BFP編集部 2000年1月
「『わたしは、わたしの民イスラエルの捕われ人を帰らせる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない。』とあなたの神、主は、仰せられる。」(アモス9:14-15)
神は、イスラエルとユダヤ民族を、世界に救いをもたらす“地上の器”としてお選びになりました。ユダヤ民族にはAプラン、異邦人教会にはBプランというような、ふたつの計画を持たれたわけではありません。神にはAプランがあるのみです。教会は、今なおイスラエルに結びついて前進している、“贖いの過程”に導き入れられました。イスラエルの地を、神はご自身のものと呼んでおられます。悲しいかな、この世と霊的な諸勢力は、もろもろの時代をとおして神のご計画に対抗してきました。
約2000年前、敵は、神がイスラエルとユダヤ民族に結んでおられる契約関係を消滅させようと企てました。紀元70年と135年にあったユダヤとローマの戦争で、ローマ人は神の神殿を破壊しました。ユダヤ民族の大半を、イスラエルの地から追放し、イスラエルの名前を、主要敵国であった“ペリシテ”の意味を持つ“パレスチナ”に変えました。さらに、年に一度「アビブの月の9日」を除いて、エルサレムに入ることを禁じました。そして、エルサレムをローマの都市として再建し、その名をアエリヤキャピトリナと変えたのです。
ユダヤ民族がよみがえり、約束の地に住み、その地が再びイスラエルと呼ばれるなど、誰が考え得たでしょう。
しかし、神は決してご自身の民と、その計画をお忘れになりませんでした。預言者たちは、民の補囚と、土地の不毛化と荒廃について語りました。一方、そのあわれみにより、神は再び御民イスラエルを、地の四隅から連れ戻される日について語られました(イザヤ11:11-12)。その地は以前のように人が住み、実り豊かな肥沃な地となり、完全に霊的刷新を見ることになります(エゼキエル36章)。今こそ、その日です!
この預言の実現は、わずか100年前に始まり、この時代に全力疾走しています。神はこの地と民を、やがて来られるメシヤのために備えておられます。聖書は、眼の前で実現し続けている、預言的な聖句に満ちています。イスラエルの地とその民は、打ち捨てられた神の道具ではありません。彼らは、教会と共に、世界をあがなう神のご計画の一部であり、今なおそれは変わりません。主のあわれみはとこしえです。現代は、ユダヤ民族を迫害するのではなく、聖書を信じる何百万というクリスチャンが、エルサレムの平和のために祈り、神の預言的計画を支持しています。
今回の学びをとおして、私はイスラエルの地と、ユダヤ民族にかかわわる、預言的聖句のいくつかを検討したいと思います。今日起こっている事件を、聖書の文脈に当てはめることで、神が言葉を成就し、その約束を忠実に守られるお方であることを知るでしょう。そして、多くのことが明らかになることでしょう。これは教会にとって興奮すべきことです。というのは、もし神がイスラエルへの約束に忠実であられるなら、教会に対する約束にも忠実であることがわかるからです。私たちは、メシヤの到来を待ち望み、自分自身が、全世界に福音をもたらす“神のご計画の一部”となることができるようにと願わされます。
聖書から、ユダヤ民族に関する12の預言的なテーマを調べてみましょう。預言者たちは、民がまだイスラエルに住み、開拓されていた時代にこれらの預言を書きました。ですから、彼らの預言は、2500年先の未来を、正確に描写していたことになります。これは驚くべきことです。神は確かに預言者をとおして、ご自身の言葉を語られました。
第1の鍵
イスラエルの地に関する、ユダヤ民族への契約。それは神が彼らに与えたものであり、永久に破られることはない。
詩篇89篇30-37節にこうあります。「もし、その子孫がわたしのおしえを捨て、わたしの定めのうちを歩かないならば、また、もし彼らがわたしのおきてを破り、わたしの命令を守らないならば、わたしは杖をもって、彼らのそむきの罪を、むちをもって、彼らの咎を罰しよう。しかし、わたしは恵みを彼からもぎ取らず、わたしの真実を偽らない。わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。わたしは、かつて、わが聖によって誓った。わたしは決してダビデに偽りを言わない。彼の子孫はとこしえまでも続き、彼の王座は、太陽のようにわたしの前にあろう。それは月のようにとこしえに、堅く立てられる。雲の中の証人は真実である。」
