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詩篇103篇の力を解き放つ -後編-

TEXT: シェリル・ハウアー(BFP国際開発部長)

前回に引き続き、詩篇103篇の根底に流れる「力」に焦点を当て、この詩篇を味わいつつ、共にさらなる力を体験してまいりましょう。

詩篇103篇は、たましいを高みに引き上げる「詩篇のエベレスト」と呼ばれてきました。 Daniel Prudek/shutterstock.com

私たちのあがない主

詩篇103篇でダビデは、神が滅び(別訳では穴)からあがない出してくださったことを思い起こしています。ここで使われている「ガアル」という動詞は、「あがない」「解放」「近親者として復讐(ふくしゅう)すること」を意味します。その名詞である「ゴエル(買い戻しの権利を持つ親類)」は、当事者に最も近い血縁者を指し、不正の復讐をし、その権利を回復させる義務を負う人を言います。

ゴエルの義務とは、奴隷として売られた親族を買い戻すこと(レビ25:48-49)、貧困のために親族が手放した財産を買い戻すこと、親族の血の復讐をすること、その親族に息子がいなければ、息子を生むために残された妻と結婚すること(申25:5)です。バイン解説辞典には次のように書かれています。
「買い戻しの権利を持つ親類は自分の親族の品位、命、財産、家名を守り、親族を殺害した者に当然の報いを与える責任があった。このような伝統はダビデの時代にはまだ広く実行されていた」

神は、私たちを買い戻す権利を持っておられる親類です。私たちの命を滅びの穴からあがなうだけでなく、霊的にもあがない、栄光の冠をかぶらせてくださいます。ダビデは生涯を通して何度も肉体的な滅びの危機に直面しましたが、霊的な死の恐怖も体験し、「私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください(詩51:11)」と叫びました。そして神は、ダビデの「買い戻しの権利を持つ親類」として忠実であられました。

全能なる神が、父母や兄弟姉妹、配偶者以上に近いお方であるとは何と驚くべきことでしょうか。しかしそれ以上に驚きなのは、ご自分のものである人々の命をあがなわなくてはならない、というご自分の律法によって、神ご自身が制約を受けていることです! 神はご自分の子どもたちを敵の支配から買い戻すために、偉大な力を注がれたのです。

言葉の力

人間は、言語を使ってコミュニケーションを取ります Ellagrin/shutterstock.com

神がアダムに命の息を吹き込まれた時、人類が授かった何よりも驚異的で素晴らしい賜物は、話す能力でした。何百年もの間科学者たちは、人間が動物と最も違う点は、決断する能力にあると考え、研究してきました。現在はほとんどの科学者が、その違いは複雑な考えを伝達できる能力にあると信じています。動物とは違い、人間は主に言語によって考えをやり取りします。過去について語り合い、未来の計画を立てます。学習をし、心にあることを語ります。何が正しく、何が間違っているかを議論し、共に問題を解決します。

言語はまた、将来の自分の行動を約束するために使われる場合もあります。例えば、花嫁と花婿が結婚式で互いに交わす誓約がそうです。

このように、今は存在していないものを言語によって創造することで、人間は神に結び付く、とラビのジョナサン・サックス師は言いました。神が言葉を使って全世界をつくり出されたように、人間も言語を使って社会的世界をつくり上げ、人間関係を立て上げ、自分の思いや態度を変えます。「自分の口と舌とを守る(箴21:23)」「知恵深く語る」という戒めが聖書の中に60回以上出てくるのは、そのためでしょう。

言語はまた認識能力も形づくることが、少数民族の研究から明らかになっています。例えば、ナミビアのヒンバ族には「青」という言葉が無いため、彼らは青色を識別できません。名前が無いものを認識することができないのです。

もちろん言語には負の力もあります。精一杯言葉を選んで人間関係を構築しても、一瞬にしてそれを駄目にすることもあります。こんな話があります。ラビが、自分を不当に非難した相手に、クッションの羽を村中にまき散らすよう指示し、その後で、散らした羽を全部集めるように言いました。これは不可能なことですが、言葉の持つ力を鮮やかに表しています。いったん口から出た言葉を消し去ることはできません。言葉が与えたダメージを取り消すことはできないのです。この話では、非難した人物や、非難を受けたラビのことを考えがちですが、この非難の言葉を耳にして影響を受けた、名も無き人々がいたことも忘れてはなりません。

