ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 93 スデロットの町を守れ!~ガザ撤退後、標的となった町~
ガザに近い町スデロットへのロケット攻撃が激化しています。事態を打開するため、イスラエル空軍はガザ地区テロ訓練場へのピンポイント攻撃を行いました。死亡したテロリストはロケット攻撃の首謀者でしたが、ハマス内閣の一員だったため、イスラエルが非難を浴びる結果となりました。
今月も祈りで、イスラエルの平和と真の救いのためにとりなしましょう。
シオンのために、わたしは黙っていない。
エルサレムのために、黙りこまない。
その義が朝日のように光を放ち、
その救いが、たいまつのように燃えるまでは。(イザヤ62:1)
前回も紹介しましたが、ガザに最も近いイスラエルの町スデロットへのロケット攻撃が続いています。
寝室のベッド、歩道や学校など場所を選ばず、カッサム・ロケットが飛来します。昨年夏、ガザからイスラエル軍が撤退して以来、攻撃回数が増えました。
ところが、ロケット弾に直接殺されたイスラエル人はいないとのことです。(重傷者は多数)これはイスラエル誌も「神の介入か」と評しているほどです。
しかし、スデロットのモヤル市長は、さらなる抜本的な防衛対策を政府に強く要求しています。このままでは、スデロット市民の方が非難撤退しなければならなくなると警告しています。
スデロット市はソロモンの時代にその名が出ています。ガザ地区ロケット弾の発着場となるベイト・ハヌーン(Beit-Hanun)から6キロ程度しか離れていません。
建国当初移民キャンプとして出発し、北アフリカ系移民の町として発展。90年代になってロシア系移民を多く迎えるようになってから人口が倍増しました。現在の総人口は約3万人、半数がロシア系となっています。99.8%はユダヤ人で、アラブ人はいません。
紛争が激化する前までは、住民はガザへ買い物に行き、ガザからパレスチナ人たちもスデロットに来ていました。現在両者の行き来は途絶えています。
カッサム・ロケットは2001年、ハマスによって開発され、徐々に性能を高めてきています。ロケットの長さは1m強で直径20cmです。発射台は人の手で移動可能であるため、一般のパレスチナ人たちの居住区を拠点にされることがあります。
射程は8~10km、ガザや西岸地区から、イスラエルの町々へ十分攻撃可能です。軌道制御能力がなく、どこに落下爆発するかわからないため、無差別攻撃をします。家屋内よりも外へ落下する傾向があり、スデロットでは、親は子供を外で遊ばせることに不安を訴えています。
スデロットでは、カッサム・ロケットの発射が検知されると2秒後に警報がなります。しかしスデロットはあまりにもガザに近いので、警報から20秒後には着弾しています。警報が鳴っても爆弾がどこから飛んでくるのかわからない。どこへ逃げたらいいのかわからないというのが現状です。 (カッサムの開発者は2004年、イスラエル軍によって殺害されました。)
*北部テロリストのヒズボラが使うのは「カチューシャ・ロケット」。レバノンからの攻撃となるため、カッサムより射程距離が長く、破壊力もあります。2006年、イスラム聖戦によって、初めてガザ(パレスチナ人エリア)からカチューシャ・ロケットの攻撃がありました。
パレスチナのテロ組織とヒズボラ(シリア、イランの支援)との関係が示唆され、大変危険な状況になっています。
ロケット攻撃の発着場に使われている代表的な場所は、ガザ地区北部のベイト・ハヌーン難民キャンプです。イスラエル国防軍は、ガザ地区への空爆やテロリストへのピンポイント攻撃を行い、ガザ撤退以降だけでもすでに103人のテロリストを殺害してきました。これ以上の爆撃を行うと、一般のパレスチナ人たちへの被害が拡大してしまいます。
2週間前に行われた空爆により3歳の少女が重症を負いました。イスラエルは正式に謝罪を表明すると共に、現在少女をイスラエルへ搬送し、治療しています。
イスラエルは、一般のパレスチナ人にできるだけ被害が及ばないよう、細心の注意をはらって最小限の攻撃を行っています。最善の方法は地上戦で確実にテロリストだけを摘発する方法ですが、もし地上戦に持ち込めば、イスラエルの兵士たちが命を落とすことになります。
6月9日、新国防相のペレツ氏は、テロリストのピンポイント攻撃続行を表明。その数時間後にイスラエル空軍が、ガザのPRC(ガザのテロ組織)を攻撃、指導者のジャマル・サフマダナと4人のテロリストを殺害しました。
サフマダナは2003年以降、指名手配されていたテロリストで、ガザからイスラエルへのロケット攻撃首謀者です。しかし、サフマナダは、ハマス内閣の警察長官に指名されていた人物(アッバス議長は反対)であったため、パレスチナ側の反発が大きく、報復が叫ばれています。
イラクでは、米軍がアルカイダのNO2と言われるザルカウィをミサイル攻撃で殺害しました。今後のアルカイダの動きが懸念されます。*イラクではイラク政府による国防体制が整ってきたのを受けて、米軍、英軍が撤退方向で検討しています。そうなれば日本の自衛隊も続いて撤退することになります。
