ティーチングレター

励ましの力 -後編-

文:ネイサン・ウィリアムズ(BFP国際管理部長)

前編では、励ましが私たちの脳に与える影響を学びながら、励ましの重要性を見てきました。後編では、私たちが周囲から励ましを受けるだけでなく、自ら励ましを与える人となっていくことを学んでまいりましょう。

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失望した弟子たち

最も悲痛な失望を味わった人々を挙げるとしたら、それはイエスの弟子たちではないでしょうか。イエスがご自分の死と、父のもとに上ることを話された時、弟子たちは神がイスラエル民族を捨てたように自分たちも捨て、約束のあがないも放棄するのだと考えました。弟子たちは何年にもわたってイエスのミニストリーに時間を捧げ、仕事を捨て、家族を置いて、奇跡を行うこのラビに従い仕えてきました。にもかかわらずイエスが弟子たちに啓示されたのは、ご自分の死と差し迫った旅立ちだったのです。

これは今の私たちとも無関係ではありません。信仰の歩みの中では、期待した結果が得られないつらい時や犠牲を払わなければならない時があります。神の励ましなしにそのような時期を乗り越えることはできません。試練と試みの時にこそ、私たちには励ましが必要です。励ましの神はそんな私たちの必要を心に掛け、いつも以上に天から耳を傾けてくださいます。イエスは死を目前にされた時も、ご自分の友を慰め励ますことを選ばれました。裏切られ、全世界の罪をその身に負われた時、イエスは振り向いて友に言われました。

主は、私たちを用いて人々を励まされます。
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「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません(ヨハ14:27)」

主は「善」と「まこと」に満ちあふれています。ひどい絶望感に襲われる時、全宇宙の主権者である神があなたを心配し、励ましていることを考えてみてください。主は恐れや不安の中にいるご自身の民に慰めと平安を与えてくださいます。

しかし一方で、力強い神の励ましの中にある私たち一人ひとりが、果たさなくてはならない役割があります。残念ながら私たちはこの点を見過ごしがちです。主は、私たちクリスチャンを用いて、民を励まされます。私たちは、人々が神の目的に向かって歩んでいけるように、自らが励ましを与える存在になる必要があるのです。

御心を成し遂げさせる励まし

私は、励ましが相手の人生をも変えることができると信じています。励ましを与える人は、自分の力では決して超えられない限界を乗り越えられるように相手に力を貸しているのです。

エジプトを脱出し、荒野で死んだイスラエルの子らのことを考えてみましょう。彼らは落胆し、がっかりしていました。励ましという面で問題を抱えていた彼らは、主への確信と希望が持てなかったのです。しかし彼らには、主によって選ばれた新しいリーダーであるヨシュアがいました。彼は、聖書の中でも最も偉大な預言者モーセの後継者として選ばれた指導者です。勇敢で力強い戦士だったと私は想像しています。

ヨシュアには、約束の地に入ってそれを受け継ぐという預言が与えられていました。ヨシュアは自分の行き先を知っており、他の人たちとは違って主を信じ、神の約束に信頼し希望を持っていました。しかしそれでも神はモーセに指示を出して、民がヨシュアを励ますようにさせたのです。「あなたに仕えているヌンの子ヨシュアが、そこに、入るのだ。彼を力づけよ。彼がそこをイスラエルに受け継がせるからだ(申1:38)」

なぜ神はこのような指示をモーセにお与えになったのでしょうか。ヨシュアが御心を成し遂げる上で、民の励ましが一つの役割を担っていたからです。ヨシュアの周りにいた人々には、ヨシュアが召しを成就できるように励ますという任務が与えられていました。そうすることで彼ら自身、約束の地に入るという自らの召しを達成したのです。

励ましの人となる

聖書に従って励ましの人を定義してみましょう。聖書的な励ましの人とは、他の人が主の望まれるような人となり、主の望まれることを行えるよう、勇気を与える人です。もう一度言います。聖書的な励ましの人とは、他の人が主の望まれるような人となり、主の望まれることを行えるよう、勇気を与える人です。

聖書的な励ましの人とは、他の人が主の望まれるような人となり、
主の望まれることを行えるよう、勇気を与えます。 pxabay.com

私たちは、他の人が神から与えられた目的に向かって歩んでいけるように励ましたいという情熱を、聖霊によって与えられる必要があります。励ましによって一人ひとりのうちに眠っていた才能や賜物が開花し、彼らが神の計画に従って歩み始めるのを見ることは何より素晴らしいことです。

同時に、たましいに戦いを挑む敵が信者たちを惑わし、落胆させ、信者たちが主を信頼し待ち望むことに幻滅と不満を覚えるのを見る時、私は大きなチャレンジを覚えます。私たちは人間関係の中で欠点や弱さを探しがちです。しかし、私たちが取るべき態度はその正反対であるべきです。すなわち人々が御心に従って歩み、人生の目的を成就する確信を持てるように励ますことです。

他者を励ますことは難しいことではありません。聖霊の導きを通して、私たちは他者の特質を容易に知ることができます。こうして、その特質を強めて伸ばすことができるのです。神の励ましという視点から人を見れば見るほど、他の人が神の目的に従っていくことを励ます神の管となっていきます。誰もが皆、励ましを必要としています。そして私たち信者は、他の人々を励ましなさいと命じられているのです。

あなたには力がある

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自分には他の人にあげられるものが何一つないと考えているなら、誰でも励ましの人になれることを覚えておいてください。若くても年を取っていても、裕福でも貧しくても、病気でも健康でも、誰もが励ましの人になることができるのです。それは自分の選択次第です。他の人を励ますなら自分のたましいも元気になります。落胆したり、落ち込んだり、孤独だったりする時、他の人を励ますことで自分も引き上げられます。励ましを受ける時にも元気になりますが、人を励ます時にも元気になるのです。

正直に言って、誰かを常に励ますことが自然にできる人を私は見たことがありません。自撮りとスマホの世界に住む私たちは、自分たちをより内向きにさせる力に取り囲まれています。

他の人たちをいつも励ます態度を育むためには献身が必要です。誰かに何か良いことを言ったり、励まして建て上げたりするためには努力がいるのです。単に洋服やネクタイを褒めるというより、その人の性格や霊的賜物を明らかにする必要があります。人々の賜物が認められ、その人の生活がより良い方向に変わってゆくこと、そこに励ましの力があります。励ましによって脳の感じ方が変わり、自分に対する考え方も変わります。私たちはもっとそれを行うことができるのです。

どんな人にも励ましが必要

長い人生であれ短い人生であれ、これまでの人生を振り返ってみる時、自分に影響を与えた人とは、自分を信頼し、励ましの力を使って背中を押してくれた人ではないでしょうか。どれほど偉大で有名で成功した人であっても、励ましを求めています。世界中で最も美しい賜物の一つは励ましの賜物です。懲らしめにはある程度の効果がありますが、励ましの場合はそれ以上です。イエスに似た者になろうと努力しているなら、周囲の人々を励ますことを自分の仕事にする必要があります。

もしかすると、それは誰かの背中を一押しすることかもしれません。主はあなたにその一押しをする、励ます人になってほしいと願っておられます。主はあなたを用いて誰かに優しい一押しを与えることができるお方です。あなたは励ましの人になることができるのです!

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