その支え、食べ物、祝福が必要でした。「このことは、『家族』を表すヘブライ語『ミシュパハ』の意味を考えればよく理解できます」と、マーヴィン・ウィルソンは著書『私たちの父、アブラハム』の中で語っています。この単語は父母と子どもたちという核家族に限らず、さらに広い家族を意味します。祖父母、叔父、叔母、いとこ、時にはそれ以上も含まれます。ミシュパハと、さらに大きな地域社会によって提供される強さと励ましによって、ユダヤ人は存続できたのです。

マリヤの受けた教育に対する責任ある応答がなければ、マリヤは結婚とそれに伴う性的関係が神からの賜物であり、良きものであると理解することができなかったことでしょう。聖書は、神がご自身の似姿に男と女を創造され、「それは非常に良かった」と教えています。マリヤは結婚がとても重要であると学んでいたはずです。それは幼いうちに学ぶことになっていました。もし、結婚式の行列と葬列が道で出合うことがあるならば、結婚式の列がいつも先に進むようにとラビは言っています。結婚はユダヤの伝統においてとても重んじられているので、前述のウィルソンが言うように、ヘブライ語には独身を意味する単語がありません。

次号後編では、1世紀のユダヤ人社会の慣習から考察するマリヤとヨセフの結婚について、また、メシアの母となるという人類史上誰も体験したことのない奇跡と特権を体験したマリヤの信仰について、さらに学んでまいりましょう。

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