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ハイメール通信No. 98 停戦:戦いが残していったもの

8月14日、34日間続いたヒズボラとの戦いが停戦となりました。この間、イスラエル側へのロケット攻撃は3790発、死者は157人(兵士118人、市民39人)、レバノン側の死者は、900~1000人(ヒズボラと市民の区別不能)にのぼりました。負傷者、心理的ショックに陥っている人々は数え切れません。

17日、レバノン軍、及び国連レバノン暫定平和維持軍と交代で、イスラエル軍が南レバノン地域から撤退をはじめました。北部イスラエルの住民は、シェルターから出て日常生活への復帰を始めました。レバノンでは、ヒズボラのナスララ党首が「勝利宣言」を発表。避難していた南レバノンの人々も家に帰り、復興への歩みを始めています。

この戦争はイスラエルに何をもたらしたのか。イスラエルでは、戦争と、戦争を導いた指導者についてのきびしい検証が行われています。これからの歩みのためにとりなしましょう。

わたしはあなたの神、主である。
わたしはあなたに益になることを教え、
あなたの歩むべき道にあなたを導く。
あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、
あなたのしあわせは川のように、
あなたの正義は海の波のようになるであろうに。(イザヤ書48:17-18)



■ 停戦成立:それぞれの悲しみと復興

8月11日、イスラエル、ヒズボラ双方が、国連安全保障理事会の停戦決議案1701に合意し、停戦が成立しました。停戦の実効は14日。この日、イスラエルへのロケット攻撃が停止し、イスラエル軍の南レバノンへの攻撃も停止しました。

現在、イスラエル北部都市住民、南レバノン住民がそれぞれの自宅へ帰り、復興を始めました。多くの家族が死者やけが人、ショックで立ちあがれない人々をかかえています。

イスラエル側

イスラエルでは、この戦争で兵士118人が犠牲となりました。そのうち33人は停戦から停戦実効までのぎりぎりの戦いで命を落としました。市民の犠牲は39人。多くの家族が二度と戻らない人々への想いと向き合って生きていくことになります。

病院では一命をとりとめたものの、痛みと障害を負って苦しむ人々、PTSDに苦しむ人々が数え切れないほどです。

ナハリヤの病院によると、この戦争では実際の負傷者よりも多数のショック患者が担ぎ込まれたため、医師、看護師に加え心理ケアスタッフを待機させた「ショック者対応の部屋」を地下のシェルターに用意しなければなりませんでした。

ロケット攻撃を受けた北部都市の人々の間に、広くPTSDが発生する可能性があります。イスラエル国防軍の国内危機管理部門では、戦後の心理的な変化に対する知識と対応についての教育を急いでいます。

<拉致されている3兵士の家族>

今回の停戦条項に、拉致されている3兵士の返還は盛り込まれていません。国連のアナン事務総長がイスラエルのリブニ外相の要請に応じて、3兵士(ギラッド・シャリートさん、エフード・ゴールドワッサーさん、エルダッド・レゲブさん)の家族と面会することを約束しました(拉致は国連決議1701に反しています)。

イスラエルは、現在、水面下で3人の返還交渉を行っていると報じられています。

<北部都市の様子>

イスラエル北部都市では、停戦から3日目、ようやく人々が町に戻り始めました。シェルターにいた人々が地上での生活を少しずつ回復し、避難していた人々も帰り始めました。

モールでは部分的に店が開店し、買い物ができるようになりました。ハイファのメシアニック・ジューの会衆『オハレイ・ラハミーム』では、19日、ほぼ1カ月ぶりに、会堂に集まっての礼拝を再開します(戦争中は、多数の集会が禁止となったため、300人近くが一緒に礼拝をもつことができませんでした)。

<子どもたちと学校>

小学校では、ぎりぎりで新学期を予定通り始めます。早いところでは27日からが新学期となります。最も攻撃が激しかった町のひとつナハリヤの小学校では、子どもたちへの心理的な圧迫を考慮し、最初の一週間は学習ではなくリラックスできるような活動を予定しています。

問題は、直接のロケット攻撃を経験した32校の生徒たちです。教育省では、校舎の修繕が終わるまで、生徒たちを別の町の学校へ送る計画にしています。

イスラエル政府は、子どもたち、教師たちへの心理的ケアなどのため、教育省に6500万シェケル(約1億6000万円)を充当することを決めました。

イスラエル国内の学校や寮には、北部から避難してきた人々がまだ1万人は残留しています。北部に帰らない理由は様々ですが、自宅が破壊され帰れなくなった人々もいます。これらの学校では、来週から新学期を始めるため、住民たちに退去するよう要請しています。