エレミヤ書31章35-36節では、こう宣言しています。「主はこう仰せられる。主は太陽を与えて昼間の光とし、月と星を定めて夜の光とし、海をかき立てて波を騒がせる方、その名は万軍の主。『もし、これらの定めがわたしの前から取り去られるなら、イスラエルの子孫も、絶え、いつまでもわたしの前で、一つの民をなすことはできない。』」
今も大空には太陽が輝いていますし、夜空には星も月も現します。天の万象を見るたび、私は神のみ言葉が真実であることを確認しています。ですから、神がその民イスラエルとの契約を、お破りにならなかったことも信じます。悲しいことに、置換神学者たちは、「紀元70年にヘロデの神殿が破壊され、紀元135年にエルサレムからユダヤ民族が追放されたとき、神はお互いの関係を終了させた。そして、聖書の祝福はすべて教会に賦与したのである。」と主張しています。このイスラエルに敵対する教えは、歴史をとおして、クリスチャンの反ユダヤ主義と、教会によるユダヤ人迫害を燃え立たせました。
異邦人を神へ導き、“世界のすべての国民を祝福する”というアブラハム契約を成就するため、福音が世界を駆け巡っています(創12:3)。神はご自身の契約の民、イスラエルに対する約束、あるいは預言を何ひとつ破ったり、侵したりすることはありませんでした。事実、ローマ書11章28節は、「ユダヤ人は族長たちのゆえに愛されている」と告げており、またあなたがた(クリスチャン)のあわれみをとおして、彼らがあわれみを受けることになると言っています(31節)。
ですから、もし神の契約が破り得ぬものであるなら、この世に対する祝福の一部として、神の民とその土地を回復する計画もあったに違いありません。事実、今日起きているこの回復が、まもなく来られる世界のメシヤの来臨のために、舞台装置の役割を果たしているのです。
第2の鍵
神は1日のうちに、イスラエル国家を再建される。
預言者イザヤは、メシヤが来臨される前の、終わりの日のイスラエル国家再建について語りました。「だれが、このような事を聞き、だれが、これらの事を見たか。地は一日の陣痛で産み出されようか。国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。エルサレムとともに喜べ。すべてこれを愛する者よ。これとともに楽しめ。すべてこれのために悲しむ者よ。これとともに喜び喜べ。」(イザヤ66:8、10)。
預言者エゼキエルは、“白骨の谷”の幻で、主がイスラエルを墓からよみがえらせ、おびただしい大軍として回復されるのを見ました。骨々が肉に回復するのを詳しく記述した後(エゼキエル37:1-10)、彼は言いました。「主は私に仰せられた。人の子よ。これらの骨はイスラエルの全家である。ああ、彼らは、『私たちの骨は干からび、望みは消えうせ、私たちは断ち切られる。』と言っている。それゆえ、預言して彼らに言え。神である主はこう仰せられる。わたしの民よ。見よ。わたしはあなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓から引き上げて、イスラエルの地に連れて行く。わたしの民よ。わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。わたしがまた、わたしの霊をあなたがたのうちに入れると、あなたがたは生き返る。わたしは、あなたがたをあなたがたの地に住みつかせる。このとき、あなたがたは、主であるわたしがこれを語り、これを成し遂げたことを知ろう。」(37:11-14)。
多くのラビたち、またクリスチャン聖書学者たちは、この預言が第二次世界大戦とホロコースト後に成就したと言っています。イスラエルはあらゆる見解に反して、近代国家として蘇ったのです。ユダヤ人人口の3分の1が撲滅された、ナチスの虐殺について考えてみてください。その後のユダヤ民族のとてつもない荒廃について考えてみてください。こうした環境にあっても、彼らは一民族また国家として、もう一度古代の故郷を回復しました。誰がこんなことを想像できたでしょう。歴史的に、最もユダヤ民族が衰微したとき、奇跡が起きました。神は文字どおり、彼らを墓から立ち上がらせ、もう一度国家とされたのです。1948年5月14日、イスラエル近代国家が一日にして誕生しました。興味深いことに、テオドル・ヘルツ氏が、「パレスチナにおけるユダヤ国家は、50年後に再建されるだろう。」とビジョンを述べた、1897年の第1回シオニスト会議から、ちょうど50年後にそれが起こりました。
