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ハイメール通信No. 143 イスラエル建国60周年

5月8日、イスラエルは建国60周年を迎えました。7日夜から花火、8日は全国的に様々なイベントが開催され、通りは人でにぎわいました。テロの予告が多数あり、厳戒態勢がとられていましたが、大きなテロからは守られました。

綱渡りのような60年でしたが、主が支え今もイスラエルが存続し、繁栄しています。死んでよみがえったラザロが主を証したように、イスラエルもまた死からよみがえって私たちに主の約束の確かさを証しています。

主に感謝すると共に、これからもイスラエルが主の計画を担うものとして守られ導かれるようにとりなしましょう。

わたしの民よ。わたしに心を留めよ。
わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。
おしえはわたしから出、
わたしはわたしの公義を定め、
国々の民の光とする。
わたしの義は近い。
わたしの救いはすでに出ている。(イザヤ51:4-5)



■ イスラエル建国60周年

イスラエルでは5月7日夜~8日、独立60年目を迎えました。7日、日没と同時に盛大なイルミネーションと花火が打ち上げられ、人々は通りに出て毎年恒例の大騒ぎをしました。

8日は国民の祝日。エルサレムのヘルツェルの丘での式典をはじめ、各地で様々なイベントが行われました。テルアビブのビーチ沖では群衆の見守る中、イスラエル海軍、空軍が航空ショーを行いました。

イスラエルの独立記念日とは?

1947年11月、国連はパレスチナ地方をユダヤ人とアラブ人とで分け合う分割案を採択(賛成33、反対13、棄権10)。ユダヤ人はついに国家となりうる土地を所有することが、国際的に認められました。

この決議に基づき、パレスチナ地方を委任統治していたイギリスが徐々に撤退。最後のイギリス部隊が撤退した翌日、初代首相となるベン・グリオンによってイスラエルは独立を宣言。これが独立記念日で1948年5月14日です。独立宣言はテルアビブで行われました。

この数時間後には、アラブ5ヵ国軍が攻め入る独立戦争が始まるのですが、独立宣言が行われた直後、人々は通りに出て踊り、大騒ぎをして喜びを共有しました。

今日も独立記日にはイスラエル人が通りに出てはちゃめちゃな大騒ぎをしますが、この日の名残といえます。

*5月14日はユダヤ歴ではイヤルの月の5日です。ユダヤ歴は月歴のため西暦で言う独立記念日は毎年変動し、今年は5月7日の日没から8日となりました。

<パラシュート部隊着地失敗の事故>

今年の独立記念日には、海外からもパラシュート部隊の隊員が招かれ、5日アシュケロン上空で共にジャンプの練習を行いました。8日、テルアビブ沖でイスラエル軍のパラシュート部隊隊員がジャンプを披露。そのうち一人が事故により、群衆のただ中に着地してしまいました。この事故により隊員本人を含め10人が重軽傷を負っています。

<バーベキューの日と肉の値段>

独立記念日は、バーベキューの日、別名「肉の日」とも呼ばれます。家族連れなどがいっせいに庭や公園、ビーチでバーベキューをします。家畜の飼料が高くなったため、世界的に肉や乳製品の物価が高騰しています。イスラエルでも例外ではありません。昨年にくらべ肉の価格は20%程度高くなっています。

この一週間後には、乳製品を楽しむ例祭シャブオットが来るのですが、乳製品の価格も上昇する一方となり、庶民の家計を締め付けています。http://www.haaretz.com/hasen/spages/981353.html

60年でこんなに繁栄したイスラエル(ハアレツ紙情報)

今年の建国記念日の時点でイスラエルの人口は728万2000人。このうち、550万人がユダヤ人で、全体の20%がアラブ人です。1948年建国当時に比べると9倍の人数となりました。

ユダヤ人550万人の内、69%はイスラエルで生まれた育った人々となりました。(1948年は35%)イスラエルが移民の国ではなく、徐々に地元イスラエル人からなるイスラエルへと変わりつつあります。

