ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 62 イスラエルのキリスト教徒
イスラエル国会はガザ・西岸地区撤退に関する国民投票の可能性を否決し、7月の撤退が確実となりました。今後入植者の抵抗が暴力にまでエスカレートする懸念がもたれ、様々な交渉がイスラエル軍と入植者の間で行われています。政治的な危機をよそに、イスラエルでは3月25日、プリムの祭り(エステル記の祭り)が全国で祝われました。続く27日は、世界中の観光客を迎えてキリスト教徒がイースター(復活祭)を記念する行事が執り行なわれました。今回はイスラエルに住むキリスト教徒の現実のためにも祈ります。
このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。(コロサイ2:3)
イスラエル国会は28日、シャロン首相の分離案(ガザ・西岸地区北部撤退)に関する国民投票を行うかどうか審議しました。
結果は、賛成39、反対72で、国民投票の可能性は否決されました。また翌29日には撤退費用を含む予算案が賛成58、反対36で可決されました。
これによりシャロン首相の計画通り、7月にはガザ・西岸4入植地からの撤退が確実となりました。
これを受けて入植者の指導者らは反抗が暴力的になると警告しました。ヤッシャ協議会(ユダヤ・サマリヤ・ガザ地区のユダヤ人入植者協議会)は10万人規模のデモを計画していることを明らかにしています。
また「シャロン首相は国民に決断をゆだねず、暴力的な内乱を避けるチャンスを逸した。」とも語っています。
ガザのグッシュ・カチーフでは撤退が決まっているにもかかわらず、賃貸契約を結んでそこの住民の数が増えるようにする反対派も出てきています。
政府は賃貸契約だけでなく水道や電気の支払い証拠を見せなければ住民として認めないなどの対策をとっています。
入植者がパレスチナ人を襲うケースが増えてきました。プリムの祭りに乗じてイズハル(ナブルス近郊)の入植者がパレスチナ人の町に侵入し、石を投げて器物破損の犯行に及びました。
彼らは治安を守る兵士らに「ナチス」と罵声をあびせ、軍車両のタイヤに穴を開けるなどの行為にでています。
イズハルに限らず、各地の入植者の怒りと葛藤の感情が高まっています。イスラエル国防軍は撤退に際し、武器を使わないことを条件に、撤入植地のすべての武器を撤退数日前には没収する交渉をヤッシャ評議会とすすめています。
ガザの住民の多くが不安やうつなどの精神的な症状を訴えています。住民の約10%はロケット攻撃などの経験からすでにPTSDの症状を持っています。
入植者の過激派らは撤退が決まれば集団自殺も辞さないと脅迫しています。イスラエルの厚生省は精神衛生の専門家らが作成したビデオによる心のケアを入植者に対して行っています。
薬物療法が必要な人には必要な治療が行われます。このビデオ治療を1月から始めたトデル博士はこれから撤退に向けた数ヶ月には撤退が直接の原因となる精神症状をもつ患者が出ると予想しています。(ハアレツ・エルサレムポスト)
イスラエルでは、伝統的なキリスト教徒たちが20日のパームサンディ(イエスのエルサレム入城を記念する行事)から27日のイースター(復活祭)までの「聖なる」一週間を祝いました。
パームサンディには世界中から巡礼として訪れた何千人ものキリスト教徒が大型バスを連ねてオリーブ山を訪れました。
バスの間にはしゅろの枝(2-20シェケル・最高で600円程度)を売るアラブ人の少年たちの姿が見られました。
パームサンディにはローマカトリックの僧侶を中心に人々がしゅろの枝をふりながらエルサレム旧市街を行進しました。
その後木曜日には最後の晩餐(過ぎ越しの晩餐)、金曜日にはイエスの逮捕、むちうち、十字架、死と埋葬を記念してイエスのように十字架を担いで、ビアドロローサ(悲しみの道)を行進しました。
日曜日の27日にはイエスの復活を記念する行事でエルサレムは混雑しました。イースターにはローマカトリックだけでなく、ルーテル派など様々な教団教派のキリスト教徒が集まりました。
巡礼者の多くはガリラヤ地方などから来るアラブ人クリスチャンと、南アメリカやロシア、日本やフィリピンから来た外国の巡礼者です。
イスラエル人のマージョリー・コーヘンさんは次のように言っています。「私はユダヤ人でイエス・キリストを信じる者です。
カトリックもプロテスタントも一緒にキリストの復活を祝うのはすばらしいことだと思います。」(以上はイスラエル有力紙エルサレム・ポスト記事の抜粋です。
ユダヤ人でイエスを信じる人のコメントを載せているのは画期的なことと思われます。)
イスラエルの人口650万人のうち、キリスト教徒は全体の2.1%を占める13万6000人(2001年9月調べ)ガザ・西岸地区のキリスト教徒の数は33000人程度と見られています。
ユダヤ人がほとんどであった初代教会の時代のあと、ハドリアヌス皇帝(AD130年ごろ)がエルサレムをアエリア・カピトリーナに改名してから、教会は異邦人だけのものになりました。
現在、イスラエルには大きく分けて4種類の教会(異邦人の教会でメシアニック・ジューは含まない)があります。
ギリシャ正教などのオーソドックス(伝統派)、アルメニア教会、コプト教会、シリア正教などの東方教会、カトリック、そしてプロテスタントです。後にロシア正教、ルーマニア正統派の僧侶たちがエルサレムに住むようになっています。
プロテスタントのイスラエルにおける歴史は浅く19世紀に入ってからです。プロテスタントの中でも最大のものはアングリカン(聖公会)です。
バプテスト系は全国に10あり、信者のほとんどはアラブ人です。現在このほかにも様々な教派のプロテスタント教会がイスラエルに存在しています。(Jewish virtual library [the Christian Community of Israel]抜粋)
今年2月イスラエル北部ガリラヤ地方の町、マグダラでアラブ人クリスチャンの家や店舗、車が焼き討ちにあいました。
他の町々でも少数派のクリスチャンたちに対する緊張が高まってきており、彼らは身の危険を感じるようになっています。
イスラエルではクリスチャンは少数派であるため、迫害の対象になりやすいと分析されています。アラブ人の中でクリスチャンの占める割合は1948年の建国当時には20%でした。
それが今は8.6%にまで減少しています。ユダヤ人やイスラム教徒に比べてクリスチャンの出生率が低い上に多くが海外へ流れていったことが原因です。(ハアレツ)
ハイファにあるアラブ人教会の牧師夫人は、次のように語りました。「アラブ人クリスチャンの子供たちは経済的理由からイスラム教徒の子供と一緒に公立学校に行かなくてはならない。価値観の違う学校でいじめに会っている子供が多い。経済的な祝福と、将来チャーチスクールが与えられるように祈ってください。」
昨年エルサレム中心地にクリスチャンのための礼拝堂「エルサレム・パビリオン」が完成しました。
この会堂は福音派クリスチャンがイスラエル国内で、賃貸ではなく所有することになった画期的な会堂です。福音派やペンテコステ、メシアニック・ジューも礼拝することになっています。
世界中のクリスチャンが、エルサレム在住のウエイン牧師(アッセンブリー・オブ・ゴッド)からの献金の呼びかけ「ネヘミヤ・チャレンジ」に応じ52日間ですでに100万ドル(1億3000万円)以上となりました。
この献金は会堂の支払いに当てられます。
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