ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 127 シリアとイランと北朝鮮
緊張が続いていたシリアとイスラエル。先週イスラエル空軍がシリア領内に侵入、爆弾を落としました。シリアがイラン、北朝鮮の協力で核開発を行っている可能性があり、それを阻止するためにイスラエルが攻撃したのではないかと言われています。
ガザからのロケット弾がイスラエル軍基地を直撃。兵士69人が負傷しました。イスラエル軍は継続中の攻撃は行いましたが今のところ、大きな報復行動はありません。
イスラエルでは12、13日が新年祭。西岸地区、ガザ地区すべての検問所を閉鎖して警戒に当たっています。週末と重なって連休となるため、全国のホテルは95%の稼働率で、シリアとの国境、ゴラン高原にも多くの人がハイキングに出かけました。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたの全ての咎を赦し、
あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、
あなたに恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。(詩篇103:2-5)
6日、イスラエル空軍機がシリア領空に侵入、爆弾を投下しました。シリアが一時対空砲火による応戦を行いましたが戦闘にはならず、イスラエル機はまもなく飛び去りました。負傷者は出ていません。
イスラエル政府はこの件について現在もコメントしていないため、様々な物議をかもしています。
アメリカのワシントン・ポストが15日に発表した記事によると、イスラエルが攻撃したのは、シリアに寄港していた北朝鮮の船と、“農業研究センター”でした。北朝鮮の船が、シリアの核開発センターに核関係物資を搬入するのを阻止する目的だったと報じています。
イラン政府に抵抗する組織“Iran Press Service“は、イスラエルが攻撃したのは、イラクとの国境近くにあるシリアの長距離ミサイル発射基地であったと報告しています。基地はシリアとイランが北朝鮮の技術協力のもとで核開発のために使われていたが、今回の攻撃で施設が完全に破壊されたと報じています。
一方CNNは、今回のイスラエルの攻撃は、シリアからヒズボラ、もしくはイランからシリアを通ってヒズボラへ届けられる武器経路の破壊が目的だったと報じています。
いずれにしても、今回の攻撃により、イスラエルは、必要であればいつでもシリア領空に入り攻撃を実行することができることを証明したことになります。
北朝鮮は現在年内にも再開される6カ国協議(北朝鮮、韓国、中国、日本、ロシア、アメリカ)で核無能力化を受け入れることが期待されています。
この時期にシリアとの核協力の事実が浮き彫りになってきたことから、北朝鮮が六カ国協議前に核兵器をシリアへ運んだか、味方となる核保有国の増殖を目的としているのではないかとも考えられています。北朝鮮は、以上のようなシリアへの関与を強く否定し、イスラエルの行為は領空侵犯だとして非難しています。
核技術をイラン、北朝鮮、及びリビアに提供したのがパキスタン人科学者A.Q,カーン博士です。カーン博士は政府に任じられて核開発を行い、パキスタンをイスラム圏で初めての核保有国に導いた科学者です。
パキスタンの核開発があまりにも早かったため、先に核保有国となっている中国の関与が疑われました。カーン博士はそれを否定し、核技術は独自で開発したものであると訴えています。しかしながら、西側の調査によると1980年から1990年代にかけて、パキスタンと中国、北朝鮮が核並びに弾道ミサイルの開発に協力し合っていた疑いが濃厚となりました。
またウラン濃縮のための遠心分離器の機材は東南アジア諸国とドイツの協力のもとマレーシアで作られ、ドバイのコンピューター会社が隠れ蓑に使われるなど、30カ国以上の国々や会社、個人を巻き込んでいることが明らかとなっています。これをカーン・ネットワークと言います。カーン・ネットワークの全貌は今もまだ明らかになっておらず、今も活動していると考えられています。
カーン博士が核兵器を密売した動機は、次の3つです。1.西側諸国への反発 2.イスラム諸国へ核技術を提供したいという熱意 3.富(カーン博士は技術提供とともに多額の金を受け取っています)
カーン博士自身は2004年1月、極秘で核技術売買に関与していたことをパキスタンのテレビ放送を通じて告白しました。翌日パキスタンのムシャラフ大統領は博士を恩赦とし、自宅軟禁を命じました。カーン博士はイスラムへの献身とパキスタンに核をもたらした英雄として国民に高い人気があるため、それ以上の罰則を課すことができなかったようです。