全国の学校校長、教師等は、まだ生徒が全員自宅に戻れない中で、早急に新学期をはじめることに反対しています。

<祈り>

  1. 拉致兵士の早期無事返還のために。
  2. まだ入院中の負傷者の心身の回復のために。
  3. 死者を出した家族、負傷者のある家族が支えられ、再び立ち上がれるように。
  4. 被災した子どもたちの心身の健康のために。

<旅行者の動向>

戦争中の7月、イスラエルを訪問した旅行者の数は14万9000人。例年より25%の減少となっています。観光省では2006年240万人の旅行者を予想していましたが、現時点ではいくら宣伝をしても160万人にとどまるとの見通しです。(2006年1月から現時点で海外からの旅行者は120万人)

新観光スポット?

ゲスト・ハウスをもつキブツ・ゴネンによると、旅行会社から、カチューシャ・ロケットの攻撃を受けた現場の見学に対する希望が多数寄せられています。

キブツでは、シェルターの見学に加えて、ロケット弾を受けた建物の見学、キリアット・シモナの住民や救急隊員との対話、レバノンとの国境を展望するなどを盛り込んだツアーを計画しています。

<急激に悪化する経済:BFP現地活動:レベッカ・ブリマー師記事より要約抜粋>

BFPの『タウンサポート』で支援している5市町村は北部に位置しており、被害に遭いました。今回新たに3都市を支援都市に加えました。現地スタッフは、戦闘中もガリラヤ湖畔のティベリヤや、キリアット・シモナ、メツラ(レバノンに最も近い町)のシェルターの住民に食事を届けました。

エルサレムでは、北部からの避難民があふれ、食事の配給を待つ人々が急激に増えました。エルサレムには、路上生活者や貧困層に食事を配給する団体が多数存在します。BFPではそのような団体への支援を増やしました。

宗教的なユダヤ教徒は、武器を取って戦場に行くことをしません。政府は彼らが祈りに専念できるよう、戦闘に参加しないことを認めています。ただし希望者は従軍することができます。

しかし、戦死した兵士の遺体処理のため、最前線へ出たユダヤ教徒がいました。ユダヤ教では、死者の体を清拭して整えることは高貴な奉仕ととらえられており、ラビなど特別な宗教的ユダヤ教徒が行うことになっています。彼らは武器なしで危険な戦場に出て行きます。BFPでは彼らのために防弾チョッキ30着とヘルメットを献品しました。

またユダヤ教では葬儀の際、家族は7日間、座って亡くなった人をしのんで喪に服します。その間、友人知人が食事の世話をします。これを「シェバ」と言います。BFPではそれらの家族に『シェバ・バスケット』を届けています。

イスラエルでは全人口の25%が貧困線以下、25%は境界線と言われています。北部で戦争の影響を受けた人は50万人。1カ月ビジネスが止まったことで50万人が新たに貧困層に入ると予想されています。フードバンク責任者のビル・スティーブンス師は、50万ドル(約7000万円)あってもすぐなくなってしまうと必要の大きさを語っています。

15カ国から来たBFP本部の70人のスタッフは、全員現地に残り、イスラエル人と危険を共にして奉仕しています。奉仕者も施設もそろっている今、さらなる献金が必要ですと、BFP総責任者のレベッカ・ブリマー師は呼びかけています。(BFP HP)

<高まる民族意識>

海外に住んでいるイスラエル人1300人が、戦争中の7月にあえてイスラエルに帰国しました。夏に海外旅行に出るイスラエル人の数は例年より8%減って、多くのイスラエル人が国内にとどまりました。

停戦直後の16日には、新移民をのせた飛行機が、3機到着しました。イギリス、カナダ、アメリカからのユダヤ人移住です。移民を迎えたラビは次のように言いました。「この土地を受け継ぎなさい。飛行機から一歩降り立つとき、あなた方は長年の犠牲、血と涙の結果を受け継ぐのです。今度はあなた方がこの地を愛し、この地を守ってください。」

移民者を乗せたエル・アル機の機長は数日前まではレバノンで戦闘機に乗っていたパイロットでした。歓迎式典に出席したオルメルト首相は、「アリヤ(ユダヤ人のイスラエル移住)こそ、イスラエルの将来を最も確信させるものです。」とコメントしました(アルーツ7)。