ダビデは言葉の持つ力を理解していました。言葉には、自分の思いを導き、自分の態度を変える力があることを知っていたため、その力を行使することで、ダビデは状況や感情に振り回されず、善なる神と常に一致できたのです。

舌は制御しなくてはなりません。言葉には、良いものも悪いものも創造する力があり、それゆえ聖であり、力強く危険な道具なのです。ダビデは、その力を神の御心に従って使う素晴らしい模範をこの詩篇で示しています。

賛美の力

103篇は、ダビデの全存在から発せられる、あふれんばかりの賛美の叫びで始まります。ダビデの内にあるすべてのもの、体の細胞の一つ一つまでが聖なる神の御名を賛美しているのです。心は感謝で満たされ、ダビデは純粋で情熱的な賛美で応答せずにはいられませんでした。つまり、賛美とは感謝に他なりません。

詩篇の中だけでも200回以上、神の民は神への賛美の声を上げています。聖書はそのような賛美が解き放つ力の実例でいっぱいです。パウロとシラスが、暗く劣悪なピリピの牢獄で鎖につながれ、声を上げて賛美した時、牢獄の土台は揺れ動き、牢の扉が開き、足かせが外れました(使16章)。ヨシャパテは、敵軍によって全滅させられそうになった時、自らの軍の先頭に礼拝者たちを置きました。彼らは兵士たちをリードして主に歌い、その聖なる美しさを賛美しました。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで(Ⅱ歴代20:21)」。彼らが歌い始めた結果、敵は立ち上がり、同士討ちを始めました。また、強固なエリコの城壁が、イスラエルの民の賛美によって崩れ去ったという見事な実例も忘れることはできません。

神は私たちの賛美を大切にされます。その賛美を通して、闇に光をもたらし、敵を退け、私たちの注意を問題からそらして賛美にふさわしいお方に向けさせ、疲れを癒やし、弱い時に力を与え、親密な一致をもたらす神の臨在の中へ招き入れてくださるのです。神はご自分の民の賛美を住まいとしておられます(詩22:3)。賛美の力は神の臨在の力であり、嵐を静め、火を消し去り、山を動かすのです。主はその賛美の力を私たちに授けたいと願っておられます。

賛美は神の力を解き放つ鍵です Sergey Nivens/shutterstock.com

周囲の人々を称賛する言葉にも大きな影響力があると、ラビ・サックス師は語ります。ヤコブの息子ルベンとヨセフは二人とも力と才能がありましたが、ルベンは母レアの屈辱の陰で成長しました。一方、ヨセフは父の秘蔵っ子で、部族の首長だけが着ることのできる長服を与えられ、お気に入りの息子とたたえられました。ヨセフは当時の世界で最も偉大な国の第二の権力者となり、ルベンは失敗と失望の生涯を送りました。

この違いを生んだのは、愛していない妻から生まれた息子に対する、ヤコブの無関心だったとサックス師は考えています。ラビはこう勧めます。称賛を惜しまず、周りにいる人々を励まし、力付ける者になってほしいと。そうするなら、他の人々の成長を助ける太陽の光となることができるのです。

力ある詩篇

「賛美とは、神がしてくださったことをたたえるのではなく、神ご自身の品格をたたえるものでなくてはならない」という言葉を時々耳にします。高貴な考え方ですが、ヘブル的に考えるなら、この二つを切り離すことはできません。神の御業を思い出すことは、神がどのようなお方であるか思い出すことであり、その逆もまたしかりです。これが、詩篇103篇のすべての力を解き放つ鍵です。神が自分のためにしてくださったことを思い出す時、神はイスラエルの聖なる方であり、情け深く、恵みに富む方であることを思い出します。そして私たちは感謝に満ちあふれ、こう叫ばずにはいられません。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ(詩103:1)

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