また、エゼキエルはイスラエルがおびただしい大軍として立ち上がるのを見ました。国防雑誌『ジェーンズ・ウイークリー』は、イスラエルを世界で最も強力な軍隊を持つ、第4番目の国と評価しました。世界中で最も小さな国家のひとつであり、最小の人口しか持たない国が、強力な防備軍を持つ国家と評されたのです。神はその民を連れ戻し、強めておられます。
第3の鍵
契約の民ユダヤ人は、地の四隅からイスラエルに戻る。
預言者イザヤは、ユダヤ人が再びこの地に戻ることについて書きました。イザヤ書11章12節で、彼はこう言っています。「主は、国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。」
100年前、荒れ果てたパレスチナ地域の人口は、まばらでした。1980年代になり、この地にユダヤ人が世界各国から帰還するようになりました。はじめはイエメンから、次いでロシヤのポグロムを逃れた人々がやってきました。今日、イスラエルの人口は600万を超えており、そのうち80%がユダヤ人です。人々は、世界の100カ国以上からイスラエルに戻って来ています。情勢に応じて、年間6〜10万人の範囲で古代の故国へ流れ込み続けているのです。
多くの人々が、ユダヤ人として生活するべく古代の聖書的故国に移り住みました。1880年代にやってきたイエメンのユダヤ人は、「今こそ故国に戻る時である。」と、神から直接語られたと宣言しました。そこで彼らはらくだに荷を積み、アラビヤ砂漠を越えてエルサレムに徒歩で戻りました。
1950年代に来た人々は、回教徒諸国から国を追放され、家を追われたためにやってきました。さらに、旧ソ連で起こったような経済崩壊も、ユダヤ人帰還を推進しました。ユダヤ人こそ、経済破綻の元凶であると非難され、その身に危険が及ぶようになりました。人々はより良い生活と安全な将来を求めて、イスラエルに移住してきました。国を追われた人々が、安らぐことができる、イスラエル国があることを神に感謝します。もし、1930年代にイスラエルが存在したなら、どれほどのユダヤ人がホロコーストの恐怖を免れたことでしょうか。
そうです。イスラエルは、新しい生活を始める場所として、世界中のユダヤ人に開かれている故国なのです。
◆第4の鍵
民は特に北方と南方から召し出され、北方からの帰還は、モーセの出エジプトよりも大きい。
預言者イザヤは言いました。「恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。わたしは、北に向かって『引き渡せ。』と言い、南に向かって『引き止めるな。』と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。」(イザヤ43:5-6)。1991年5月まで、この預言は、ユダヤ民族の古代の帰還に関する未成就の預言個所のように見えました。ここに書かれている文字どおりのことが成就するまでは、詩的表現とさえ思われていました。
過去100数余年、ユダヤ人はほとんど何の妨害も受けずに、東と西から自由にイスラエルに移住しました。しかし、東ヨーロッパや旧ソ連のユダヤ人たちは、エチオピアの人々同様に、共産主義政府によって、移住が妨げられていました。数十年にわたり、ユダヤ人やクリスチャンがデモを行い、諸政府や社会活動家機関も、北の国々に「我が民を去らせよ」という請願を続けました。それでも鉄のカーテンは固く閉ざされ、何百万人もの熱望にもかかわらず、ほんの数百、数千人がイスラエルへの移住を許可されただけでした。
その後、まさしくイザヤが予告したとおり、ほとんど一夜のうちに鉄のカーテンが開かれました。旧ソ連邦の瓦解に伴い、最も多い時には、月に何万人もの人々が出国許可を得ました。その間に、マルクス主義のエチオピア政府が、「1990年にイスラエルに移住してよい」という許可をユダヤ人に与えました。彼らは自分の山村を離れ、アデマスアババ空港を目指しました。しかし、空港に到着すると、彼らはその場に留められました。民は山村へ帰ることを拒絶し、空港の周りに1年以上宿営しました。マルクス主義政府が倒され、その日のうちにUSCIAがアメリカ大統領ジョージ・ブッシュと連絡を取り、ブッシュはイスラエルの首相イツハクシャミルに連絡を取りました。ありとあらゆる大きさの空輸機35機余りがイスラエルから送られ、1日でほぼ15,000人のエチオピア系ユダヤ人が空輸されました。これはアフリカ黒人にとって、束縛から自由の世界に入る最初の出来事となりました。イスラエルに到着したとき、彼らはみなバスに乗って西の壁(嘆きの壁)に向かいました。そこで自分たちを解放し、家に戻してくださった神に、手を上げて感謝を捧げたのです。
