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戦いの武具(エペソ6章)を着ける

文:ピーター・ファスト(BFP CEO)

聖書が語る通り、この世には霊的戦いが存在します。
その戦いが激化する今こそ、神の武具を身に着け、
堅く立ち続けてまいりましょう。

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史上最も力ある帝国の一つだったローマ帝国。その古代ローマ帝国を描いた映画はここ数十年、映画界を彩ってきました。例えば、「マサダ」(1981年)、「グラディエーター」(2000年)、キリストの生涯を描いた「TheChosen」(2017年)などです。カエサルのガリア戦争、キケロの演説、ハドリアヌスの長城やコロッセウム(円形闘技場)の遺跡といったローマ史は、西洋文明に大きな足跡を残しました。

主にあって強くあれ

使徒パウロは、信仰と霊的な力の象徴としてローマ軍の武具をたとえに用い、困難な時代にあるエペソの信者たちを励ましました。

エペソ人への手紙6章10節は次の励ましで始まります。「主にあって、その大能の力によって強められなさい」。この「力」は、すべての力の源である神への信仰によってのみ得られるとパウロは考えていました。神だけが、超自然的な天からの力と勇気によって私たちの弱い肉体の力を補うことができます。肉体の力を文字どおり示す例として思い浮かぶのはサムソンです。一方、モーセやデボラのような聖書に登場する指導者もまた、主にある驚くべき力を必要としました。

神は聖書の中で、戦いに勝利する王としてご自分の威厳ある力を示しています(出15:1〜18、詩18:32〜39)。歴代誌第一16章11節には「主とその御力を尋ね求めよ」とあり、詩篇20篇6節では「(主が)救いの御力をもって 聖なる天から その者に答えてくださること」が約束され、詩篇28篇7節ではこの力を「」と描写しました。神は地上の軍隊を用いることもおできになりますが、この力の究極的な源は神により頼むところにあります。

霊的守り

パウロは次のように信じていました。地上には試練があり、敵もいる。昨年10月7日にイスラエルが直面したような悪も存在する。そこには、神の聖徒たちに立ち向かう悪魔の力との霊的戦いがあるのだと。聖徒たちは、血肉とは異なる領域で働く悪の力に狙われ、迫害されます(エペ6:12)。

パウロは強い言葉を用いて、その悪の源であり中心は悪魔だと宣言しました(エペ6:11〜12)。パウロは現実の悪を否定したわけでも、その悪が生み出す行為を弁解あるいは正当化したわけでもありません。ただ、確かに霊的戦いはあることを読者に思い起こさせたのです。そこでは、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、天上にいるもろもろの悪霊が、すべての正しい者、究極的には神に逆らっています(詩83:1〜5)。

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霊的な力は現存するため、パウロはエペソの信者たちに戦いに備え、霊の武具を身に着けるよう勧めました。世界中の大学にはびこる反ユダヤ主義やイスラエルに対する大虐殺の蛮行を見る時、確かにそのすべての背後に「霊」が存在するように見えます。私が10月7日の2週間後にイスラエル外務省を訪ねた時に、外務大臣の語った「10月7日、わが国は悪魔の攻撃を受けた」という言葉が忘れられません。

この時代、私たちは闇の中の光となり、はっきりと声を上げ、行動する必要があります。そのために必要なのは主の力であり、邪悪な日に際して堅く立てるように正しい神の武具を「取る」ことです(エペ6:13)。備えがなければ倒され、滅ぼされてしまいます。

今日、教会の中でさえ多くの人々が恐れに捕らわれ、身動きが取れなくなっています。反ユダヤ主義の憎悪や大虐殺を前にして、自分が払う代償を考え、声を上げることをためらっているのです。

一方で、イスラエルやユダヤ人社会を支援しようと立ち上がり、闇を押し返そうとするクリスチャンの大きな波も世界中で起こっています。主はご自分の義人たちに勇気を与えてくださるのです。詩篇27篇14節には「待ち望め 主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め 主を」とあります。立つためには神の武具を身に着けることが必須です。

真理の帯

最初の武具は「真理の帯」です。「腰には真理の帯を締め」ます(エペ6:14a)。ローマ兵が身に着けていた帯には、鉄鋲を散りばめた革ひもの前掛けが付いていました。この前掛けは、兵士が行進するたびにジャラジャラと金属音を鳴らしました。帯はまた、兵士の剣と短剣を固定する物でもありました。

重要なのは鉄鋲が付いた前掛けです! 兵士の無防備な太ももと足の付根を攻撃から守るだけでなく、心理戦にも有効でした。ほとんどの軍隊が、これから起こることへの恐れと興奮から交戦前に雄叫びを上げたい衝動に駆られます。ローマの歩兵軍はその衝動を抑えるよう訓練を受け、無言で戦場に進軍しました。敵軍は、そんなローマ軍の激しい攻撃が目の前で行われる様子と音を見聞きし、恐れで満たされたのです。