<祈り>

  1. 新しく移住してきた人々が希望を持ちながらイスラエルに定着できるように。
  2. イスラエルの平和と旅行業界の祝福のために、経済的祝福のために。
  3. 戦災のなかで伝道するイスラエル人の教会、異邦人ボランティアが用いられ、救われる人々、リバイバルが起こされるように。
  4. イスラエルへの献金が増えるように。

<レバノン側>

レバノンでは、900~1000人の死者が出ました。がれきの下から新たに発見される遺体があるため、死者数はさらに増え続けています。

南レバノンでは、1時間に6000人という群衆が、南レバノンの自宅に帰ってきています(ユニセフ調べ)。
家財道具を乗せた自家用車の列の間を、負傷者を乗せた救急車が走り回り、支援物資を乗せたトラックが被災地へ急いでいます。道路にはクレーターのような大穴があいています。

避難民を待っているのは、不発弾です。アマール・バラスさんが家族とともに自宅に帰り着いたとき、そこにあったのは破壊されたがれきと不発弾でした。バラスさんは1996年と1999年にもイスラエルの空爆を受けましたが、「何度でもやりなおす」と言っています。

アリ・バクリさんは、スーパーマーケットを経営していましたが、食べ物が散乱し、腐敗しています。バクリさんの村の80%は破壊されました。死者は60人と見られています。

人権監視団体は、帰還する避難民数千人が不発弾の犠牲になる可能性があると警告しています。

<ヒズボラの福祉活動>

ヒズボラが本格的にレバノンの復興にのりだしています。被災者の1年間の家賃を肩代わりし、家屋を破壊された家族には、家具を提供しています。

これは停戦の数時間後に、ヒズボラのナスララ党首が公約したことです。支援を受ける家族は15000家族、総費用は150万ドル(約2億1000万円)。スポンサーはイランです。

16日、ベイルートでは、避難民の被害状況を登録し、支給を決定する行政センターがオープンしました。地方役人のハラブさんが「ここに(レバノン)中央政府は存在しません。ヒズボラがすべてを行っています。」と話しています。

ヒズボラ福祉部門の活動家は、普段は自分の役職を隠しています。どこにヒズボラのメンバーがいるのかわかりません。生活に困窮している人が不満をもらすと、ある日、玄関先に食べ物が届けられているというのがヒズボラの活動の方法です。

ヒズボラの福祉活動は、人民の心を確実に捕らえています。上記被災者のアマール・バラスさんも、「ナスララ党首の言うことには聞き従います。もし殉教するように言われたら従います。」と語っています。

<祈り>

  1. 死者数と破壊の激しかったレバノンの人々が支えられるように。
  2. ヒズボラに対峙している現地クリスチャンに主の備えと、霊的な強さが与えられるように。
  3. 国家の危機に際して伝道しているレバノンの教会が祝福され、リバイバルを迎えられるように。

■ 安全対策は?

イスラエル軍は、17日、南レバノンからの撤退を開始しました。イスラエル軍は現在、すべての予備役兵を撤退させ、ゴラニ部隊、ナハル部隊、特殊部隊が代わって南レバノンの村に駐留し、イスラエル軍の完全撤退の準備をすすめています。撤退は来週末には完了の見通しです。

すでに現在までにリタニ川と北部国境との間でイスラエルが制圧した地域の50%の支配権が、国連レバノン暫定駐留軍(UNIFIL・現在2000人)に委譲されました。まもなくレバノン政府軍が合流することになっています。

UNIFILは徐々に規模を拡大し、将来15000人を駐留させる計画です。これは、リタニ川以南30Kmの地域を、イスラエルとレバノンとの緩衝地帯にすることが目的です。将来的には、レバノン政府軍が単独でその地域の非武装化をはかり、治安を守ることを目標としています。

開戦前に駐留していたUNIFILの2000人部隊は、ヒズボラに対し全く無力でした。今回、国連はUNIFILを150000人に増強することを目標に各国の協力を要請しています。しかし、アメリカはすでに不参加を決めています。

18日、新しいUNIFILの中心的役割を担うと期待されていたフランスが、現時点で兵200人のみの参加を申し入れ、世界を驚かせました。他にはバングラディッシュ2000人、イタリア3000人となっていますが、UNIFILが実効性のある多国籍軍としてヒズボラの武装解除を担う可能性は低いと見られています。