「北や南のユダヤ人が、イスラエルに戻ることを妨げられる」と予見した預言者について考えてみてください。神がお語りになった、特別の言葉によく注意してください。神は、北に向かって「彼らをあきらめよ」、南に向かって「留め置くな」と言われました。しかし、みこころに反して、南は民を留め置きました。1日にしてマルクス主義政府が倒された時、エチオピア政府はもうユダヤ人を留め置くことはできませんでした。預言者をとおして語られた神の言葉は、何と正確なのでしょうか。
その上、1989年以来、ほぼ100万人を動かした巨大な移民に続き、今なお毎年何万人もの帰還が実現しています。
預言者エレミヤの言葉をお読みください。彼はこの移住の壮大さを見ました。それは今起きつつあり、時と資金さえ許すなら、さらに200万人の人々を動かすことができるのです。エレミヤは書きました。「それゆえ、見よ、その日が来る。その日にはもはや、『イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた主は生きておられる。』とは言わないで、ただ『イスラエルの子らを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる。』と言うようになる。わたしは彼らの先祖に与えた彼らの土地に彼らを帰らせる。見よ。わたしは多くの漁夫をやって、彼らをすなどらせる。……」(エレミヤ16:14-16)。
3500年にわたり、ユダヤ民族は“パロからの脱出”を祝い記憶してきました。しかし、将来、神が北から民を脱出させる出来事は、あまりにも偉大であり、エジプトからの脱出をかすませるほどになると言っています。この世は、神の預言的な動きの証人です。ブリッジス・フォー・ピースは、このご計画を実現する漁師“ロシアでユダヤ人救出のために、命をかけて働いている人々”の何人かを救助する特権にあずかっています。
◆第5の鍵
民は不毛の地、イスラエルを回復する。人が住み、再建され、実り多く、歴史上のいかなるときよりも繁栄する。
18世紀末、諸国からユダヤ人が帰還しはじめたとき、この地は不毛であり、住む人もまばらでした。
1860年代に作家のマーク・トゥエインは、パレスチナと呼ばれる、当時オスマントルコ帝国の領土であったこの地を旅してこう記述しました。「あたり一面どこもかしこも荒涼として、1フィートの影もなかった。」彼はその地を「ぶつぶつした、木のない裸の地」と呼びました。ガリラヤについては、「露もなければ花もなく、鳥も木も存在しない。ひとつの平地と木陰のない湖があり、その先にははげ山がいくつかある。」パレスチナを要約して、「あらゆる国の景色の中で、パレスチナはその第一人者に違いないと考える。丘ははげ、どんよりとした色は絵にもならない。希望がなく、沈んだ失意の地である。」「はげたイスラエルの山々」について、エゼキエルの預言的描写(エゼキエル36:1-7)がなされています。イスラエルの地からユダヤ民族が追放された時、そのようになりました。その後を継いだ者たちは、地に心を配ることをせず、不毛となりました。神はこの地を、イスラエルの民のために選ばれました(レビ23:5、6)。民と地の両者がそろわなければ、どちらも最高の繁栄を見ることがないのです。
エゼキエルは、変化がやってくることを、続けて述べています。「だが、おまえたち、イスラエルの山々よ。おまえたちは枝を出し、わたしの民イスラエルのために実を結ぶ。彼らが帰って来るのが近いからだ。わたしはおまえたちのところに行き、おまえたちのところに向かう。おまえたちは耕され、種が蒔かれる。わたしは、おまえたちの上に人をふやし、イスラエルの全家に人をふやす。町々には人が住みつき、廃墟は建て直される。わたしは、おまえたちの上に人と獣をふやす。彼らはふえ、多くの子を生む。わたしはおまえたちのところに、昔のように人を住まわせる。いや、以前よりも栄えさせる。このとき、おまえたちは、わたしが主であることを知ろう。わたしは、わたしの民イスラエル人に、おまえたちの上を歩かせる。彼らはおまえを所有し、おまえは彼らの相続地となる。おまえはもう二度と彼らに子を失わせてはならない。」(エゼキエル36:8-12)。
