ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 142 過越 2008~来年はエルサレムで!~
イスラエルでは19日から26日までが過越の祭日でした。厳戒態勢がとられていましたが25日、イスラエル中部の工業地帯で警備員2人が侵入したテロリストに射殺されて死亡。ガザでは激しい戦闘でイスラエル兵3人、パレスチナ人20人、巻き添えで14才の少女が死亡し、厳しい現実が続きました。
ハマスは停戦を呼びかけていますが、イスラエルは現時点では拒絶しています。
先月、爆弾テロにあったメシアニック・ジューのアミさんが急速に回復に向かっています。医師たちの間で「奇跡」ということばが出ているとの報告があります。絶望の中でイスラエルの人々が主により頼むよう祈りましょう。
主に信頼する人々はシオンの山のようだ。
ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。
山々がエルサレムを取り囲むように、
主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。(詩篇125:1-2)
今年も過越の祭りは19-26日。過越の祭りは出エジプトの出来事を覚える例祭です。「セダー」と呼ばれる特別な夕食の時があり、「ハガダー(ヘブライ語でナレーションという意味)」を読み進みながら、神がイスラエル民族を救って下さったことを覚えます。
通常セダーは、エリヤ(メシアが来る前に現れるとされる)の杯をもって締めくくられます。この時ユダヤ人たちは来るべきメシアを想い「来年こそエルサレムで!」と言います。
約1,900年間、エルサレムに帰ることのできなかった彼らが今ではエルサレムで過越を祝うことができるようになりました。今年も多くの海外在住のユダヤ人が過越を祝うためにエルサレムを訪れました。
今年のイスラエル外務省のホームページには「過越を単に歴史的な事としてとらえるのではなく、自分のこととしてとらえる時」と書かれています。大きな苦悩を通して建国を果たしたイスラエル。現代イスラエル人にとっては建国が自分たちの出エジプトなのです。今年、政府はHP上で特別にセダーに空席を設けて、拉致された兵士が解放され戻ってくることを祈るよう呼びかけました。
イスラエルの建国を象徴する難民船「エクソダス号」。その船長であったヨシー・ハレルさんが25日、90才で死去しました。
エクソダス号はイスラエルが建国する1年前の1947年7月11日、4,515人ものユダヤ人難民(ドイツでホロコーストを逃れた人々)を乗せてフランスを出航。7月18日、イスラエル北部ハイファ沖に到着しました。しかし当時パレスチナ地方はイギリスが統治しており、ユダヤ人移住を極端に制限していました。難民は正統なビザをもっていなかったためイギリスは彼らを受け入れず、ヨーロッパへ送り返してしまいました。(写真:ぼろぼろになってハイファにたどり着いたエクソダス号)
翌年、送り返された難民の半数はパレスチナ入りを再度試みて失敗。難民はイギリス軍にとらえられ、イスラエルが正式に建国した後の1949年1月までキプロス島に監禁されました。
エクソダス号の悲劇は映画にもされ、その船長であったヨシー・ハレルさんの名を有名にしていました。ハレルさんはこの時期に同じような難民船の船長を4回務め、計25,000人をパレスチナ地方へ送り、「現代のモーセ」とも呼ばれていました。
ハレルさんは後に、イスラエル諜報機関モサドに加わり、イスラエルの安定と治安のためその生涯を捧げて働きました。ハレルさんは25日、心停止を起こして死亡しました。90才でした。
シオニズムとは、「ユダヤ人はエルサレムのあるシオンに帰ろう」と考えることです。政治的シオニズムの人々は、イスラエルの建国は人間が政治的に努力した結果ととらえています。しかし最近増えてきているのが聖書的シオニズムの考え方です。
これは、イスラエル建国が聖書的に預言されていたことであり、神がイスラエル民族とともにおられて建国を実現させてくださったと考えるものです。この立場をとる若者ジェレミー・ギンペルさんとアリ・アブラモヴィッツさんはアメリカから移住してきたユダヤ人です。