停戦合意において、レバノン政府は、レバノン軍を南レバノンに送って、ヒズボラの武装解除を行うこととなっています。18日、国連決議に基づき、レバノン軍はリタニ川を越えて南レバノンに入りました。しかし、レバノンはヒズボラの武装は「抵抗運動に不可欠なもの」と位置づけ、ヒズボラの武装解除にむけた動きには協力しないと表明しました。

また、アラブ系メディアのアルジャジーラによると、ヒズボラは、残存するすべての武器をレバノン軍、及びUNIFILに譲渡すること、レバノン軍が、ヒズボラ組織の武装を調査監視するという国連決議1701を拒否しました。停戦に関して、ヒズボラが同意したのは、南レバノンにおける軍事活動を行わないこと、南レバノンで、軍備したゲリラがあらわれないようにすることにおいてのみです。

しかし、以前からヒズボラは見えないところで軍備と軍事活動をしていたのであり、この約束は以前の状態と同じです。むしろ、以前よりも地域住民と密着した活動を展開するということを示唆しています。

イスラエルは、レバノン政府がヒズボラに対して権力を取り戻し、武装解除に踏み切ることを望んでいました。しかし、UNIFILの展開に問題が生じ、レバノン政府がヒズボラの武装解除の責任を負わないと宣言した今、ヒズボラに対する防衛は結局イスラエル自身の手に戻ったことになります。戦闘が再開する可能性が懸念されています。

<祈り>

  1. 南レバノンの緩衝地帯が早急に確立され、再び戦闘状態とならないように。
  2. 主がヒズボラの弱体化をすすめてくださるように。

■ 戦争が残していった課題

<戦争責任追求で割れるイスラエル世論>

イスラエル国内では現在、戦争に対する批判が高まっています。今回の戦争の目的は、拉致された3人の兵士の返還と、ヒズボラの完全武装解除でした。しかし結果的にはどちらの目的の果たさないままの停戦となりました。拉致兵士返還を勝ち取れなかった停戦には、70%のイスラエル人が反対しているとの結果がでています(ラハフ・リサーチ研究所)。

イスラエル政府はヒズボラの軍事力の90%は破壊したと発表していますが、実際にヒズボラにどの程度打撃を与えたかは明らかではありません。

また、11日の停戦合意から14日の停戦実効までの数日間、イスラエルは空爆と地上戦を続行し、多くの兵士が犠牲になりました。はたしてそれが必要であったのかどうか、戦略についての疑問からオルメルト首相、ペレツ国防相、ハルツ参謀総長に批判が集中しています。オルメルト政権の支持率は戦争中78%が停戦後40%になりました。ペレツ国防相は68%から28%に転落しました。

特に、ハルツ参謀総長は、1982年以来の大きな戦争開戦直前に、戦争不利益を避けるために、株を売却していたことが明らかとなり、辞任を迫られています。

また今回、多数の予備役兵が召集されましたが、武器や食料の配給が十分準備されておらず、指揮系統にみだれがあったことも指摘されています。ペレツ国防相は、戦争経緯の調査団を発足させ、解明に動き出しました。

<ヒズボラとシリア、イランの勝利宣言>

ヒズボラのナスララ党首は、停戦とイスラエル軍の撤退に関して、明白な「勝利宣言」を出しました。続いてシリアのアサド大統領は、プレス・カンファレンスで、ヒズボラの健闘を、「ゆるぎない抵抗運動」と高く評価しました。

またアメリカが掲げた「新しい民主的な中東構想」の失敗と断言しました。大統領のスピーチはしばしば拍手で中断され、中には立ち上がってヒズボラの黄色の旗を振りかざす女性もいました。

このカンファレンスはアラブ諸国にも報じられ、シリアのヒズボラ支援をアピールしました。今回の戦争でヒズボラが、アラブ諸国内の支持率を上げた模様です。

イランでは南レバノンに「ミニ・イラン国家」への前進として、ヒズボラの「勝利」を祝いました。テヘラン市内では、祝賀のしるしとして市内バスが一日フリーとなりました。

<祈り>

  1. オルメルト首相、ペレツ国防相、ハルツ参謀総長のこれからの決断がイスラエルの益となるように。
  2. ヒズボラへの資金源が拡大しないように。
    シリア、イランのイスラエルに対する敵意からイスラエルを守ってくださるように。

ニュース情報源:GPO(イスラエル・プレスセンター)、イスラエル外務省HP、ハアレツ、エルサレムポスト、イスラエルインサイダー、CNN、BBC、イスラエル国防軍HP、アル・ジャジーラなど

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