たしかに、ユダヤ人は世界100カ国を超える国々から帰還しています。これは奇跡です。しかし、彼らが帰還したのは、マーク・トゥエインが述べたとおり、恐ろしいまでに不毛の地でした。それにもかかわらず、エゼキエルは「実が実り、その地の動物、民を増す。」と言っています。イスラエル回復の始めの口火を切るのは、神の民の帰還でした。
イザヤは言います。「荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。」(イザヤ35:1)。
初期の帰還以来、荒地が回復しています。2,500万本以上の木が植えられ、さらに何百万本もの木が実生しています。石畑が沃地となり、マラリアで満ちていた沼地は乾燥し、植樹され、古代の町々が立て直されています。荒れ果てた都市が、昔のとおり再建されているのです。
今日、不毛の荒れ地は、文字どおりバラの花を咲かせています。ヨルダン渓谷やネゲブの荒地では、農夫たちが1日5百万本もの花を生産し、輸出しています。1998年には、15億本の花を輸出しました。美しいアムステルダムの花市場で売られている花の多くが、イスラエルから輸出されたものです。花に限らず、果物や野菜が荒地で育っています。メロン、きゅうり、トマトといった野菜が、地下塩水で育てられ、1年中イスラエルや他国の食卓を賑わせています。りんごや梨の特別品種が、暑く乾燥した気候で育つように改良されました。今では、これらの改良種が、世界各国で生育しています。イスラエルは同じ畑で、りんごとオレンジが育ちます。こんな話は世界中どこでも聞きません。そして、この小国は、寒冷地のいちごと並んで、熱帯のバナナやパイナップルも提供しています。昨年は、自国の食料のみならず、15万トンの果物や野菜が輸出されました。
淡水や塩水の池では、世界でも類を見ないさまざまな種類の魚が養殖されています。荒地は再び実り豊かな花咲く地になりました。まさに預言者が予告したとおりです。
この地の回復と開拓は、植物を増加させ、気候をも変えました。肥沃なナイルデルタを誇る大国エジプトの、2倍(3,000種)の植物が育っています。460種類もの鳥や、アフリカ猿、シベリヤ狼のような遠国の動物も見ることができます。イスラエルは、長い間姿を消していた、聖書に書かれている動物を、再現するプログラムも企画しています。
今では、人口600万を超える食料輸出国になりました。この国は、教養、健康、教育、高い水準の福祉、ハイテク、ハイテク農業の発展を誇っています。これがみな日本の四国よりもやや大きい程度の国で遂行されているのです。
これは私たちにとって、何を意味するか
新約聖書では、著者が預言を引照して“旧約の預言がいかに成就したか”を言及しています。「聖書によれば」といった言葉が、多く用いられています。イエシュア(イエス)がその故郷ナザレの会堂でイザヤの預言を読んだ時、「今日この成句があなたがたの耳に成就した」と言って結ばれました(ルカ4:21)。「これが預言の成就です」という宣言は強力です。私たちは神がそのみ言葉を成就しておられるのを見ることができます。そして、それは人の心に信仰をもたらします。
このティーチングレターは、水晶玉によって未来を占おうとするものではありません。聖書の預言個所が、どんなにたくさん私たちの生涯に成就してきたかを示すために、「これがそれです」というご説明をしました。この学びをとおして、今日も神が働いておられるのを見ることは、信仰の力づけとなります。
哲学や宗教的義務の領域から出て、イスラエルの生ける神とのダイナミックな歩みへと信仰を移しましょう。神はその民イスラエルのために奇跡を成就しておられるだけではなく、教会のためにもそうしておられます。両者が、メシヤ来臨までの時間が短いことを悟る必要があります。聖書における「神のあがないのメッセージ」を、大きな霊的必要を覚えている傷ついた世界にもたらすため、時を生かして働かねばなりません。
来月のティーチングレターでは、さらにイスラエルに関する預言的聖句を探求するべく、第6から12の鍵をお届けします。
エルサレムからシャローム