TEXT.入路久美子(B.F.P.Japan)
あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。イザヤ書58章12節
2011年大震災以降、B.F.P.Japanは「エズラin東日本」というプロジェクトを通して教会をバックアップさせていただく働きを続けています。皆様からの支援と祈りが、4年を経て大きな実を結んでいます。
今年6月、〝イスラエルの祝福をお届けしたい〟という願いを携えて、ゴスペルシンガーの上原令子さんと共に福島県と宮城県の教会を巡回訪問しました。復興の様子を知ると共に「祈りは確かに聞かれている!」という現実を目のあたりにする毎日でした。
「今回は神さまと聖書のお話しをしたい…」と願っていた矢先、現地の皆様から「聖書のことを聞きたい」と言ってくださいました。また、「ハイナイトをお勧めしたい。イスラエルの祝福を受け取っていただきたい」と願っていた牧師先生から、「ハイナイトをしたいと思っていた。教えてほしい…」と言われ、まさに驚きの連続でした。神さまは皆様の祈りを用いてくださり、ご自身の働きの力とされていると強く感じました。
かつて南三陸町にイスラエル医療団が来てくれたこと、その祝福は今も生きています。志津川役場に設置されたモニュメントから道路を挟んだ先には、「町立南三陸病院・総合ケアセンター」が建築中です。完成した暁には、モニュメントが病院敷地内へ移される予定だそうです。イスラエル人が残してくれた霊的な祝福が生き続け、未来につながることに心が躍ります。
イスラエルの霊的祝福の一つとして、ハイナイト教会の増加があります。大震災後、東北沿岸青森県から茨城県の中で、約20軒の教会が、ハイナイトを新たにスタートしてくださいました。ある牧師先生は震災直後、海外から駆け付けた宣教師と一緒にがれき処理をしている時、「先生、イスラエルのために祈っていますか」と質問されたそうです。「なぜ、今この時に、そんなことを言うのかな…」と首を傾げたそうですが、続けて数名の方々から同じことを質問されたそうです。そんなこともあり、BFP(ブリッジス・フォー・ピース)へ問い合わせをしてくださいました。しかし復旧活動に奮闘する日々が続き、なかなか実施できずにいたそうです。しかし、今回「ハイナイトをしよう!」と、決心に至られました。神さまはあの手この手を使って、牧師先生に語り掛けておられることを知りました。神さまご自身が牧師先生を励まし、教会を祝福したいと願ってやまないことを痛感します。
最大の復興支援である「魂の救い」のために、皆様が祈り続けてくださった、その実の一部をご紹介させていただきます。岸浪市夫先生(栗原聖書バプテスト教会)が関わり続けておられる方々の中で、救いが次々に起こされています。そして救われた人々が、今度は働き人となっておられます。ある仮設住宅に住む女性は昨年12月に洗礼を受けました。それまで震災のことだけでなく、霊的な苦しみや家族への葛藤などさまざまな苦難があったそうです。しかし岸浪先生始め集会に来るクリスチャンから聞く、みことばの光によって、その壁を一つずつ丁寧に整理し、心を一新してゆかれました。岸浪先生はそのお手伝いに時間を掛け、心を尽くして彼女の心に向き合ってこられました。救いに至るまでの道は本当に険しく厳しいものだということが、少し証しを聞いただけで分かります。私もその女性と何度かお会いしていましたが、以前とはまるで別人のようでした。表情が違う、目の輝きが違う、醸し出す雰囲気が全く違う。とても明るく元気になっておられました。何よりも、主の喜びに満ちあふれておられました。
南三陸に住む奥様方の内職支援、『SHIZU革』を生み出し国内外の祝福となった、オアシスライフケアー(松田牧人先生)が管理する「森郷キャンプ場礼拝堂感謝会」へ参加させていただきました。震災後5年目にしてとうとう建て替えの一部が完了し、そのお祝いに多くの方々が駆け付けていました。礼拝堂の完成に続き、カフェ建設など、さまざまな未来計画が与えられています。
松田牧師は力強くビジョンを語りました。「震災の時、何が必要ですかと、よく聞かれた。当時はなかなか答えられなかった。必要が多すぎて。でも今はこのように答えます。『人が必要です』頭数や力のことではない。神さまの声に本気で聞き従う、自分を無にして仕えることのできる若者を育てる場所となるべく、今日ここにこの場所があります。ここからまたスタートします。」この緑豊かなキャンプ場で子ども・若者たちが豊かに育まれ、真の礼拝者として立て上げられてゆくことに、期待感で胸がいっぱいになりました。
宮城県を移動する中、至る所で高台整地の工事が進んでいました。山はまるで上から刃物をおろしたように切り出され、高台から見下ろす沿岸のあちこちが盛土で埋め尽くされているかのようでした。一般道路は工事用大型車両が連なり、大忙しの様子です。現地の方から聞くと「復興住宅が完成し入居が始まっている地域はある。しかし高台移転の地域は、いまだに平地確保や整地にてこずっている。今年の冬も仮設住宅に住まう覚悟をしている。唯一の住まいである仮設住宅は傷みが進み、修繕箇所が増えている。でも、職人さんや機材が足りなくて修繕が追い付かない。でもみんな我慢しているのだから……。」とのこと。現状を訴えることさえはばかる苦しい状況がそこにはありました。しかし、少しずつでも地域全体が前に進んでいる、復興へ向かっていることも事実です。
福島県においては、放射能に汚染された土が、庭に積まれたままの家々をたくさん見ました。業者さんが除染作業をしてくれますがそれを運ぶ場所が無いのだそうです。汚染土にカバーをかけ周囲を土嚢(どのう)で押さえたままの状態です。確かに線量が低くなりつつあるそうですが、子どもたちへの影響を考え「遊び場」の提供、県外に移動し遊ぶ「週末退避」を手伝う教会や地域の働きもまだやめるわけにはいきません。福島にはほかにもたくさんの課題があり、先が見えないこの状況を唯一変えることができる主に、さらに叫び祈る必要性を感じました。
私たちは東北被災地を覚えて祈ってまいりました。オリーブライフ誌、ハイメール、ハイナイトにて折に触れて、東北以外の被災地へも思いを寄せてきました。今回の巡回を通して、主が皆様の祈りに耳を傾け、用いてくださっていることを肌で感じました。神さまがどれほどクリスチャンの祈りを求めておられ、その声に応えたいと願っておられることか。目に見える復興はまだ長く続くことでしょう。しかし人々の救いは続々と起されています。救いという最高の回復がなされていることを心から感謝します。被災地の教会を通して神の国が広がっています。
アブラハム契約の祝福が今のイスラエルを通して、日本の救いと回復につながっていることを確認しました。さらに祈ってまいりましょう。破れを繕う者、市街を住めるように回復する者と呼ばれましょう。
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