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ハイメール通信No. 35 プリム ~もっとも暗い闇のむこうに、光がある。~

ユダヤ人にとってそれは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。(エステル8:16 )



■ イスラエルのプリム(今年は3月7、8日)

“プリム”は『エステル記』に記された出来事を記念して、毎年3月、ユダヤ人が祝う聖書的な祭りです。今年は3月7、8日がプリムの日となっています。

BC 586年、ユダヤ民族はバビロンへ捕らえ移されました。バビロンはやがてペルシャに征服され、クロス王、エズラ・ネヘミヤの時代にユダヤ人の一部がイスラエルの地に帰還します。しかしユダヤ人の多くはそのままバビロン地方に残りました。モルデカイとそのめいのエステルも残留組の中にいました。

エステルはやがてペルシャの王、アハシュエロスの王妃に抜てきされます。王の側近であったハマンという家来がユダヤ人を絶滅させようと図ります。しかし、モルデカイの機転と、エステルの願いによって、ユダヤ人虐殺の危機は一転、逆にユダヤ民族がペルシャの高い地位を占める結果となりました。

プリムとは「プル」という言葉から来ています。「プル」は、ハマンがユダヤ人虐殺の日をいつにするかを決める際に使用したくじのことです。

“この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝わなければならないとし、これらの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした。”(エステル記9:28)

イスラエルのプリム現在イスラエルのプリム

プリムはユダヤ暦アダルの月の14日(たいてい3月)、過ぎ越しのちょうど1カ月前に祝われます。プリムの前にはエステルの3日間の断食を記念して、軽い断食が行われます。

プリムの日にシナゴーグではエステル記が朗読されます。朗読の中で「ハマン」という名が出るたびに、人々はブーイングをとばし、足を踏み鳴らしたりして騒音をたてます。これは「ハマン」の名を「消し去る」ためです。

タルムードによると、この日は飲んで食べて楽しむこととなっています。「ハマンに呪いあれ」と「モルデカイに祝福を」の区別がつかなくなるまで飲む、という表現が使われています。

イスラエルのプリムはカーニバル的な要素があり、各地でパレードが行われます。博物館などが中心となり、子どもたちをターゲットにエステルに関するセミナーも開かれます。この日、子どもたちはさまざまな衣装を付けてシナゴーグに行きます。

女の子の人気はやはり、王妃エステルに扮装すること。男の子は何でもかまいません。(筆者は一度イスラエルのプリム期間中に、神殿の大祭司に扮装している小さな男の子を見たことがあります!)

プリムには特別に食べるクッキーがあります。丸い生地を折りたたんで三角にしたもので、真ん中に甘いジャムなどが入っています。「オズナイム・シェル・ハマン」(ハマンの耳)とよばれ、この時期に限定して、イスラエルの通りに並びます。

プリムにはまたさまざまな食べ物や飲み物の交換やチャリティも行われます。この日はとにかく楽しむ日です!(Jewish virtual libraryより)

プリムの重要なメッセージは、「主は最も暗い闇のあとに、光を用意しておられる」というものです。イスラエルは今、闇を歩んでいます。プリムに合わせて、このメッセージが、さまざまなところで語られています。インターネットでは1分ほどのビデオ・クリップが流されています。プリムに対する現在のユダヤ人の思いの一端を表したものとして、参考までに、興味のある方はご覧ください。

http://www.aish.com/a/purim.asp(英語)

<祈り>

  1. プリムを祝うユダヤ人たちが、生きて彼らを愛しておられる主に立ち返ることができるように。
  2. 近年、プリムの仮装に紛れて、テロリストが入り込むことの懸念から、仮装の自粛が呼び掛けられています。
    イスラエルの各地、各シナゴーグ、また世界中のユダヤ人、この祭りを祝っているすべての場所が守られますように。

緊急!!:イスラエル政府はプリムの期間中にテロを起こすとの警告を50件以上受け取っています。
シャロン首相にあてたテロ予告もあります。イスラエル軍は3月7、8の2日間、西岸地区とガザの完全封鎖を予定しています。(ハアレツ)


■ メル・ギブソンの映画「パッション・オブ・クライスト」とユダヤ人

プリムは、イスラエルの外にいるユダヤ人(ディアスポラと呼ばれる)に起こったできごとです。

この時期にあわせて、ユダヤ人社会では毎年反ユダヤ主義について論じられます。

今回は今、話題のメル・ギブソンのキリスト受難の映画「パッション」についてユダヤ人はどう感じているのかを取り上げました。

この映画は、十字架の前12時間をかなりリアルに描いた映画であると言われています。イエスがむち打たれたり、はりつけになるシーンでは、かなり拷問的な要素があるため、ADL(反人種差別リーグ・主に反ユダヤ主義を監視している団体)は、17歳以下の子どもは見ないようにと警告しています。

一方、多くの教会はこの映画を歓迎しています。同映画は、先月25日にアメリカで封切られ、あまりの残酷さにショック死する人も出るなど、さまざまな論争を呼んでいます。ユダヤ人団体は、この映画が反ユダヤ感情に火を付けるのではと懸念を表明しています。