経済も他に類をみない発展をとげました。建国当時の平均的な収入は年間3100ドル(約40万円)で、エンゲル係数(食料に使う費用率)は40%でした。60年たった現在、平均収入は年間25000ドル(約300万円)でエンゲル係数は16%です。

これは、かつてオレンジを輸出する農業国だったイスラエルが、ハイテク産業への進出で大きく経済成長したことを示しています。2004年から経済は上向きで、失業率はかつては11.3%でしたが、現在は6.5%にまで下がりました。

<戦没者記念>

独立記念日の前日は、メモリアル・デー(戦没者記念日)。国が建国し、60年立ちゆくために、多くの兵士が命を捧げて戦いました。

1860年から2008年までに戦死した兵士は20,803人。テロの犠牲者1,634人を含めて22,437人が戦没者として数えられました。

6日日没後、エルサレムの嘆きの壁では、戦死者家族が招かれ、シモン・ペレス大統領、アシュケナージイスラエル軍参謀総長が出席する追悼式典が行われました。

7日の午前中には全国的に1分間の長いサイレンが鳴らされ、その間人々は車から降り、しばし黙祷のときを持ちました。

全国的に戦没者墓地にイスラエルの旗が掲げられ、亡き人々が偲ばれました。

また、エルサレムの東エルサレムには、イスラエル軍がヨルダン軍と死闘の戦いを繰り広げた場所があります。兵士たちが走った塹壕などが残されています。Ammunition Hill(砲弾の丘)と呼ばれる場所が記念公演になっており、ここではオルメルト首相が献花を行いました。

<マーチ・オブ・ザ・リビング(生者の行進)>

独立記念日を前に、5日、ポーランドのアウシュビッツでは、20,000人以上の人々がホロコーストを覚えて行進を行いました。

今年はイスラエル国防軍のアシュケナージ参謀総長が参加。特別にアウシュビッツ上空をイスラエル空軍機が飛びました。ガス室で殺された人々が夢にまで見たイスラエルの戦闘機です。犠牲者の苦しみのはてにイスラエルが建国されたことを思うひとときとなりました。

http://www.jerusalemonline.com/specials7.asp(イスラエル空軍機がアウシュビッツの上空を飛ぶ)

<祈り>

  1. 聖書の預言通り、主がイスラエルを守り、繁栄させてくださったことに感謝
    主のあわれみにでこれからも国が守られ、繁栄を続けるように
  2. 先月にも若い兵士が3人死亡しています。
    お祭り騒ぎの背後で、痛みに直面している犠牲者家族たちを覚えて
  3. 約束通り(エゼキエル36:24-26)、霊的なリバイバルでイスラエルを祝福してくださるように

■ ナクバ:イスラエル在住アラブ人の複雑な思い

イスラエルが独立を宣言した直後、イスラエルに住んでいたアラブ人のうち約70万人がユダヤ人を恐れて西岸地区やガザ地区へ避難しました。住民のいなくなったアラブの村は418に上ると言われています。

ある者はエジプトやヨルダンなど、アラブ諸国の使者から戦争(独立戦争)でイスラエルが壊滅するまで避難するように言われました。ある者は避難するよう言ったのはイスラエル兵だと主張します。現状はどれも正しいのかもしれませんが、アラブ人にとってイスラエルの独立は、敗北以外のなにものでもありませんでした。

アラブ人たちはイスラエルが独立した5月14日の翌日15日を「ナクバ(悲劇の日)」と呼び屈辱を覚える日としています。「ナクバ」は1998年にヤセル・アラファトによって始められました。この日反イスラエル的な演説やラリー、デモ活動が行われます。

イスラエルが建国を祝うかたわらで、複雑な思いをしているのがイスラエル在住アラブ人です。彼らはイスラエル建国時に避難せずイスラエルにとどまった人々とその子供たちです。

今はイスラエル国籍をもち、差別はあっても法律的にはほぼユダヤ人と同じ権利を持っています。しかし、やはり心ではアラブ人と自覚していますから、イスラエルの独立をユダヤ人とともに喜ぶことができないのです。

今年は、ナザレからツィポリと呼ばれる考古学公園までを数千人のアラブ人がパレスチナの旗を掲げて「ナクバ」のデモを行いました。イスラエル国会の2人のアラブ人議員の他、イスラエルのイスラム系組織の指導者らが参加しました。

