ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 51 時代は動く ~アラファト議長重病をめぐる波紋~
人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る(箴言19:21)
27日(水)、PLO(パレスチナ解放機構)の指導者で、イスラエル西岸地区の都市ラマラでパレスチナ自治政府を指導しているアラファト議長(75)の病状が急変し、一時意識が消失しました。
即、隣国のヨルダンから議長の主治医クルディ氏(神経科)とそのチームが招集されました。クルディ医師は、さらにヨルダンとチュニジアからも医師団を招集、28日(木)朝にはエジプトからも医師団が到着しました。
医師団は、ラマラでは十分な検査ができないと判断、議長は治療目的のため、フランスに行くこととなりました。
イスラエル政府も治療目的であるならと、議長の出国(議長はラマラに軟禁状態でした)と帰国を認めました。フランスのシラク大統領は、アラファト議長の移送のための特別機を手配することになっています。 パリに在住のアラファト議長の妻、スーハ夫人はイスラエル国防相から特別の許可を受け、28日朝、ヨルダン側からラマラに到着しました。(スーハ夫人がラマラに来るのは5年ぶり)
その後、アラファト議長は意識を取り戻し、28日(木)には医師団とともに市民に健在ぶりをアピールしています。アラファト議長の病状については明らかにされていませんが、深刻な血液障害をおこしているとの報告もあります。(ハアレツ10月29日)
アラファト議長の病はパレスチナ自治政府の組織上の弱点を明らかにしました。不在となった後に、議長のポジションを務められる人物はパレスチナ自治政府にも、PLO(パレスチナ解放機構:アラファト議長のもとで自治政府を組織してきたパレスチナ人組織)にも立てられていません。
議長自身が副代表や正式な二代目を育ててこなかったからです。ラマラを出なければならなくなった事態になっても、議長はまだ時期代表を指名する動きをみせていません。パレスチナ自治政府は、もし議長が死亡することにでもなれば、議長の座をねらって、内乱がおこることを大きく懸念しています。
自治政府はすでに治安警戒レベルを引き上げています。 パレスチナ自治政府の憲章によれば、アラファト議長が死亡したり執務不能になった場合は60日以内にスポークスマンとなる人物を立て、議会で正式に次期代表を決めることとなっています。
現在パレスチナ人たちの中には、数多くの組織団体があり、そのすべてが、アラファト議長の座をねらって争うものとおもわれます。しかしながら有力候補はやはりPLOです。オスロ合意にあわせて、10年前にアラファト議長とともにラマラに来た長老たちがいます。
その代表は、前首相のアッバス氏。現首相のクレア氏も長老の一人ですが、最近、パレスチナ世論の厳しい批判にさらされおり、首相職辞退の声も出ています。その他では、西岸地区やガザで生まれ育った若い世代のグループで、以前治安大臣を務めたダーラン氏。そして今現在、イスラエルに拘束されているバルグティ氏などです。
パレスチナ自治政府の国連大使ナセル・アル・キドワ氏はアラファト議長の甥。キドワ氏は近年、何度も国連総会開催を呼びかけ、総会のたびに激しいイスラエル避難のスピーチを行ってきました。国連では幅広く支持を集めている人物です。
しかし、アッバス氏が首相であったころ、キドワ氏は、指示はアラファト議長からのみ受けるとしてアッバス氏の指示に従わなかったため、自治政府はキドワ氏の更迭も考えていました。もしアラファト議長の影響力がなくなれば、キドワ氏はおそらく更迭されると思われます。
ある情報筋によれば、PLOニューヨーク支部では、アラファト議長が死亡した際の記念セレモニーを、ニューヨークの国連総会で行うことをすでに計画中とのことです。キドワ氏の発案です。事務総長のアナン氏も招かれる予定です。(ハアレツ10月29日)
アラファト議長の父はガザ出身、母はエルサレム出身。1929年、二人がエジプトのカイロにいるときに生まれたのがヤセル・アラファトです。アラファトが3才の時に母が死亡。アラファトは父が再婚するまで、エルサレムとガザの親戚によって育てられました。
1946年、アラファトはエルサレムでユダヤ人との闘争を指導する最高指導者(ハジ)であったアミン・フセイニ氏に、1948年はパレスチナで武装組織の指揮をとっていたカデル・フセイニ氏と知り合いになります。
当時アラファトはカイロ大学に入学していましたが、カデル・フセイニ氏がユダヤ人との戦闘中に戦死したことを知って、大学を去ります。アラファトはイスラム兄弟団を結成し、ガザなどで、ユダヤ人と戦闘を指揮しました。
同年に勃発したイスラエル独立戦争にあたって、アラファトとイスラム兄弟団はエジプト軍への参加を希望します。しかしエジプトはこれを拒否しました。以後、アラファト議長は同様の扱いを様々なアラブ諸国から受けることになります。これはアラブ諸国は事実上パレスチナ人の独立には関心がなかったことを示していると言えます。
