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プロジェクトレポート

イスラエルに派遣されて ―里親プログラムが与えるインパクト―

BFPイスラエル里親プログラム日本部門アシスタント 今野希美

私は学生時代にイスラエルを訪れて、自分のクリスチャンとしてのルーツがイスラエルにあるということを初めて意識しました。

現地で読む聖書は、驚きの連続でした。想像してきたものと全く違う景色が目の前に広がり、聖書の言葉一つひとつが新鮮に心に響くのです。また、旧新約共に聖書の主な登場人物になっている「ユダヤ人」にも注目するようになりました。イェシュア(イエスさま)の世界初の弟子はユダヤ人であり、そのユダヤ人と私たち異邦人クリスチャンの歴史とが密接に関係していることを知ったからです。このように、聖書を読むためには、その地と民族の歴史的背景や文化的背景を無視できないということを強く感じ、旅行者としてではなく、いつかイスラエルに住み、生活をして文化や気候を体験したいと思うようになりました。

信仰によって踏み出す

そのような願いをもってイスラエル行きを考えていたので、BFPのボランティアとしての滞在の道が開かれていった時には、少々戸惑いましたが、最初のBFP面接の日に与えられた「測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。」(詩篇16:6)というみことばと、困難だと思っていた扉が次々と開いたことに導きを確信し、準備を進めていきました。

しかし、いざすべての周りの準備がそろい、後はイスラエルへ行くだけという最後の扉の前に立つと、恐怖と不安とが心を交差し、なかなかその扉を開くことができません。ある日、家で聖書を読んでいた時に、神さまから「わたしを愛するというのは、口先だけなのか?これはわたしを本当に愛しているかどうかのテストだよ。」というメッセージを聞きました。私はその場で涙ながらにすべての希望、夢、思い煩いをゆだねて、まな板の上の鯉のごとく「分かりました。煮るなり焼くなり好きにしてください!」とイスラエル行きを決意しました。こうして背中を押され、使徒の働き26章16~18節、イザヤ書45章、ヨシュア記1章9節のみことばを握り締め、緊張いっぱいでイスラエルへと向かいました。

里子たちの苦境

私が配属されたのは『里親プログラム部門』です。ここは世界中から集まる里親クリスチャンが、里子ユダヤ人を1年間援助する部門で、里子の面接をして里親と里子の組み合わせを考える人、実際に里子に品物を手渡す人、それぞれの国の支部とのやり取りをする人、翻訳者などに分かれています。私はその中で、里子のプロフィールと、里親―里子間の手紙の翻訳に携わることとなりました。プロフィールには里子一家の家族構成と、たどってきた歴史が書かれています。帰還してくるユダヤ人の多くはロシア語を使うために、手紙などはロシア語から英語へ、そして英語から日本語へという2段階のプロセスを経て里親の皆様の元へ届きます。

プロフィールに目を通していくうちに、そのほとんどにホロコーストで家族を失った話や、ユダヤ人であるがゆえに受けた差別が書かれていることが分かりました。そのような話がない方が珍しいほどです。ある人はユダヤ人であるがゆえに家を焼かれ、昼間外を歩くときには周りを警戒し、家族が殺されても国は何もしてくれなかったと言います。また、名前を変えてユダヤ人であることを隠し続けたという人もいます。さらに、夫と家族がドイツへの移民を決めてしまい、自分は移住を考えられず離婚に追い込まれた人もいました。想像し難い事実です。今まで彼らの歴史を学んできたと言っても、それは文字上のことでしかなかったことに気付かされました。ユダヤ人が抱える現実をまざまざと見せ付けられ、心が締め付けられる思いがしました。私と彼らの基準があまりにも違い過ぎます。私はもはや“苦しい”という言葉を使えないのではないかと思うほどに、彼らの傷は深く、その苦しみは大きいものだと感じています。移民の一人が、里子面接時に「ユダヤ人はどこに行っても、皆に愛されていたのを知らないの?」と、皮肉をこめたジョークを残していったとプロフィールに書いてありました。つまり、どこに行っても差別を受け、誰からも愛されたことがないということなのです。

新たに見えてきた現実

十字軍やホロコーストなど、ユダヤ人は多くの迫害の歴史を通ってきています。世界の人々の心の中には、いまだに反ユダヤ主義が根付いているようです。私の身近なところでも、その思想が残っているのではないかと思うことがありました。

