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被災地巡回レポート

東日本震災支援この町に、光が灯りました

TEXT: 入路 久美子

昨年の大震災から1年と3カ月が経ちました。皆様から寄せられた災害支援金と祈りが用いられ、南三陸町志津川にクリスチャンセンター「愛・信望館」が建ちました。6月8日に開所式が持たれ、10日(日)には第一回目の礼拝が捧げられました。神さまが祈りの実を見せてくださっています。

あなたを祝福する者をわたしは祝福する

B.F.P. Japanは、昨年3月「イスラエル医療団」が入った宮城県南三陸町に、「教会が建つ」というビジョンを受け取りました。その後、現地で支援活動をされている教会、牧師先生を祈りと義援金で後方支援。イスラエルを愛し、日本を愛する皆様からの愛に満ちた災害支援金をお届けし、復興の一旦を共に担わせていただきました。

今年1月になって、ある事実を知りました。イスラエル政府は日本への災害支援に掛かる予算を「無制限」として、震災直後から準備を進めていたということです。予算を無限とする―。イスラエルにとっては初めての出来事でした。日本という遠い国で起こったことにもかかわらず、「予算など組んでいる場合でない、1秒でも早く飛んでいかなければならない!」というイスラエルの人々の熱い思いに圧倒され、再び感謝に溢れました。これまで日本からイスラエルに向けて発信した祈りと支援を通して、イスラエルへ愛の架け橋が架かり、今度はイスラエルから祝福を携えて、この橋を渡って来てくださった・・・そんな出来事でした。

医療団が帰国した数週間後、B.F.P. Japanスタッフが、南三陸町、高台の志津川高等学校から町を見下ろすことのできる木の根元に「聖書」を埋めました。この地に主が来てくださること、教会が建つことを願い、祈りを捧げました。その祈りがこんなにも早く実現し、この地にクリスチャンセンターが建ちました!

クリスチャンセンターは流出した一帯の少し高台に位置します。いまだに、がれきがそのまま残され閑散としたこの地域、いのちの息遣いが感じられません。しかし神さまはこの場所に、永遠のいのちの水を流し出す場所として「愛・信望館」を置かれました。クリスチャンセンターが、乾いたこの地で「地の塩、世の光」として用いられることを信じます。

未来を語る人々

「イエス・キリストがクリスチャンセンターの頭でありリーダーです。」と、センター長の梅谷力ちから先生(加古川バプテスト教会)。梅谷力先生は、今年の4月から一年間、現地に住み込みクリスチャンセンターの運営、支援活動、イベント企画を行い、体制作りを担っています。このクリスチャンセンターの総責任者である中澤竜生先生、森谷正志先生他、世話役の方々の推薦により、センター長として立てられました。これまでと同様に、キリスト教関係諸団体と協力体制をとりながら前進することになります。

開所式には区長さんが駆け付けてくださいました(左は中澤先生)

大きな喜びの一つは、クリスチャンセンター設立に伴い、クリスチャンだけでなく地元の方々の発案と協力があったことです。センターの地主さんである鈴木豊和さんは、志津川高校避難所で中澤先生と出会い、以後、これまでずっと苦難を共にしてきた被災者のお一人です。鈴木さんは、クリスチャンセンターに寄せる想いを「自分たちだけでは前に進むことはまだまだ難しい。中澤先生やキリスト教関係の人たちは本気でやってくれる。いつも共に戦ってきた戦友です。だからこそ信頼できる。この場所は子どもたちが安心して集まり、勉強や遊ぶ場所としたい。両親が共稼ぎの家族が多いので、学童保育ができればいいと思っている。地域に認められる場所になってほしい。」と語ってくれました。このクリスチャンへの信頼が、神さまへの信頼につながることを心から願います。