ガザからイスラエル軍が撤退したのは昨年夏。そろそろ1年が来ようとしています。スデロットへの攻撃増加は、撤退が残した一つの課題ですが、その他撤退が残した波紋とこれからの課題は下記の通りです。
1.ガザ内部の混乱
ガザ内部では、監視役であり共通の敵であったイスラエル軍がいなくなったため、ハマスとファタハの争いが激化し、死者も出るようになりました。内乱を防ぐため、ハマスのハニヤ首相とファタハのアッバス議長は、ハマス戦士からなる特別警備隊をガザの公共施設から撤退させることで合意しました。
しかし、イスラエルを認めることを含む二国家分離案については、ハマスは受諾を拒みました。今後国民投票が行われる可能性が高まっています。イスラエル軍のいなくなったガザでは、カチューシャ・ロケットなど武器が多量に搬入されていることが報告され、危険な状況が生まれています。イスラエルに出稼ぎに行けなくなり、住民の貧困は進む一方です。
2.ガザ撤退者のその後
ガザから撤退した人々への政府からの対応に苦情が続出しています。政府が約束した補償金の支払いが大幅に遅れています。政府から提供された家屋にはエアコンがついていません。南部の砂漠地帯の家屋ではエアコンは必須アイテムです。
3.西岸地区撤退への懸念
オルメルト首相は、西岸地区からの部分撤退とパレスチナ側との完全分離をめざしています。もし実現すれば、西岸地区が第二のガザとなり、混乱と貧困の巣窟になることは容易に想像できます。その際には大きな被害をこうむることになるヨルダンのアブダラ国王は、オルメルト首相の分離案に強い懸念と反対の意向を表明しています。
イスラエルを取り囲む現状は相変わらず困難をきわめていますが、今年もシャブオット(ペンテコステ)の日が6月1日夜、イスラエルにやってきました。この日は、エジプトから解放されたイスラエル人たちが50日目にシナイ山に到着し、みことば(十戒:トーラー)を主から受け取ったことを記念する例祭です。新約聖書では、この日に聖霊がクリスチャンたちに臨まれて、みことばが心に書き記されることになりました。
エルサレムでは、この日、エルサレム・プレイヤー・タワー(ハイメールNo91で紹介)の開所式が行われました。このタワーはエルサレムの中心にあるビルの最上階にあり、市内を展望しつつ祈ることができます。以下は開所式に出席されたスティーブンス・栄子師の報告です。
賛美と共に御臨在が表れ、開場で涙を流していない人々がいないのではないかと思われるほどでした。イスラエル中から牧師先生方が集まっています。また、世界中からも有名な先生方が集まっていました。次々と祈りが捧げられる中で、リック・ライディング牧師(アメリカでよく聞いていた有名な宣教師)が短い証と祈りをなさいました。
リック・ライディング牧師が語ります。「私は、幻を見ました。エルサレムの旧市街を中心に東西南北に祈りの柱が立てられました。四つの柱が建てられた後、主が天から降りてこられ、エルサレムの上に留まられました。そして、ししが降りてきて四つの柱を足代にしました。この幻を見た後、私は、五ヶ月前にエルサレム旧市街の南側に祈りの家ミニストリーを始めました。東は、トム・ヘス先生がすでに19年間祈りの家ミニストリーをしています。今日は、エルサレム旧市街の西にあたるプレヤー・タワーが完成しました。」と言われ感謝の祈りをなさいました。
このお話と祈りが終わると主人のビルが私の耳元で「BFPが北側なのだよ。」と言いました。背筋がぞっとするのを感じました。BFPが世界中の人々に24時間のプレイヤーリンクを頼んでいるのは決して偶然ではないことに気付きました。ベッキー・ブリマーさんがBFP国際会長になってから祈りが強調され、すべてのリーダーたちの祈り会がいつも開かれ、24時間の祈りを大変重要に考えています。
これは、主からのお導きなのです。「エルサレムの平和のために祈れ。」の御言葉がいよいよ聖なる都を東西南北に取り巻いて本格的に始まりました。そして、北側の祈りは、全世界の人々がジョイントする、渦巻きのよう寄せられる祈りが東西南の祈りと一つになって「エルサレムよ!おまえは一人ではない。」と叫ぶのです。あなたの祈りがエルサレムを取り巻き、霊的理解をユダヤ人の人々に与える大きな鍵となるのです。あなたがこの終わりの日に生かされているのは「この時のため、このため」なのです。
琴光喜、琴欧州ら日本の大相撲の人気力士らが親善大使としてイスラエルを訪問しています。
エルサレムでは西壁を訪問し、人々の笑顔に迎えられました。ビーチで子供たちと相撲をとりました。子供病院の慰問も行っています。死海では体重100kgを越える力士たちも水の上に浮かびました。日本からさらなる訪問客が増えることを祈りましょう。
ニュース情報源:GPO(イスラエル・プレスセンター)、イスラエル外務省HP、ハアレツ、エルサレムポスト、イスラエルインサイダー、CNN、BBC、イスラエル国防軍HP、アル・ジャジーラなど
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