イスラエルを愛すると同時に、日本をこよなく愛する皆様のご支援により、B.F.P. Japanは教会を通じて東日本大震災を支援しています。今月は、震災以降B.F.P. Japanがご支援を続けている3つの代表的教会のレポートをお届けします
東日本大震災から早2年を迎えようとしておりますが、いまだ先が見えない南三陸町では不安が募る一方です。そんな折、イスラエル大使館から電話を頂きました。南三陸町とイスラエル国の友情の証しであるモニュメント贈呈式のお電話でした。このモニュメント、今は仮に設置してあるのですが、2年後志津川病院が出来た時点でそちらに移設されます。
贈呈式でイスラエル大使が佐藤町長を始め来客者に「生涯の友」、と言ってくださったことに深い感銘を覚えました。私たちも同じように、生涯の友という心を持ってさまざまな方々と接したいと思っております。友として、聖書の教えから「徳を高め合う」という姿勢を貫き、福音を提供します。「あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」(Ⅱペテロ1:5-7)
被災者と向き合うには「ことば」に気を付ける必要があります。実は避難所時代よりもさらにデリケートになっていると感じます。今は「茶話会」が最も適した支援であり、必要な働きだと考えています。被災された当人、また、地域が取り組もうとしていることの両方に耳を傾けています。それによって、積極的に協力し信頼を得るという働きを致します。大切なのはクリスチャンであることの表明と自分の在り方を示すことです。東日本において以前から注意すべき点に挙がっていることが、独自の文化と風土です。クリスチャンになった方々が信仰を生涯貫くことが出来る環境へ、併せて取り組んで行きたいと思っています。
いまだに仙台から南三陸へと通う日々ですが、一つずつ実りがあることを喜んでいます。B.F.P.Japanを支えておられる兄姉の皆様より、日々覚えてお祈りいただき、かつ現実的なサポートをもって支えていただけますことを心より深く感謝致しております。私自身も先行きが見えない中ではありますが、聖霊様は確かに人の心に働いておられます。私も謙虚になって地域に仕えたいと願っています。
オアシスライフ・ケアは、継続して南三陸の志津川地区(しづがわ)、石巻の寄磯(よりいそ)地区の二つの地域で支援活動を展開しています。震災当初は、支援する側の私たちも気を遣いながらの関わりが続きましたが、今では皆さんとだいぶ親しくなり、支援する側・される側という垣根を越えて可愛がっていただいています。協力してくださるボランティアも素晴らしい方々ばかりで、良い証しとなっているように思います。「現金収入」「語り合う場」「生きがい」の創出を目指した「SHIZU革」プロジェクト(8名の主婦の方による革細工作り)や、一般社団法人・海友支援隊と協力して寄磯の漁業再建プロジェクトのお手伝いを主にしています。SHIZU革の製作者の皆さんは、プロジェクトにやりがいを感じてくださり、今では一人の方が一カ月に100個作れるほど熟練しています。販路の確保が課題になっていますが、企業などとの連携も始まっており、先日は車のメルセデス・ベンツから協力のお話をいただきました!
物質的な必要の緊急度が少なくなってきている反面、これからの被災地を考えた、未来の希望につながる支援が大切になっていると感じています。今後は最低2016年まで活動を続け、被災地の未来を担う子どもたちも対象としたプログラムにも注力する予定です。「子どもたちを頼む…」という声が、被災者の方からも寄せられています。サマーキャンプや海外ボランティアによる英語のキャンプなどを通して、異なる地区の子どもたちが互いにつながり合って成長していく機会を提供できればと考えています。どの働きにおいても、究極的には永遠の必要を満たす(魂の必要を満たす)ことにつながることを祈っています。遠くに住む方々にずっと覚えていただくというのは本当に難しいことだと自分でも感じています。そんな中で被災地を続けて覚えて下さっている皆様に感謝します。これからも極力現状を伝え、リアルな声を発信していきますので、目に留めていただければ幸いです。
「荒廃したこの地に立つ『働き手』を送って下さい…」
震災直後、一面灰色の廃墟と化したかつての町々の跡地、恐ろしい大水に破壊され尽くした地を前にし、残された人々のうめきを耳にしながら、唇からこぼれ落ちたのがこの祈りでした。岩手県においては、南北200㎞以上の広範囲にわたり被害を受けた沿岸被災地域と、これまでほぼ手付かずであった、福音に対して「閉ざされていた」未伝地域とが重なります。それまで手にしたもの、職、家、そして愛する存在を突然失うという大きな痛みを負ったまま残された人々に寄り添い、その痛みを受け止めるべき教会とクリスチャンとがあまりにも少ない…、という現実がありました。しかし主は、この地と人々を痛みの中に捨て置かれることはなさいませんでした。
やがてこの被災地支援の働きを「教会」の働きとして進めるべく、また現地の諸教会と共に働くべく「3・11いわて教会ネットワーク」が結成されました。何も手掛かりがないまま手探り状態で始められた働きでしたが、国内外から心を奮い立たせられた無数のクリスチャンがボランティアとして駆け付けて来てくださいました。それだけではありません。やがてそのボランティアたちの中から、被災地に移り住み、中・長期にわたり人々に仕えることを祈りの中で決断した働き人たちが起こされ続け(常時20名程)、8カ所の拠点(沿岸6カ所、内陸2カ所)、10の市町村へとその働きは広がりました。仮設住宅でのプログラム、子どもたちのケア、学習支援、大工仕事、食料援助、訪問など、支援活動の形は多岐にわたります。出会う方々の言葉にならないような声にも耳を傾け、時に共に涙を流すような働きを通し、その働きの源である主の愛と福音とに触れ、主を信じる方々も起こされています。
これまでの皆様の祈りとご支援とに心から感謝致します。県南の放射能問題も含め、支援の働きは長く続いて行きます。これからも岩手に立てられた教会とその地の人々をどうぞ祈りに覚えてください。
B.F.P.Japanでは、これまでさまざまな形で東日本大震災支援に取り組んできました。震災から丸2年が経過しようとする現在、今後どのような支援をすることが現地と教会のニーズを一番満たすことができるのかを模索しています。これまで同様、教会を通じて地元の方々の救いのためにご支援を継続していきます。その他、B.F.P.Japanならではの支援を考えています。それは、せっかく結ばれたイスラエルと南三陸の絆を守っていくことです。具体的には被災地の学生などをイスラエルへ送る訪問団や文化交流などです。イスラエルを通して被災地に未来を作る青年達の心に希望の光をともすことができればと願っております。
こうした働きは、皆様の祈り無くして継続することはできません。祈りによってこの困難が祝福に変えられ、多くの救いの実を見ることができるように、被災地支援に共に立ち続けていただければ幸いです。
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