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プロジェクトレポート

マジュダル・シャムス、暗闇に届ける光

文:ピーター・ファスト(BFP CEO)

昨年、ヒズボラのテロにより尊い命を奪われた子どもたちがいます。
お一人おひとりを追悼するため、私たちはあるプロジェクトを始動しました。

(左)ヒズボラのロケット弾で殺害されたドルーズ族の子どもたちの写真 Nizzan Cohen/wikimedia.org
(右)ロケット弾が直撃したサッカー場 Photo by IDF Spokespersons UNit/wikimedia.org

子どもたちを襲ったロケット弾

24年7月27日、イスラエル北部にあるドルーズ族の町マジュダル・シャムスは、美しい夏を迎えていました。日中の暑さが和らいだ夕方、町のサッカー場にはジュニアリーグの試合を観戦する住民たちの姿がありました。選手は全員、地域の子どもたちです。

試合開始のホイッスルが鳴り、グラウンドに家族・親戚の声援が響き渡ります。この時はまだ、この町に悪夢が降り掛かろうとしていることなど誰も知る由もありませんでした。

そのころ、サッカー場から数km離れたレバノン南部で、ヒズボラのテロリスト集団が移動式ロケット弾発射機にロケット弾を装填(そうてん)していました。テロリストたちは50kgの弾頭に点火すると、隣国イスラエルへ死の使いを発射しました。

マジュダル・シャムスはレバノン国境に近いため、ロケット弾が到達する直前にしか警報が鳴りません。午後6時18分、イラン製のロケット弾がサッカー場に激突し、榴散弾(りゅうさんだん)が爆発。衝撃で町は揺れ、切断された身体の一部と血の雨がサッカー場に降り注ぎました。

サッカー場にいた親たちの絶望と悲嘆を想像できるでしょうか。親たちは叫び声を上げながら、わが子の生存の痕跡を必死に探そうとしました。

殺害された12人の子どもを追悼するモニュメント
Photo by BridgesforPeace.com

殺害されたのは10〜16歳の子ども12人で、負傷者は38人に上ります。サッカーをしていた無実の子どもたちが、テロリストによる大虐殺によって無残にも命を奪われたのです。

イスラエル全土が涙に暮れる中、マジュダル・シャムスの住民は筆舌に尽くし難い悲しみを味わいました。このコミュニティーは住民同士のきずなが深く、どの子どもたちも家族同然に愛されていたからです。多くの家族が死を悼み、12組の親は最高の宝であるわが子を一瞬にして奪われました。

愛と光を届ける

その数日後、葬儀に寄せられた愛と支援の声は、国内にとどまらず世界中からも届きました。遠くから葬儀に駆け付け、温かい抱擁と愛のメッセージを届けたイスラエル人もいます。ドルーズ族からも何千人もの人々が参列し、息子や娘の棺を運びました。生前に撮られた若い犠牲者たちの写真が町内のあちこちに飾られ、母親たちは大声で泣き叫び、父親たちは沈痛な面持ちで立ち尽くしながら、静かに涙を流しました。

BFP(ブリッジス・フォー・ピース)は、住民たちの痛みを痛切に感じ、この破壊されたコミュニティーに具体的な方法で愛と光を届けたいと願いました。悲劇の直後、BFP教育部長のイルゼ・ストラウスがこのコミュニティーを訪れ、リーダーたちから話を聞くことができました。どのように対応すべきか祈ると、神から答えを頂きました。

実は攻撃の1カ月前、私たちは、世界中で迫害されている人々に愛と援助を示す組織「ワン・フリー・ワールド・インターナショナル」(OFWI)の創設者、マジェド・エル・シャフィ氏と協力関係を結んでいました。マジェド氏は、ハマスによる10月7日の虐殺を伝えるため、生存者、人質の家族、愛する人を失った人々、最前線にいる兵士たちに取材し、ドキュメンタリー映像『Dying to Live』を制作。私自身、専門家の一人としてインタビューを受ける光栄にあずかり、これを機にBFPとOFWIは協力関係に至りました。この協力関係から、マジュダル・シャムスの住民を祝福する扉が開かれていったのです。

今年4月、ダニエル・カークベル(BFP支援プロジェクト・ディレクター)とイルゼは、マジェド氏に同行し、コミュニティーの主要人物と面会することができました。

その一人、ナエラさんは、あの日サッカー場で殺害された3人の少女の1人であるアルマ・アイマン・ファケル・アルデンさん(当時11)の母親です。サッカーが大好きだったアルマさんの夢は、ドイツの名門チーム「バイエルン・ミュンヘン」で活躍すること。幼いながらもアルマさんはその目標に向かって努力し、ドイツ語も学んでいたそうです。

攻撃を受ける数週間前、アルマさんと家族は休暇を利用してドイツのミュンヘン旅行を楽しみました。ナエラさんはこの旅行を「贈り物だった」と振り返ります。アルマさんは母親と同室になることにこだわり、二人は充実した時間を過ごしました。今となっては、掛け替えのない母娘の思い出です。

「アルマはとても勇敢な子でした」。そう言ってほほ笑むナエラさんの目に涙が光ります。攻撃を受けた日、アルマさんは「ロケット弾なんか恐くないわ」と兄弟たちに話していたそうです。

癒やしに向けた第一歩 セラピー・ガーデン

次にお会いしたのは、アル・マナヒル・スクールのジハン・サファディ校長です。ジハン校長は、暴力的な攻撃によって一つの学校から複数の子どもが失われたことを深く悲しみ、子どもたちが受けたトラウマについて語りました。あるクラスだけで3人の児童が亡くなったそうです。空っぽの机、うつろな視線、悪夢……。今もまだ子どもたちの心の痛みは癒えていません。その癒やしのために学校も尽力しています。

サファディ校長は、殺害された12人の子どもたちをしのび、セラピー・ガーデンを建設する計画を示しました。明るい花々、木々、ベンチ、遊歩道、授業用の屋外施設を設置する予定です。子どもたちは悲しみに暮れながらも、記念碑のデザインと制作に積極的に参加しています。この場所は、癒やしと安らぎ、成長の場となることでしょう。

BFPとOFWIは直ちに、記念碑を実現させることを約束しました。彼らは、悲しみの中にあっても孤独ではありません。世界中のクリスチャンが愛で包んでいるからです。

皆さんも、愛で包む一人になりませんか。ナエラさんの娘アルマさんと他11人の子どもたちの追悼記念碑を建て、住民を慰めましょう。ぜひ「テロ被害者支援」に手を差し伸べ、愛を示していただけたら幸いです。皆さんのご支援は、暗闇に光を、悲しみの中に未来への希望をもたらす助けとなります。

記念碑設立へのご支援は、「テロ被害者支援」へお願いいたします。
ご入金方法は、下記バナーよりリンク先をご覧ください。

※銀行またはゆうちょダイレクトからの送金の際は、必ずご連絡をお願いいたします。

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