ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 252 岩手県 盛岡月が丘キリスト教会 宮川弘子先生より
盛岡月が丘キリスト教会は、震災後の混乱の中で、闘病しておられた宮川正雄牧師の死という大きな試練を通りました。震災直後の数日間、牧師館が住めない状態のため、先生一家は避難して来た近隣の方々と共に会堂で寝泊まりをされていました。さまざまな物資が不足する中で宮川牧師は急速に食欲をなくし入院。長年がんと戦って来られた宮川牧師でしたが、一ヶ月の闘病を経て天に召されました。
宮川牧師のクリスチャンとしての人生は、盛岡月が丘教会と共にありました。この教会で洗礼を受け、牧会者としての第一歩を踏み出したのも盛岡月が丘教会です。「最初は本当に説教が下手でね…信徒の皆さんと一緒に、説教が上手くなるようにとひたすら祈ったの。そしたら週を追うごとにみるみる上手くなっていって…祈りの力を改めて実感したのよ。」と牧師夫人が当時を慈しむように話してくださいました。
宮川牧師は自らの弱さをも全て信徒の前にさらけだし、信徒の祈りに支えられまた、ご自身もズボンが擦り減って色が変わってしまうほどに深い祈りをもって信徒を導いて来られました。
宮川牧師の葬儀は、多くの賛美に満ち、集まったクリスチャン達が喜びをもって宮川牧師の天への凱旋を見送りました。その様子を見ておられたご近所の方が「クリスチャンはいいね。天国に行けるんだね。」とおっしゃったそうです。旅立ちのその時も、宮川牧師は伝道と共にありました。
牧師を亡くすという大変な出来事の一方で、盛岡月が丘キリスト教会は岩手県の教会として被災した人々の支援にも携わってきました。大船渡市や陸前高田市など大きな被害を受けた沿岸部には信徒さんの親戚や知人も多く住んでいます。そうした方々に物資を届けるなど日々の暮らしのサポート、また震災で親を失った子ども達のケアにも心を配っています。
震災直後に陸前高田市から盛岡月が丘キリスト教会へと一組の家族が避難してきました。この母親はクリスチャンではありましたが、教会生活からは離れてしまっていました。しかし教会なら助けてくれるに違いないと、全く縁の無かった月が丘キリスト教会を頼って盛岡にやってきたのです。教会は3人を喜んで受け入れ、衣服や生活用品など暮らしに必要な物が信徒の方々から提供されました。
また、幸いな事に住む所、仕事、学校も与えられ、3人は盛岡で新たな生活を始める事ができました。何よりも嬉しいことは、神様がこの家族を神様の元へと引き戻して下さったというごとです。3人は今、元気に月が丘キリスト教会に通っています。
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