アラファトはこの後、技術者となりクエートに行きます。クエートで、アラファトは友人4人とともに、「ファタハ」という小さなグループを結成しました。そのうち3人はすでに死亡しています。
ファタハは1965年、イスラエルへのゲリラ攻撃を開始しました。2年後の1967年、六日戦争でアラブ諸国がイスラエルに大敗すると、対イスラエル抗争は、ゲリラ戦中心となり、ファタハに注目が集まるようになりました。
数千人がファタハに加わってきました。ファタハ開設当初からのアラファトのモットーは、「パレスチナ人はパレスチナ人以外のものに頼ることはない」でした。
そのため、アラファトはエジプト、シリア、レバノンなどほとんどのアラブ諸国で、拘束される経験をしています。理由はそれぞれの国の軍隊と協調しないということです。また、ファタハはゲリラ戦をイスラエルに対して行うだけでなく、ハイジャックなど国際的なテロ活動も行っていました。
1970年当時、アラファトとファタハはヨルダンに拠点を置いていました。手をやいたヨルダンは、「他の国のなかに国をつくっている」として、アラファトらファタハを武力によって追い出しました。これをブラックセプテンバーと言います。
ヨルダンを追い出されたファタハはレバノンに移動、アラファトはそこから対イスラエル戦(及び国際テロ)を指揮していました。しかし1982年、イスラエルの攻撃で、ファタハは再びレバノンから追い出されます。1987年12月、ファタハはチュニスに移動。
この時、パレスチナ人によるインティファーダ(武装蜂起)が始まりました。それがきっかけで、ヨルダンのフセイン国王は西岸地区から完全に撤退してしまいました。パレスチナ人が指導者なきまま西岸地区に取り残されました。
1988年、パレスチナ人国民会議がアルジェで開かれ、国連決議に242に基づいてイスラエルとの共存が話し合われました。1991年には、マドリッドにおいて他のアラブ諸国もテーブルについて、同様の話し合いが持たれました。
その後、アラファトとイスラエルは水面下の交渉を続けて、ラビン首相の時に、オスロ合意に達し、パレスチナ自治政府が西岸地区とガザに設立する運びとなりました。1994年、アラファトはガザに入ることをゆるされました。ガザの住民は国民的英雄としてアラファトを迎えたといいます。(ハアレツ10月28日)
アラファト議長は現在、75才、そのほとんどを指導者として過ごしてきましたが、後継者を育てるという指導者として最も大切なことをしていませんでした。それが彼の民にもたらす影響は重大です。これからどのようにパレスチナ自治政府が展開していくのかまったく不透明です。
アラファト議長の体調急変の報告を受けて、イスラエルでは、28日(木)緊急に国会が召集されました。
議題は、シャロン首相の提示する一方的分離案をどう進めていくかの方針を決めることです。労働党のスネア氏は、パレスチナ人と対話するよう外交方針を転換すべきだとの意見を出しました。具体的には、今一方的にすすめている分離案をパレスチナ側に理解してもらい協力を仰ぐというものです。
ヤハド党のゼハヴァ氏も、シャロン首相はアラファト後の新しい時代に備えて、ガザ撤退案に関しても穏健派のパレスチナ人と協調するべきだという意見を出しました。宗教党のイシャイ氏はシャロン首相に、アラファト議長の動きがはっきりするまで、分離案を凍結するよう呼びかけました。
宗教党の指導者である超宗教派のシャス師は、ガザと西岸地区の4都市を撤退させる案に反対する意向を以前より明示しています。
しかしシャロン首相の一方的分離案(ガザ撤退を含む)は27日、クネッセット(イスラエル国会)において、安定多数で可決されたところでした。(賛成67、反対45、棄権7)シャロン首相はいずれにしても、平和を共に構築していけるような話し合いの相手がパレスチナ側には存在しないとして、一方的分離案に変更はないと繰り返し語っています。
*アラファト議長が死亡した際には、神殿の丘に埋葬されることが計画されているといわれています。国会では、もしそのようなことになれば、数千人の右派が、体を張って阻止しようとして、大変な混乱が予想されます。数人の議員から、国防相へ、エルサレムの中にアラファト議長を葬ることを許可しないと、パレスチナ側にすぐにでも伝えることが提案されました。(ハアレツ10月28日)
イスラエルの人々は、とにかく、平穏であってほしいと、それだけを願っています。「イスラエルは自分だけでは平和になれない」国です。しかし確かな交渉相手がいないのです。国の将来を左右するイスラエル国会、政府閣議、シャロン政権のためにとりなしましょう。
以前ハイメールでイスラエルでの売春問題についてとりあげました。クリスチャンがこの働きに導かれるように祈りました。ハレルヤ!筆者はイスラエルでこのことのために、すでに働きをはじめて、今回本格的にチームを結成する姉妹がたに出会いました。詳しくはオリーブにて紹介します。
彼女たちのこれからの働きのためにとりなしをお願い致します。
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