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プロジェクトレポート

テロ被害者支援プログラムの今 ―形態を変え、終らないテロ攻撃―

TEXT:B.F.P.Japan編集部

近年、イスラエルにおける爆弾テロは目立って少なくなっています。このような情勢の中、「テロ被害者支援プログラム」に献金を送ってくださった場合、どのような形で支援金が役に立っているのか、今月は支援プログラムの一つ、「テロ被害者支援」に焦点を当て、ご報告します。

イスラエルは1948年の建国以前から、テロに苦しみ続けてきました。統計によれば、1940年代から1990年代の間にテロで命を落とした人は、2,235人に上ります。そして間違いなく、死者の数倍の数の負傷者、後遺症を抱える人々が発生しています。2000年から2006年5月までのテロによる被害者は、7,844人。うち死亡者が999人(530人は自爆テロによる死亡者)。重傷者が1,582人でした。

2000年6月〜2006年5月
テロによる死亡者数の推移

自爆テロ、爆弾テロによる被害は2002年にピークに達し、以後、徐々に減少しつつあります。2002年に着工したコンクリートの分離壁が功を奏し、テロリストの侵入を防いでいるからです。

BFPが支援しているのは、ほとんどの場合、事件の後遺症を抱える人々です。テロの被害に遭った直後のけがに対しては、イスラエル政府から援助金が支給されます。しかし、長く続く後遺症の場合、政府から出る手当てだけでは生活ができません。テロ被害の後遺症のため、働くことのできなくなった人々は家族を養えません。

テロ被害の後遺症は、肉体的な障害のみならず精神的分野にも及びます。精神的なトラウマを抱え外に出られなくなった人、働くことのできない人にとっては、家賃や光熱費など毎月の基本的生活を営むことさえ難しいのです。BFPのテロ支援プロジェクトでは、そのような人々に、家賃や光熱費を払うお手伝いをしています。また、日々の食べ物にも事欠くような方々の場合には食料を援助しています。実際に彼らの生活は“悲惨”という言葉でも十分表現することができないほどです。

ある家族の惨状

テロに遭ったバス

モロッコからイスラエルに移住したある家族を例に、ご紹介したいと思います。彼らには二人の娘がいましたが、イスラエルに来てから夫が働かなくなったために離婚することになり、母親と二人の娘は肩を寄せ合うように生きていました。

そんな中、長女が2000年に起こったベンイェフダ通りのテロに居合わせてしまいました。彼女自身にけがはありませんでしたが、余りに酷い光景を目撃したため精神的な病におかされてしまいました。それだけでも大変なことであったのに、この一家に悲劇は続きました。下の娘もまた同じ体験をしたのです。家の近所のバス停で親友とバスを待っているとき、携帯電話を家に忘れたことに気付き、家まで走って帰りました。彼女がバス停まで戻ってきたとき、バス停の手前でバスが爆発しました。親友はその場で犠牲になってしまいました。このことで彼女もまた長い間、社会復帰できない状況になっています。母親は精神病を抱える二人の娘を女手一つで養っていました。そしてあるとき、疲労がたたってぼうっとしていたために、交通事故に遭ってしまいました。けがをしたことで長期休暇を取らなければならず、そのせいで仕事をクビになってしまいました。

失業の身で母娘3人で暮らす彼女たちは、次第に経済的困窮を極めていきました。電気代を支払うことができず、とうとう電気を切られてしまうという状況になったとき、私たちBFPとこの家族は出会いました。テロ支援プロジェクトを通して、滞っていた3千シェケル(約9万円)の電気代を払うことができ、母娘はひとまず窮地を脱しました。

支援の輪

イスラエルにはこのような人々が多数存在します。BFPのプログラムに登録されているイスラエル人の中にも、テロ被害者の方々が多数います。里親プログラムでも、テロ被害者の方々の多くを里子に登録し、年間を通じた継続的な支援を行っています。テロ被害者支援プログラムでは、そのような継続的支援から外れている被害者に対する緊急の支援、特別な支援を行っています。

また、被害に遭った個人だけでなく、テロ被害者を収容する病院や支援団体にも助けが必要です。政府が支払う後遺症の人々への援助は余りにも少なく、治療代を払い続けることができないという人を抱え、病院側も大変困っています。BFPではそのような病院にも助けの手を差し伸べています。昨年は、ナハリヤのウエスタン・ガリラヤ病院や、特別にテロ被害者を助ける「シロ・チルドレン・ファン」という団体に献金をしました。また、テロで散らばった死体を集めたり、急患を扱っている「ザカ」という宗教団体にも献金をお捧げしています。

分離壁

分離壁が救う命

分離壁によって個人のテロリストの進入が防がれ、ここ数年は自爆テロ、爆弾テロによる被害は縮小傾向にあります。しかし、エイラットなど分離壁のない場所でのテロが発生しています。この分離壁はパレスチナ人の人権侵害として世界中の非難を浴びていますが、多くの人命を守っていることもまた事実です。テロの被害者だけでなく、自爆テロを生涯の使命とし、加害者となる人々をも壁は守っているのです。2、3年前のことですが、爆弾の入ったリュックを子どもに持たせ、イスラエル兵士の所へ行くように子どもを送り出したテロリストが捕まりました。リュックの中の爆弾はリモートコントロールで爆発させる予定でしたが、何度ボタンを押しても爆発せず、とうとう兵士が爆弾を見つけるという結果になりました。余りにも悲惨な事件として大きく取り上げられたので覚えておられる方もいらっしゃるでしょうか。結果的にその子どもも兵士も助かりましたが、分離壁はこのようなテロを水際で防ぐ役割を果たしているのです。

イスラエルに打ち込まれた
カッサム・ロケットの数

自爆テロからロケット攻撃へ

分離壁の存在により、テロリストの攻撃の形態は自爆テロなど至近距離のものから、カッサム・ロケットなどの遠距離攻撃へと切り替わりました。この傾向は、2005年から2006年にかけて激しさを増しています。特に2006年には計1,726発のカッサム・ロケットがイスラエルに向けて打ち込まれました。

毎日ロケット攻撃を受けているスデロットの町では、深刻な状況が続いています。BFPではロケットによる攻撃もテロとみなし、スデロットの人々に対する食糧支援の枠を大きく広げています。先日、町の避難所から、自分の家に戻るのを怖がっている人々に対し、5百人分の食料を届けました。また、コンピュータを必要とするスデロットの社会福祉事務所に対し、2台のコンピュータを贈りました。

ニュースで流されている報道を見る限りでは、イスラエルからテロの危険が去ったように感じられる今日。しかし、戦いの形態が変化したというだけで、テロリストの考え方が変わったわけでも、平和が訪れたわけでもありません。「イスラエルの存在を認めない」という彼らの信条が、ロケット攻撃の雨となって連日連夜続いています。また、テクノロジーやセキュリティ技術の向上によって、多くの攻撃が未然に発見され、防がれていることも報告されています。エルサレムに平和がありますように。今年も私たちの祈りと願いは変わりません。

テロはイスラエルだけでなく、パレスチナにとっても大きな痛みをもたらすものです。イスラエル人、パレスチナ人、双方の命が守られるように。大規模な攻撃が計画されたとしても、それが未然に発覚し、防がれるように。今、この時、ロケット攻撃を受けている人々を主が守ってくださるように、お祈りくださりご支援くださいますようにお願い致します。

資料提供:イスラエル外務省 http://www.israel-mfa.gov.il/MFA
画像提供:gpophotodepartment

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