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ハイメール通信No. 108 2007 エルサレムの平和のために祈れ

新年あけましておめでとうございます。

2007年、イスラエルではエルサレムの市長を28年間勤めあげたテディー・コーラック氏死去で幕が上がりました。いよいよ新しい世代がイスラエルと中東を導く時代となっています。今、イスラエル人教会でも若者を育成する動きが活発です。イスラエルは新しい時代へと前進しています。

「エルサレムの平和のために祈れ」(詩篇122篇)。
2007年、イスラエルを通して主のみわざがさらに世界にあらわされ、主の御名が大いにあがめられることを期待しましょう。今年も私たちの祈りが用いられます!

若者をその行く道にふさわしく教育せよ。
そうすれば、年老いても、それから離れない。(箴言22:6)



■ 2007年:エルサレム

<エルサレムの名市長召される>

28年間(1965-1993年)エルサレムの名市長として市民に愛されたテディー・コーラック氏が、1月2日95歳で亡くなりました。コーラック氏はエルサレムがまだ東西に分割されていた1965年に(西)エルサレム市長に着任。その後六日戦争、エルサレム統一と激動の時代に資金集めとインフラ充実に奔走し、エルサレムの発展に努めました。

「ミスター・エルサレム」としてアラブ人にも信望ある市長でした。イスラエル最後の「建国の父」と呼ばれていました。家族は妻と2人の子供、5人の孫。

テディー・コーラック氏(本名:テオドール・ヘルツェル・コーラック)は、1911年オーストリアのウイーンで生まれ、シオニズム運動の強い影響を受けて育ちました。1934年、23歳の時にナチスの迫害を逃れて、イギリス統治下のパレスチナへ両親とともに移住。ガリラヤ地方のキブツ・エン・ゲブを開拓しました。

第二次世界大戦中は、ヨーロッパのユダヤ人をイスラエルへ救出する地下活動に従事しました。コーラック氏はあるナチス高官との交渉で3000人のユダヤ人を助けています。その高官とは、後にイスラエルで処刑されたゲシュタポのアドルフ・エイヒマンでした。戦後はユダヤ人抵抗運動「ハガナ」に所属し、武器調達に奔走しました。

1948年にイスラエルが建国すると、初代首相となったベン・グリオンの配下に入り、1965年、54歳で西エルサレムの市長に任命されました。当時エルサレムは、高い壁によって東西に分断されていました。東はヨルダンが管理するアラブ人地区、西はイスラエルが管理するユダヤ人地区でした。

コーラック氏が着任した時の西エルサレムはまだ小さく、何の設備もないようなところでした。1967年、六日戦争でイスラエルが勝利すると、東西を分断していた壁が取り壊され、エルサレムは統一された市となりました。

コーラック氏は、「エルサレムはユダヤ人の心」ととらえ、町の発展に尽くす決意をしました。1日に18時間働き、自宅の電話番号を公開して市民の声を聞き続けました。

コーラック氏はエルサレム基金を創設し、市の発展のための資金集めにつとめました。資金を使って、電気やガス、下水の整備を行い、イスラエル博物館、エルサレム・シアターのほか、サッカースタジアムの建設など、文化やスポーツの普及発展にも貢献しました。

コーラック氏は「親アラブ」と言われるほどに、アラブ人の生活環境にも気を配っていました。「アラブ人はここにいる。彼らに親切にすれば平和は保たれる。」と考えていました。結果、「ミスターエルサレム」と呼ばれ、アラブ市民にも信望の厚い市長でした。しかし、晩年には「アラブ人には十分なことができなかった」と語り、1993年、82歳で市長選に再度立候補しました。この時、エフード・オルメルト氏(現首相)に破れ、28年の市長職を終えました。

コーラック氏を次いだオルメルト氏は10年間エルサレム市長を務めました。2003年オルメルト氏が政権入りしたのちは、ウリ・ルポリアンスキー氏が市長となっています。

*ウリ・ルポリアンスキー現エルサレム市長

ルポリアンスキー氏は1951年、ハイファ生まれの46歳。史上初の正統派ユダヤ教徒の市長で、統一ユダヤ教政党に所属しています。1989年に38歳で初めてエルサレム議員に選出されました。