彼らは現代人の感覚に合った歌やトークで「過越」を語っています。宗教的なイメージではなく、自然で楽しい過越です。彼らは言います。「ユダヤ人が屠ってかもいにその血を塗りつけたという「子羊」はエジプトの神の象徴であった。「子羊」を屠るためには、エジプトを恐れず主に信頼することが必要だった。イスラエル人が主に信頼したとき、出エジプトは起こった。これこそイスラエル民族の解放でありはじまりだ。今、神に信頼しよう。主が働いて下さる」 Arutz7 Tuesday Night Live #15(英語で検索可能)
4月9日、ガザ中央に近いイスラエルの町ナハル・オズのガソリンスタンドでイスラエル人男性2人が射殺された事は前回お伝えしました。16日、そのナハル・オズの防護壁に近づいてきたパレスチナ人との衝突でイスラエル兵3人が死亡し、3人が負傷しました。
死亡したのはメンハシュ・アルバニヤットさん(20)、マタン・オブダティさん(19)、デービッド・パピアンさん(21)。(写真:イスラエル外務省HP)ハマスが犯行声明を出しました。
その1週間後の23日、ハマスは「ガザに来るイスラエル軍兵士には4つの選択肢がある。①死ぬこと ②捕虜としてとらえられること ③重傷と障害を負うこと ④精神的なトラウマに苦しむこと」と書かれたビラを発行しています。
イスラエルの会衆のひとつオハレイ・ラハミームのエイタン・シシコフ師ノよると同師の息子さんをはじめ多くのメシアニック・ジューの青年たちが今回戦死した兵士たちと同じ部隊に属しているということです。
同じく16日、ガザではイスラム教のモスクからの発砲でパレスチナ人とイスラエル軍に大きな衝突がありました。この日の戦闘で死亡したパレスチナ人は20人に上ると伝えられています。モスクには多数の爆発物が隠してありました。
この日の戦闘中、ロイター通信社のカメラマン(パレスチナ人)が巻き添えで死亡。持っていたカメラに、彼に向かって発砲するイスラエルの戦車が写っており、一般に公開されました。人権保護団体がイスラエルを訴えています。イスラエルは独自の調査を行うことを約束しています。
17~19日にかけても戦闘が続きました。朝の深い霧にまぎれて軍用車輌に見せかけた車輌が3台ケレム・シャロム検問所に突入して爆発、炎上。同時に15発の迫撃砲が撃ち込まれました。4台目も突入してきましたが爆発は未然に防がれました。(写真)
この戦闘により、パレスチナ人テロリスト4人が死亡。イスラエル兵13人が負傷しました。内一人は重傷です。この検問所は人道支援物資をガザへ送るための検問所で週に200台のトラックがガザに出入りしていました。
16~18日までに、1日に9~20発近くがイスラエル西部の町々に撃ち込まれました。18日にはガザからスデロットに撃ち込まれたロケット弾が電力供給施設を直撃。町は一時停電となりました。また1発は家屋の庭を直撃。女性2人がショックに陥りました。
25日、イスラエル軍はハマス指導者の一人ハッサン・マルーフ逮捕のため自宅を襲撃しました。イスラエル軍はマルーフを逮捕し、撤退しましたが、戦闘でマルーフの娘(14才)が死亡。少女の母も負傷しています。
この流れの中でハマスがエジプトを介しての停戦をイスラエルに呼びかけました。ハマスは他のパレスチナ団体とも足並みをそろえるため、30日にエジプトで代表たちと会議を開く予定です。
イスラエルは、たとえハマスが停戦を実行しても他の団体が応じない場合、イスラエルに対する攻撃は続くとして停戦には応じない構えを見せています。イスラエルはハマスが予定している30日の会議の結果を見て正式な発表をする予定です。
ゴラン高原をめぐって緊張が続いているイスラエルとシリア。 昨年からトルコがイスラエルとシリアの仲介に乗り出しています。
トルコのエルドアン首相は、シリアとイスラエルの要請により、まず低レベル官僚どうしの会談を実現するため、両国間のとりなしを行っています。エルドアン首相はシリアのアサド大統領、イスラエルのオルメルト首相を訪問し、最終的には両首脳の直接会談をめざしています。
しかし、アサド大統領は、相変わらずイスラエルがゴラン高原から撤退することを約束するまでは会談に応じないと強気の姿勢のままです。