パウロは帯を「真理」と結び付けました。真理を身に着けていれば(ヨハ8:32)、暗闇、うそ、欺き、悪は消え失せるか、従属せざるを得なくなります。「締め(る)」とは、帯を固定して備えることです。ぼんやりしていてはいけません。ただし、「真理の帯」を生まれつき締めている人はいないため、堅く立つために誰もが帯をしっかりと「締め」る必要があります。

胸当てと履き物

次の戦いの備えの象徴は「胸当て」です。パウロはこれを正義と結び付けました(エペ6:14b)。ローマ兵は戦闘時、うろこ状の板金の胸当てを身に着けました。柔軟に動けるようなつくりになっており、肩や前腕だけでなく生命維持に必要な肺や心臓を保護しました。敵の激しい脅威の下で戦うには極めて重要です。パウロはこの武具を「正義の胸当て」と呼びました。これは、潔白な生き方、非難を受けないように努め、神の御前で正しくあることと関連しています。

正義は人々の目にとまり、人々を善に引き寄せます。胸当てを身に着けるのは「職業軍人」だけでした。彼らは国に仕え、敵と戦います。正義を表すヘブライ語は「ツェデク」と言い、王の完全な支配によってもたらされます。また、完全で非の打ちどころのない神の完全なきよさの一部でもあります。神の命令を守り、正義と慈愛に満ちた人がツェデクと呼ばれるのです。

最後の重要ポイントは、ローマ時代の胸当ては一人では着用できなかったという点です。仲間の助けが必要でした。暗闇に立ち向かい、正義を求める時、このことを思い巡らしましょう。正義の追求は単独で行うのではありません(マタ18:20)。

次にパウロは、「平和の福音」(文字どおりには「シャロームの良い知らせ」)を伝えるために「備えをはきなさい」(エペ6:15)と勧めました。最も重要で基本的なローマ兵の履き物は、丈夫な革製の鋲打ちサンダルでした。足が滑るのを防ぎ、延々と続く行軍中も足を守り、しっかりと前進できます。私たちも闇の中で神の光を輝かせ、何をするにもシャローム(平安)を身に着け、神がこの世界でなさっていることを映し出すことができます。

最後の仕上げ

ローマ兵は、盾、かぶと、剣という最後の三つの武具を身に着けなければ十分とは言えませんでした。パウロは盾を「信仰の盾」(エペ6:16a)と呼んでいます。ローマ兵にとって盾は極めて重要でした。盾を使った訓練も絶えず行われ、亀甲隊列のような複雑な隊列も組むことができました。亀甲隊列とは主に攻囲戦で使われる隊列で、四角形に隊列を固めて盾を重ね合わせ、目の前の危険や上からの脅威から身を守ります。ローマ兵の盾はしなやかで、矢や槍から身を守り、盾の後ろで身をかがめれば最大の防御となりました。

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パウロは信仰(エムナ)を盾になぞらえることで、ヤコブの手紙2章14〜26節の真理を繰り返しています。すなわち「行いのない信仰は死んでいる」ということです。ヘブル的思考では、信仰とは心の状態ではなく、行動を指します。単に信じるだけでなく実践するものなのです。信仰は成長かつ成熟していく必要があります。敵は妥協や火矢(エペ6:16b)を使って信仰を滅ぼそうとするため、警戒を怠らず、「盾」を用いる必要があります。

ローマ兵のかぶとは、頬、首、頭、額、目を保護するものでした。剣による一撃や飛び道具で簡単に命を落とす可能性があったため、かぶとは鎧(よろい)の中でも極めて重要です。主要な感覚器官(目、耳、口、鼻)が集まる頭部は、最も傷つきやすい部位の一つです。腕や足、胸に傷を負っても生き延びる可能性はありますが、無防備な頭部への一撃で命を落とすのはほぼ確実でしょう。

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パウロはかぶとを「救い」(エペ6:17a)と呼びました。ギリシャ・ローマ圏の町エペソの出身で、元異教徒だった読者たちは、頭は知性や理性、知恵、思考力の中枢と考えたはずです。ですから、頭部を守る「救いのかぶと」と聞いた時、神の救いの力(イザ12:2)を連想しただけでなく、あがないの源である「救いの角」(Ⅱサム22:3)とも結び付けて考えたことでしょう。

最後に、ローマ軍が恐れられたのは、兵士の鎧にグラディウス剣が装備されていたためです。この剣は刃渡り60cmの両刃の剣で、際立った殺傷能力がありました。ローマ兵は、この剣で突き刺す訓練を受けました。盾で防御し剣で突くことによって、ローマ軍は敵軍を壊滅させることができたのです。

パウロは、このシンプルで効果的な武器を「御霊の剣」と呼び、剣とは「神のことば」(エペ6:17b)であることをエペソの読者に説明しました。イエスを信じる者として、私たちは善悪を見分けるために神のことばに根差し、御霊に導かれる必要があります(Ⅰテサ5:19〜24)。そうする時、神が、イスラエルや私たちと結ばれた契約に誠実なお方であることが分かります。また、この時代のしるしを見て警戒し、王なる神の召しに応える用意ができるのです。

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