ナザレ市はこの「ナクバ」を許可したのですが、右派ユダヤ人などが紛れ込み、暴力的な衝突となりました。アラブ人議員のワシル・タハ氏も、警察か右派ユダヤ人かに顔面を殴られ負傷しています。警察はデモ隊の6人を逮捕しました。

隣国ヨルダンでは9日、大規模なナクバ・デモが計画されていましたが、ヨルダン政府はこれを禁止しました。

<祈り>

  1. イスラエル北部ではアラブ人伝道が祝福されています。
    アラブ人たちが救われて、イスラエルへの憎しみから解放される一歩が与えられるように。

■ 陰謀?オルメルト首相の収賄疑惑

建国記念日の翌日、イスラエル紙上のトップを飾ったのがオルメルト首相の収賄疑惑です。オルメルト首相がエルサレムの市長であったときに、選挙資金としてアメリカのビジネスマンから多額の金を受け取っていたというもの。

首相は、8日の記者会見で、金を受け取ったことは認めながらも、賄賂ではなく、合法的な政治献金であり、個人的な目的では全く使用していないと無実を主張しています。(写真は今回の記者会見ではありません)

しかし、国民に不快感と混乱を与えたことには謝罪し、法務長官メナヘム・マズズ氏が辞任を進める場合は辞任する意向を表明しました。今後、一時的に首相職を休職させられる可能性もあります。その場合は、現副首相であり外務相をつとめるツィッピー・リブニ氏が代行首相となります。

今回賄賂を送ったとされるビジネスマンはモシェ・タランスキー氏(75)。ニューヨーク州ロングアイランド在住の不動産業者でユダヤ人億万長者です。

一時はラビとしての任も受けましたが、ビジネスに転向、成功しました。熱心なシオニストの資産家としてイスラエルやユダヤ人のために多額の私財を投じてきた大物です。ニューヨークにあるイシバ(ユダヤ教)大学、イスラエルのシャーリー・ツェデック総合病院の創設などに携わっています。政界においてもジョージ・W・ブッシュ大統領、クリントン大統領などの政治活動にも貢献してきました。

タランシキー氏は、8日、首相の記者会見の後にエルサレムの自宅に記者たちが来て写真を撮るのを許可しましたが、コメントはありませんでした。

今回の収賄容疑は、アメリカの圧力により西岸地区の90%をパレスチナ側に譲渡使用とするオルメルト首相を失脚させる目的の陰謀ではないかと憶測する者もあります。

<祈り>

  1. 主がオルメルト首相を正しく導き真実を明らかにしてくださるように。
    また支えられるように。
    イスラエルにとって最善の道を選び取ることができるように(国会解散などの可能性もあります)

■ ヒズボラがレバノン政府と内戦状態

ヒズボラはレバノンに基盤を置くテロ組織ですが、国内に自前のテレビ局アル・マナールを持っています。

7日、レバノン政府がアル・マナールは違法であると訴えたため、ヒズボラのナスララ党首は「レバノン政府はヒズボラに宣戦布告をした」と表明。

ベイルート市内で手榴弾による爆発や銃撃戦となる事態に発展しています。

対戦しているのは、西側よりのレバノン政府と、ヒズボラを筆頭とするシリアよりの各種団体です。9日までの3日間で少なくとも10人が死亡。20人が負傷しました。ベイルート市内は1975-1990年まで続いた内戦に戻ったような状態となっています。

9日現在、ヒズボラ側はレバノンの国営放送局を占拠。ベイルートの半分を占拠した模様です。

<祈り>

  1. 一般のレバノン市民がまきぞえにならないように
    ヒズボラがレバノンを占拠することのないように

ニュース情報源:GPO(イスラエル・プレスセンター)、イスラエル外務省HP、ハアレツ、エルサレムポスト、アルーツ7、イスラエルインサイダー、CNN、BBC、イスラエル国防軍HP、外務省HP、アル・ジャジーラなど

画像提供:www.israelimages.com、Isranet他

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