2007年9月、イスラエルはシリア領内にある工場を奇襲爆撃しました。この件について23日、米国のCIAがシリアには北朝鮮によって建てられた核兵器工場があったと発表。写真も公表しました。イスラエルも沈黙を破って、攻撃したのは核兵器工場であったことを明らかにしました。
シリアはこれを一笑に伏し、「私たちがいつその核兵器を使うというのか。イスラエルを核攻撃すればそこにいるパレスチナ人も被害に遭うことになり論理的でない。イランも同様の考えを持っている。」と核兵器開発を否定しています。
一方、核拡散防止機構IAEAのエルバラダイ局長は、アメリカが今頃になって情報公開したこと、またイスラエルがシリアの核工場を爆破したことで、核兵器開発の証拠が失われたと非難しています。
ウクライナ人口第三の町オデッサは黒海に面する港町です。(写真:オデッサ港)1800年後半から1920年にかけて全人口の40%がユダヤ人で、町の80%のビジネスがユダヤ人によって運営されているという、ユダヤ人にとっては楽園のような町でした。
ところがロシア革命の混乱とともにポグロム(ユダヤ人居住区を非ユダヤ人が襲うこと)が発生しはじめ、300人が一晩に虐殺されるという事態となりました。
「ユダヤ人はシオン(エルサレム)に帰ろう」と訴えるシオニズム運動を最初に提言したのがオデッサの医師レオン・ピンスカー氏。また作家であったウラジミール・ジャボティンスキーが強力なユダヤ人自衛組織を指揮したのもオデッサでした。
第二、第三アリヤー(イスラエル移住)を果たした多くの若者がオデッサ出身でした。最近まで船でイスラエルへ向かうユダヤ人たちはオデッサ港から出発していきました。そのため、オデッサは「シオンへの門」と呼ばれています。
しかし、ホロコーストの時代にはオデッサだけで25万人のユダヤ人が虐殺。強制移動、アメリカやパレスチナ地方へ移住するなどしてオデッサのユダヤ人人口は今や全体の3%にまで減少してしまいました。数々の悲劇の中で、現在もオデッサに残っているユダヤ人は自分がユダヤ人であることを気にしないか、または隠す傾向にあります。
そのオデッサにイエスを信じるメシアニック・ジューの群れ「オール・ハメシア(救い主の光)」が立ち上がっています。集っている人数は200人程度。併設の聖書学校もあります。この群れはユダヤ人とウクライナ人が半々ということです。
この他もう一つ同サイズの群れがあります。ジュース・フォー・ジーザス(ユダヤ人伝道の団体)が協力して伝道が進められています。
ウクライナ人の教会に「ユダヤ人」としてではなく一般のウクライナ人として通っているユダヤ人もいます。
オデッサではユダヤ人であることを隠している人が多く、またユダヤ人であってもそのアイデンティティを知らないか、または否定している人も多いので、実際どのぐらいの人数のメシアニック・ジューがいるのかということは推定が難しいとのことです。ユダヤ人人口が約8万人の中で数千人はすでにイエスを信じているということも否定できません。
オデッサは17年前に旧ソ連から独立し、社会主義から急に資本主義になった国です。オデッサの宣教師によるとウクライナ人は「コミットメント」ということが苦手だといいます。自分はユダヤ人だとはっきり自認し、ユダヤ人学校にも通っている少年が、過越の祭りに何の違和感もなくピザ(種有りパン生地)を食べていました。
ユダヤ人にとっては、ユダヤ民族であるということに固執しないウクライナ精神が、かえってイエスを受け入れやすい環境を生み出しているようです。
29日から、MOL(マーチ・オブ・ザ・リビング)でポーランド、イスラエルを訪問するツアーが始まります。一行は日本人としてアウシュビッツでの平和行進に参加し、エルサレムでのイスラエル60周年記念式典にも参加します。ツアーの祝福のためにお祈りください。
ニュース情報源:GPO(イスラエル・プレスセンター)、イスラエル外務省HP、ハアレツ、エルサレムポスト、アルーツ7、イスラエルインサイダー、CNN、BBC、イスラエル国防軍HP、外務省HP、アル・ジャジーラなど
画像提供:www.israelimages.com、Isranet他
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