センターで遊ぶ子どもたち

センター開所式と初回の礼拝に向けて、加古川バプテスト教会と国分寺バプテスト教会より、高校生を含めた若者チームが早くから現地入りしました。センターに寝泊りしながら準備し、パワフルに仮設住宅訪問や子どもたちの集会の準備を進めました。高校生チームは、「地元の子どもたちと楽しく遊ぶことができてよかった。はじめ、子どもたちの表情が硬かったけど、ゲームや風船などで遊んでいるうちにすぐに仲良くなった。表情がどんどん変わっていき、その元気さに圧倒された。自分が役立つことができて嬉しい。また来たい。」「イエスさまのことを知ってほしい。神さまの愛を知って元気になってほしい。」「将来、このセンターが増えて、多くの人が救われることができたらいいなと思う。」など、将来に向けてワクワクするイメージがわいているようです。仮設住宅の集会所は狭小なために、子どもたちが精一杯遊ぶ場所が無いのが現実です。このセンターなら、大きな声で叫ぼうと走り回ろうと問題ありません。思いっ切り子どもらしく遊ぶことができます。センターから子どもたちの歓声が響きわたる、周囲の光景とは全く対照的なこの場所はまさに異空間です。

クリスチャンセンターで初めての礼拝での集合写真

第一回目の礼拝(6月10日)には約40名が参加しました。これからは毎週礼拝が持たれます。各地の教会からチームを編成して来ていただけることを願っています。支援活動と教会活動を共に押し進めることのできるアイデアなどもお待ちしています。主の臨在が現れ、福音が発信され、祈りと賛美が捧げられますように。南三陸町の人々が、こぞって神さまを礼拝する(詩62・3)、そんな未来が来ますように。

生きて働かれる神

B.F.P. Japanは中澤竜生先生(宮城県西仙台教会)と松田牧人先生(宮城県利府教会内の災害支援部オアシスライフ・ケア)を毎月継続支援させていただいています。いずれも南三陸町に深く関わり、支援活動を続けておられます。松田牧人先生率いる支援チームは、内職による生活再建をするべく「SHIZU革」ブランドを立ち上げました。今では「SHIZU革の内職が私の救いです」というご婦人がいらっしゃるそうです。一緒に作業できる場所を提供し、福音に触れるときを持っています。「オアシスライフ・ケア」は教会の働きの一部ですが、復興支援として専任のスタッフ5名で構成されています。それに伴った高いレベルの内容と、綿密な計画に基づいた支援を提供しておられます。神さまが必要のすべてを満たし続けてくださり、知恵を注ぎ力強く用いてくださると信じます。

イスラエル医療団によくなついてくれた女の子

また、センター開所式の夜、ある親子と仙台で再会することができました。親子は南三陸町に住んでいましたが、今は仙台へ移っています。娘さん(小学校1年生)は、イスラエル医療団のクリニックへ毎日のように遊びに来て、医療団のメンバーにとても可愛がられていました。再会したとき、その子は目を輝かせてこう言いました。「私は大きくなったらイスラエルへ行きたい。看護師になってイスラエルで働くのが夢。貧しい人や困っている人を助けたい。自分が助けられたから。あのときありがたいと思ったから。だから英語を勉強する。21歳になったらまずボランティアを始める。」と。なぜ21歳なのかは不明ですが、そこが子どもらしくて、微笑ましいです。ひと言ひと言に、感謝と希望があふれていました。「アリーナ(避難所)にいるとき、自分が何になりたいのか分かった。いつか自分が人を助ける人になりたいと思った。」と言う、まだ7歳の少女。苦しみを乗り越え、小さい体にさまざまな思いを飲み込んで親を支え、しっかり前を向いて生きようとしているけなげな姿を見て涙が止まりませんでした。こんなに小さな女の子にも、イスラエルへの思い、貧しく苦しんでいる人への思いを与えてくださっている主に感動しました。ゴスペルシンガーの上原令子さんが「イスラエルの神さまがあなたと一緒だから何でもできるよ!」と少女を励ますと、最高の愛らしい笑顔を返してくれました。

神さまは私たち祈る者に、南三陸町のクリスチャンセンターやこの小さな女の子を通して、目に見える形で祈りの実を見せてくださいました。また、私たちには知り得ず計り知れない素晴らしいことを、現在進行形で成してくださっています。生きて働かれる神さまに、すべての栄光をお返しし、これら一つ一つが皆様の祈りの実であり、ご支援の結果であることを、喜びと共にご報告いたします。

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