ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 78 労働党に新しい党首
イスラエルの2大政党はシャロン首相の属するリクード(右派)と労働党(左派)です。労働党では党首選挙が行われ、元首相でもあり、イスラエルの歴史を支えてきた一人であるシモン・ペレス氏が予想に反して敗退し、新しくアミール・ペレツ氏が労働党党首となりました。ペレツ氏は、シャロン首相の連立政権から早期に離脱する考えです。労働党では14日、暗殺された故ラビン首相(労働党)の記念行事が予定され、新しい出発の時を迎えています。
私は、見張り所に立ち、
とりでにしかと立って見張り、
主が私に何を語り、
私の訴えに何と答えるかを見よう。(ハバクク2:1)
イスラエルの2大政党はシャロン首相の属するリクードと、労働党。労働党は左派の党として、右派のリクードと政権を取り合う政党です。労働党では3日、党首選が行われ、長くイスラエルの政治に携わってきたシモン・ペレス氏が敗退し(支持率40%弱)、アミール・ペレツ氏(支持率42%強)が当選しました。
労働党は、現在、シャロン首相の連立政権に参加していますが、ペレツ氏は、「労働党は政権を取る能力を有する政党だ。しかしリクードにより頼んでいる限りは、政権をとることはできない。」と述べて、連立政権からの脱退を公約しています。また、ペレツ氏は、「労働党の連立政権参加がなければ、ガザの撤退はおこらなかったかもしれない。ガザ撤退が完了した今、連立政権にとどまる理由はない」と語っています。ペレツ氏は来週にもシャロン首相と会談し、首相選挙(2006年11月予定)を前倒しで早めることを提言することにしています。シャロン政権に大きな影響を及ぼすものと思われます。
ペレツ氏の当選はイスラエルが新しい時代に入りつつあることを示しています。落選したシモン・ペレス氏は現在82歳、ヨーロッパ系のユダヤ人です。建国前にイスラエルの地へ家族と共に移民し、テルアビブで育ちました。建国の立役者ベン・グリオン首相の元、ハガナ(国防軍の前身)の要人として、独立戦争など数々の戦争を経験し、イスラエル建国に貢献してきました。
1956年からは政治家としてクネセト(国会)入り。1967年に、当時マパイと呼ばれていた労働党と、レヒ(労働組合のようなもの)を統一し、現在の労働党を設立しました。その後、ゴルダ・メイヤー首相など歴代の首相の下で閣僚を務め、自らも2期首相を務めました。
オスロ合意の時、故ラビン首相と、アラファト議長と共に、ノーベル平和賞も受賞しています。「永遠のリーダー」というイメージをもち、世論調査でも優勢だったシモン・ペレス氏の敗退は予想外のことでした。ペレス氏は「来年、首相選挙に奔走するよりは、平和に貢献する道を歩みたい」として、敗退を認め、ペレツ氏に祝辞を送り、彼を支持すると述べました。
アミール・ペレツ氏(53歳)の当選は、社会的な常識を破るものでした。労働党指導部は、代々ヨーロッパ系のエリートであったのに対し、ペレツ氏は、モロッコ系ユダヤ人で、権力と共に貧しさも経験する人物です。
故ラビン首相が暗殺されてから10年になります。故ラビン首相は労働党。イスラエルの平和を心から願っていた指導者でした。
イスラエルでは14日をラビン氏を覚える日とされ(暗殺されたのは11月4日1995年)、国会では、シャロン首相も特別の演説を行いました。
一方パレスチナ側でも故アラファト議長が亡くなってちょうど1年目にあたり、記念行事を行っています。中東を代表してきた人物の世代交代が進んでいるようです。
9日にヨルダンの首都アンマンで起こった同時多発テロ。アメリカ系の3つのホテルが自爆テロリストによって爆破されました。死者は57人。爆破されたホテルのうち、ラジソンホテルでは、結婚式の披露宴(300人)が行われているところでした。イラクのアルカイダ(指導者:ヨルダン出身のザルカウィ)が犯行声明を出ています。CNNによると、自爆テロリストは3名で、男性一人に妻が同行しての自爆でした。中東では唯一平和を維持してきたヨルダンでは、国民が強いショックを受けています。シャロン首相はヨルダンのアブドラ国王にお悔やみの書簡を送っています。
このテロでアラブ系イスラエル人のビジネスマン(40)も犠牲になったほか、パレスチナ自治政府の高官2人も犠牲になりました。イスラエルは、この日、ヨルダンとの国境、アレンビー橋を開いて、イスラエル人が速やかにヨルダンを出て帰国するよう指示しました。次はイスラエルとの情報もあり、危険な状況が続いています。
エルサレムのフレンチ・ヒル地区から盗んだ車を近郊の村イサワヤへ移動しさせた(エンジンはかけられなかった模様)アラブ人の捜査でこの村を訪ねた警察官を、別の車がひき殺そうとして接近してきたため、警察官が発砲しました。運転手は近くのハダッサ・ヘブライ大学病院(スコーパス山)に搬送されましたが、まもなく死亡しました。これを聞いた村のアラブ人らが、病院敷地内になだれ込み、車を燃やすなどの暴動を起こしました。暴動は2時間ほどで沈静化されました。アラブ人らは、警察官を殺害しようとしたことを否定しています。
イスラエルは国連総会で、ホロコースト記念日を制定するよう提案していました。これを受けて、国連は1月27日を記念日とする決議案を可決しました。
90カ国の支持の下、決議案は、「ホロコーストはなかった」とする説を否定することになります。
シモン・ヴィーセンタール氏は、ホロコーストで死の収容所に入れられ、生き延びた人物です。解放後は、ウイーンにシモン・ヴィーセンタール・センターを立ち上げ、ナチスの犯罪を捜査証明することに一生を捧げました。
ヴィーセンタール氏は、今年9月20日に死去するまでに、1,000件以上の犯罪証拠を提出し、関係者逮捕を実現させました。現在イスラエルのヘルツェリアに埋葬されています。イスラエルでは9日、シャロム外相をはじめとする政府関係者や、ホロコースト関係の団体などが追悼記念式典を行いました。
ニュース情報源:ハアレツ、エルサレムポスト、イスラエル政府プレスセンター、イスラエルインサイダー、イスラエル外務省HP、CNN、NYタイムス 他
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