イスラエルに来て、日本で流れている情報と現地の情報を聞き比べると、同じことを報道していても内容が違うように感じるのです。言葉自体は正しいのですが、その原因や、現地では常識とされることを報道で省略してしまうと、その言葉が足りないだけで受け取る内容が変わってきます。そんな大げさな!とか、それじゃイスラエルが一方的に悪いみたいだ……と思うことがたびたびありました。

イスラエル側には主張したいところもあるだろうと思います。メディアを批判するのではありませんが、知らないうちにユダヤ人に不利な情報が流れ、そのままそれが彼らのイメージとして伝えられ、良くない先入観を生み出しているようにも感じました。ネットワークが発達する現代にあって、画像や言葉をとおして情報を得ることができる私たちですが、メディアが距離や文化、背景を超えて事実を正しく伝えることはとても難しいのだと思います。これは現地での最も大きい発見の一つでした。

里親の皆様が与えるインパクト

話を元に戻しますが、このような背景で傷を受け、偏見の目で見られてきた人も、すべての財産を捨て、かばん一つで来た人でさえも、彼らは口々にイスラエルに帰還できたことの喜びを語ります。「イスラエルの石の一つ一つが輝いて見える!」と、その喜びを手紙の中で表現する人もいました。私たち日本人の目から見れば、これほど危険な国はないと思うのですが、彼らユダヤ人にとっては“ユダヤ人でいられる唯一の安全な国”なのでしょう。

このような彼らに、世界中のクリスチャンが個人単位で直接かかわることができるということが、この里親プログラムの大きな特徴だと思います。ユダヤ人の方々は「クリスチャンが何で自分たちを助けてくれるのだろう?」と不思議に思うようです。ある人は手紙の中で「クリスチャンにイスラエルへ連れてきてもらい、クリスチャンに食べ物をもらった!」と“クリスチャン”によって祝福を受けたことを強調していました。

この働きが彼らに、それほどまでに強烈な印象を与えるとは大きな驚きでした。本当に、目に見えない絆が再び生まれています。相手に手を差し出すことがもたらす影響がどれだけ大きいかということ、言葉だけでなく、行動をとおして表すことの大切さをつくづく考えさせられています。皆様の尊い犠牲、その一つ一つがユダヤ人の心の奥にまで届いて、彼らの傷ついてきた千年以上もの歴史を溶かし、今を生きる力となっています。これが現在本当に起こっていることであり、皆様の携わっている働きです。

こうして私は里親プログラムに配属され、日々英語と格闘しながらユダヤ人の歴史を垣間見ています。それは想像をはるかに超えており、この働きの重要性を確認する毎日です。私のしている翻訳という作業が、単に英語を訳すというだけではなく、ユダヤ人の方々の通ってきた歴史を受け止め、それを日本語の表現に置き換えて日本人の皆様と分かち合う役割をもつということも知りました。

イスラエル現地で奉仕している里親プログラムスタッフ一同。
前列右端が今野さん。

感謝とともに

ここに来るまで、このようなことまで学べるとは予想していませんでした。聖書のどこを聞いてもスパッと答えが返ってくるスティーブンス・栄子師、近代史の専門家大坪幸子姉、純粋な信仰が素敵な中村恵美子姉、イスラエルを心底愛するボランティア・スタッフたちと、本当によい先生に囲まれて過ごしています。私たちの信仰の中心地、イスラエルの古代から現代に至るまでの歴史、そして生きた信仰を学んでいます。

神さまは私の願いをすべてご存じだったのだということを改めて感じさせられます。そして、この働きには一人でも多くの働き手が必要であるということを痛切に感じます。だから、今度は私が日本人としてできることを考えながら、手を差し伸べる者となりたいと思います。

私が今聖書を持ち、みことばによって励ましを受け、これだけのすばらしい毎日を送ることができているという一つをとっても、ユダヤ人の方々には感謝の気持ちが湧いてきます。彼らが聖書を伝え続けていてくれなかったならば、今の私はないからです。私には彼らの苦しみを理解することはできませんが、少しでもその労苦を共有し、感謝の気持ちを表していきたいと願っています。

「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)

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