ホロコーストで亡くなった祖母にちなんで「ヤド・サラ」という慈善団体を創設。宗教や人種を越えて、病人や老人など孤独な人々に対して、医療支援やその他の必需品を提供しています。今ではボランティアを6000人抱える大きな団体となり、政府から様々な賞を受けました。

2003年からは、現役のエルサレム市長になりましたが、エルサレムのゲイ・パレード問題など、正統派の市長としては大変難しい問題に直面しています。妻と12人の子供がいます。

<現代のエルサレム>

現代のエルサレムは人口72万4000人(2006年5月データ。イスラエル人口の約10%にあたります。)うち65%がユダヤ人で32%がアラブ人、2%がクリスチャンです。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地であるエルサレムには、シナゴーグ1204件、教会158件、73件のモスクがあります。

現在、エルサレムは統一された市ですが、実際は、東エルサレムはパレスチナ人地区、西エルサレムはユダヤ人地区と分かれています。その境界に位置するのが旧市街です。旧市街には両者の聖地が重なり、時々紛争がおこるなど緊迫した状況が続いています。

イスラエル建国直後、エルサレムはまだ国連によって統治される国際都市でした。しかし、1967年の六日戦争で、イスラエルがエルサレムの主権を持つことになります。1980年、イスラエルはその基本法においてエルサレムを首都とすることを世界に表明しました。

現在、クネセット(国会)はじめ政府関係諸官庁、プレスセンターなど報道関係施設などイスラエルの行政機関はすべてエルサレムにあります。しかしパレスチナ自治政府も、パレスチナ国家設立の時にはエルサレムを首都とすると表明しており、国際社会は、まだエルサレムをイスラエルの首都とは認めていません。

エルサレムでは、その歴史的財産にかんがみ、市内での産業発展はあまり奨励されませんでした。エルサレムは政府関係の公務員の他は、観光などのサービス業が主な収入源となりました。最近、ハイテク産業でエルサレムに本拠地をおくところが増えてきています。

労働人口は38万人でテルアビブやハイファよりも低くなっています。これはアラブ人や正統派ユダヤ教徒など労働についていない人々が他の町よりも多いことが原因と考えられます。結果、貧困線以下の生活をする人の割合も25%(他都市では17%)と高くなっています。

<祈り>

  1. エルサレムの平和と経済的祝福のために
  2. 次世代をになうルポルアンスキー市長とエルサレム市役員らの導きのために
  3. イエスさまがもうすぐ来られます。
    エルサレムの人々が主に立ち返り救われるように

■ 2007年:パレスチナ自治政府との和平交渉再開?

昨年12月23日、イスラエルのオルメルト首相とパレスチナ自治政府のアッバス議長が直接会談を持ちました。直接会談は昨年6月に予定されていましたが、イスラエル兵シャリートさんの拉致によって保留となっていたものです。今回の会談で両者ともに和平へむけて協力し合うことで同意しました。

オルメルト首相はアッバス議長に1億ドルの人道支援を申し出ました。ただし、ハマス政府を通さずに直接パレスチナ市民へ届く手段がみつかれば・・・という条件付きです。実際はハマスが政権からはずれないと送金は困難です。送金の申し出はアッバス議長を援護する目的があると見られています。

パレスチナ側では、昨年アッバス議長が、ハマス政権を解散、総選挙を行うと表明して以来、ハマスとファタハ(アッバス議長所属)の衝突がエスカレートしています。内部紛争によるパレスチナ人の死者は昨年12月には16人、今年に入ってからの数日間だけで5人となっています。

1月13~14日、アメリカのライス国務長官が中東和平を軌道に乗せる目的で中東を訪問することになっています。これに先立ちエジプトのムバラク大統領、オルメルト首相が会談を持ちます。議題はいかにアッバス議長を援護するか、またハマスに拉致されているシャリートさんの解放をどう実現するかです。

ハマスはシャリートさんを解放する代わりに、イスラエルに収監されている1500人のパレスチナ人を解放するよう要求しています。イスラエル側は、ハマスの要求は現実離れしているとして、要求に応じないことを表明しています。