Passion of the Christ - International Fan Site
日本語でストーリーを読むことができます。予告編が見られます。(英語)

*福音書とユダヤ人

福音書にはユダヤ人が「イエスを十字架に付けろ」と言ったこと、また彼らが「その人の血は、私たち子どもたちの上にかかってもいい」とまで言ったことがはっきりと記されています。

残念ながら、この箇所だけを読んで、「主を十字架につけた責任はユダヤ人にある」と過去の教会は考えました。今でもそのように考える人は少なくありません。

残念ながら過去において、この箇所がユダヤ人迫害の根拠の一つとして使われたことは事実です。

ユダヤ人は、この福音こそが、反ユダヤ主義の根っこであると考えるようになりました。
重要!!! 「彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。」(ローマ11:11)

聖書は上記のように語っています。イエスはユダヤ人を救うために来てくださいました。それにもかかわらず、彼らはイエスを十字架に掛けて、拒否する道を選んでしまいました。その失敗があったからこそ、今私たちに十字架の救いがあるのです。

私たちはこのことを恐れをもって、またへりくだって受け取ることが大切です。イエスはそのかたくななユダヤ人のために、涙を流されたのです(ルカ19:41-42)。主は永遠にイスラエルを愛しておられます。

以下はこの映画をアメリカで見たユダヤ人のラビ・ベンジャミン・ブリーチ氏の感想(抜粋)です。

「それで……あの映画見た?」

そう聞かれたとき、私は「Yes……No」と答えました。
イエスがひどい拷問に遭う場面では、目を開けていられなかったからです。ひどいとは聞いていたのですが、これほどとは思いませんでした。

映画が終わったとき、隣にいた全く見知らぬ女性が、突然「どうだった?」と話しかけてきました。私は神学的な論争に入る気にはなれなかったので「暴力が怖かったです」と答えました。

すると彼女は「あなたはユダヤ人ですね」と答えました。「ユダヤ人は、主の真実を告げる福音にいつもけちをつけるのね。」

彼女のこの言葉に、この映画の問題点をはっきりと感じました。

この言葉を聞いて、なぜアメリカ人がこのような暴力的な映画に子どもを喜んで連れて行くのかを理解しました。

……配給会社は「2000年間で最もすばらしいアウトリーチ」とうたい、神に「誠実」な人々にアピールしています。「イエスの血」による人類の救い、「良い知らせ」として多いに宣伝されるでしょう。この映画は、イエスの十字架こそが唯一の赦しであり、希望であると、「不誠実」な人々に語りかけているのです。

ユダヤ人として、このハリウッドの宣教活動にどう対処すべきでしょう。私たちは逆にこの機会を用いて、私たち自身の信仰をアピールしなければなりません。ユダヤ人は自分のことは自分で責任をもつということが、真実の天国への道だと信じています。

私たちはだれかが、私たちの罪のために死ねるということ、また神にゆるされるためには神のひとり子が死ななければならないことを信じません。「受難」と言うこと自体信じられません。神は拷問にあって叫び声をあげたり、痛みに苦しみながら死ぬということなど、あり得ないからです。クリスチャンだけでなく、あまりにも多くのユダヤ人もが、私たちが神に対して持っている深い偉大な関係が、この映画によってゆがめられているということに気づいていません。

何年も前にヘミングウエイが言いました。「ユダヤ教は、キリスト教と違って、「いのち」を重んじる信仰です。」この映画は死を賛美しています。

このラビは福音の“しくみ”を理解しているようです。この映画が果たして復活までを取り上げているのかどうかは分かりません。

福音は確かに“イエスの死”という耐え難い現実を直視するところから始まります。それはとりもなおさず、私たちの罪はそれほど恐ろしいものであるということを直視することなのです。しかし、私たちクリスチャンの希望は、その十字架を経て、イエスが復活されたという事実です。私たちの希望はここにあります。

キリスト教は「死」のむこうに「永遠の命」を見るからこそ、この罪の現実を直視できるのです。私たちの信仰は「命」そのものです。「もっとも暗い闇のむこうに、光がある。」プリムのメッセージそのものではないでしょうか。

1992年にバチカンの法王パウロ2世が教会のユダヤ人に対する過去の過ちを認め、謝罪したことをユダヤ人たちは高く評価するようになりました。また、BFPなどの愛の奉仕によって、彼らの心が和らいできています。

この映画が、正しく用いられ、本当にアウトリーチとして用いられるように祈りましょう。特に、ユダヤ人たちの心がかたくなにならず、福音を受け入れる機会となるように祈りましょう。

<祈り>

「彼らは、福音によれば、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに愛されているものなのです。神の賜物と召命は変わることがありません。」(ローマ11:28-29)

  1. この映画を見るクリスチャンが、反ユダヤ的な感情をもつことがありませんように。
    この映画を通して、反ユダヤ主義が加速することがありませんように。
  2. この映画を見るユダヤ人、またまだ救われていない人々が、福音を正しく理解しますように。
    彼らの救いのきっかけとなりますように。

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