アメリカ政府もたとえカーン博士を訴追してもカーン・ネットワークはなくならないとしてさらに訴追することはありませんでした。
カーン博士は現在62才、2006年8月前立腺癌と診断され手術を受けました。2007年7月パキスタン政府はカーン博士を自宅軟禁から解放しています。
今回イスラエルが攻撃した地域には、かつてヤコブがリベカに出会った井戸がある町ハランの近くです。イスラムの伝統によるとこの地域はアブラハムが住んでいたウルであるとも言われています。
11日朝、ガザ近郊にあるイスラエル軍訓練基地にガザから発射されたカッサム・ロケットが命中しました。幸いロケット弾は無人の“事務所”テントに当たったのですが、爆弾による破片で付近のテントで寝ていた兵士69人が負傷しました。
現場は駆けつける数十台の救急車と兵士らの叫び声で一時大混乱となりました。5人が重傷、軽傷であった者もショックで治療が必要でした。イスラム聖戦ともう一つのグループが犯行声明出しました。イスラム聖戦は、攻撃の“成功”を祝っています。
基地は実戦用ではなく訓練兵のものでしたが、ガザからはわずか1キロしか離れていませんでした。兵士の両親たちは、そんな危ないところにいるのに、防弾施設はおろかテントで兵士が寝ていたことに苦情を訴えています。
ガザからのロケット攻撃はエスカレートする傾向にあります。スデロットでは子どもで混雑するデイケアセンターにロケット弾が命中しました。幸い負傷者はありませんでしたが、両親らがあわてて子どもたちをセンターから連れ出す騒ぎがありました。テロリストから「新学期のおくりもの」とコメントがあり両親らを激怒させました。両親らは政府に学校への防御施設を充実させるよう改めて怒りを訴えています。
イスラエル軍はロケット発射阻止のためガザで空爆を続けています。西岸地区でも次第に大規模侵攻による祖国防衛が必要になりつつあります。
ガザのハマスは、イスラエルが再度ガザを占領に来るとの情報を受けて、ガザ市内で大規模な演習を行いました。オルメルト首相、アッバス議長の外向的手段に期待がかかっています。
聖書(レビ記23章)に示されたらっぱの祭りはイスラエルではユダヤ歴による新年祭「ローシュ・ハシャナー」となります。今年は12日日没から始まりました。この後、9月中は贖罪の日、仮庵の祭りと祝日が続きます。
今年は、7年に一度の安息年(シュミター)にあたります。安息年には作物を育てず、土地を休ませなければなりません。厳格には、観葉植物のプランターに至るまで、休ませることになっています。どのようにシュミター年を過ごすべきか、ラビたちが小さなパンフレットを作成するなどの準備がすすめられてきました。実際には、1年間だけアラブ人に土地を貸すなどさまざまな“対処”がなされています。
また、うるう年にあたるため、新年は通常2日で終わるところ、3日間の休みとなりました。続いて安息日に入るため、新年と週末と続けての大型連休となりました。店が丸4日間閉まり、買い物ができなくなるため、市民たちは新年前に大量の買い物をしました。新年に用意する食べ物は、ざくろ、新鮮なりんごはちみつ、魚料理などです。
南北から戦争の足音がしているイスラエルですが、市民は例年通りの秋の例祭シーズンを楽しみました。国内のリゾートホテルは95%の稼働率です。シリアとの緊張が高まっているゴラン高原でもハイキングの家族連れで混雑するほどでした。日本と同様に新しい年の祝福を願って凧揚げを楽しむ人々もありました。しかしこちらも日本と同様、連休中の交通事故で7人が死亡しました。
今年はイスラエルの秋の例祭とイスラムのラマダンが同時に始まりました。テロ防止のため、連休中は西岸地区、ガザ地区の検問所はすべて閉鎖されました。エルサレムに入るためには特別な許可証を持ち、かつ男性は45才以上、女性は35才以上と限定されました。ガザ国境では、自爆テロを試みた犯人が未然に逮捕されました。
エルサレムのアル・アクサ・モスク(神殿の丘)はイスラム教徒にとっては第3の聖所です。巡礼を希望する人々で検問所はごったがえしました。西岸地区でエルサレムに近いベツレヘムやラマラの検問所では人々が長蛇の列を作りました。入れない人々が検問所につめよりましたが、イスラエル兵に押しとどめられました。エルサレムに入れないイスラム教徒たちは検問所付近や防護壁前で礼拝をささげました。
エルサレムの神殿の丘では、厳しい警戒のもとイスラエル領内にいるイスラム教徒9万人が礼拝に訪れました。町でも数百人の警察官が警戒に当たりました。
ニュース情報源:GPO(イスラエル・プレスセンター)、イスラエル外務省HP、ハアレツ、エルサレムポスト、アルーツ7、イスラエルインサイダー、CNN、BBC、イスラエル国防軍HP、外務省HP、アル・ジャジーラなど
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