シャリートさんの父親はガザの有力紙に息子への手紙を掲載しました。もしかしたらシャリートさんの目にとまり、励ましになるのでは期待しています。シリアが最近、イスラエルとの和平を望んでいると表明していることについて、シャリートさんの父親は次のようにコメントしました。「もし本当にイスラエルとの和平を求めているなら、すぐにダマスカスにいるあなた(アサド大統領)の友人マシャアル氏(ハマス武装部門最高指導者)に息子を解放させなさい」

<厳しい幕開けのオルメルト政権>

2006年の第二次レバノン戦争当時の戦略の甘さから、オルメルト首相に不満足と答えた国民は77%に上っていることがわかりました。戦中の戦略や指示系統に関する調査が進められており、ペレツ国防省、ハルーツ参謀総長への不信任リコールの声が高まっています。オルメルト首相を支持しない人々は、「もしペレツ国防省を更迭したらオルメルト支持に変わるかもしれない」と言っています。

1月4日、シャロン前首相が病に倒れてからちょうど1年になりました。イスラエルでは「もしシャロン首相が健在だったら・・・」という思いが広がっています。もしシャロン首相なら、昨年のレバノン戦争は起こっていなかったかもしれない・・・起こったとしてももっと違う結果になっていたかもしれない・・。」

また、アッバス議長の求心力があまりにも弱いことを受けて、シャロン首相なら、現実を見極め、もしハマスが将来政権を担うと結論を出せば、ハマスと交渉する柔軟さと勇気をも持ち合わせていただろうと言われています。
*シャロン首相は、意識がないままテル・ハショメール病院で療養を続けています。

<祈り>

  1. オルメルト首相の力量が求められています。
    首相が主によりたのんで力を得るように
  2. パレスチナ人との間に平穏が与えられるように
  3. シャリートさんおよび、ヒズボラに拉致されている兵士2人の早期帰還の実現のために。
  4. オルメルト首相、アッバス議長、ムバラク大統領、ライス国務長官の和平への試みが成功するように

■ イスラエル人教会のユース・ミニストリー

イスラエル建国当時からの指導者が次々に亡くなり、次世代の指導者がイスラエル側にもパレスチナ側にも起こされてきています。ハマスのハニエ首相はガザで生まれ、ガザで育った43歳。先に紹介したルポリアンスキー・エルサレム市長も建国後に生まれてイスラエルで育った46歳です。

イスラエル人の教会でも次世代のリーダーを育てる動きが活発です。12月ハヌカには今年3回目を迎える3日間のユースカンファレンス「ハカツィール:ハーベスト(収穫)」が17-19日で行われました。詩篇91篇から、「隠れたところで」というテーマで、①主の御手に身をおく ②主を知る ③主に呼び求める3日間でした。このテーマは昨年のレバノン戦争を経験した若者たちにとっては現実味のあるテーマでした。

全国から120人のイエスを信じる10代から20代のイスラエル人たちが集まり、献身の思いを新たにしました。若者たちは、「すべてのイスラエルは救われる!」と勝利を宣言しました。カンファレンスでは、22歳の若者がメッセージするなど、たのもしい献身者たちが育っています。

<祈り>

  1. カンファレンスに参加した若者たちが篤い心を持ち続け、さらに用いられるように
  2. イスラエルの若者たちの間でリバイバルが起こるように
  3. 従軍する若者たちを主が顧みて守り導いてくださるように

■ 2007年:BFPJapanの成長のために

2007年、栄子師のツアーが春に4本、秋にも多数予定されています。また3回の来日により北海道、東北、関東、関西、九州などを巡回します。ハイナイト教会500軒をめざして様々なプロジェクトを計画しています。
BFPJapanが、2007年も主の導きに沿って成長し続けられるようにお祈りください。

2007年:全国のハイナイト教会、またイスラエルのために祈っておられる皆様方に主の豊かな祝福がありますようお祈り申し上げます!

ニュース情報源:GPO(イスラエル・プレスセンター)、イスラエル外務省HP、ハアレツ、エルサレムポスト、イスラエルインサイダー、CNN、BBC、イスラエル国防軍HP、アル・ジャジーラなど

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