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優しさ…人の霊性を計る基準 -後編-

ロン・ロス BFP国際本部 エルサレム・モザイク放送主任

先月号から、“優しさ”について学んでいます。前編では、主に聖書のみことばと、ユダヤ教のラビの視点から、主に、神のいつくしみ(優しさ)のあり方について理解を深めました。

あがないは神の恵みによる

神の愛は、私たちがどれだけ主に尽くしたかによって変わるような、報酬のようなものではありません。神は、ただひたすらいつくしみと恵みによって、私たちに祝福を注いでくださるのです。

ローマによって神殿が破壊された後、ユダヤ人がいかに憂うつと悲しみを感じたかを示す、一つの物語があります。

神殿が崩壊し、人々は非常に動揺しました。いけにえを捧げるための場所がなくなったのです。この状態で、どうしたら罪の赦しが得られるのか。どうしたら神の平安を頂くことができるのか――賢いラビであるヨハナン・ベン・ザカイ師に、弟子たちは泣き叫んで言いました。「ああ、人々の罪を贖うための場所は完全に破壊されてしまいました。どうしたらよいのでしょうか。」ラビは答えました。「わが子よ。悲しんではいけません。もう一つ別の方法があるのです。私たちは、慈しみとあわれみを実行することで、あがないを獲得するのです。なぜなら聖書にも、『わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない』(ホセア6:6)と書かれているからです。」

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と、イエスは弟子たちに教訓をお与えになりました。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(Ⅰヨハネ4:19)。神のあがないは、死に物狂いで努力しなければ、決して与えられないものではありません。何よりも恵みが先行するのです。

イスラエルはなぜ愛されているのでしょうか? それは、神がいつくしみ深い方だからです。ただ、神の愛ゆえに、彼らは神と非常に特別な関係にあります。そうなることも、神ご自身が選択なさったのです。神がその権威によってなされていることに対し、私たちが疑問をはさむ余地はありません。

一方で、神は、愛する者たちがその愛に応えることで、喜びを得たいと望んでおられます。「主はこう仰せられる。『知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。―主の御告げ。―」(エレミヤ9:23-24)。主は慈しみとあわれみ、公義、正義を喜ばれます。このみことばは、神が何を喜ばれるかを私たちが知るための助けになります。

ナオミの帰郷

あなたの行かれる所へ私も
行き、あなたの住まわれる
所に私も住みます。」と
ナオミに懇願するルツ

エリメレクの自己中心がイスラエルに大きな悲しみをもたらした中でも、神のご計画は、イスラエルに愛と恵みと慰めをもたらすために進行していました。挫折のただ中で、神は大きな祝福をもたらすことのできるお方です。

「そこで彼女(ナオミ)はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、『あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。』と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。」(ルツ1:7-9)

ナオミが、二人の娘たちを家へ帰らせたいと願ったのは、異邦人の彼女たちがイスラエルまで付いてくることに、困惑を覚えていたという可能性があります。3人とも喪中にあり、誰かに頼らなければ生きていけない、しかもそのうちの2人は異邦人であるという状態では、イスラエルの人々にあまり快く歓迎してもらえないかもしれなかったのです。

ナオミが涙ながらに語った祝福の言葉は実に聖書的です。「あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わりますように。」彼女のこの祝福の言葉は創世記12章3節前半そのものです。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。」 

嫁たちは両方ともナオミに言いました。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」(ルツ1:10)「彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。」(ルツ1:14)。ユダヤ教では、聖書に出てくる口づけにはいくつかの種類があると説明されています。愛と誓約を意味する口づけ、裏切りの口づけ、あいさつ(こんにちは、さようなら)の口づけ、礼儀的な口づけなどです。オルパは別れの口づけをしましたが、ルツは彼女の義母にすがりつきました。これは誓約を意味しました。

「ナオミは言った。『ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。』 ルツは言った。『あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。』」(ルツ1:15-17)。負うべき責任を逃れたエリメレクと比較して、何という対照的な行動でしょうか。

ナオミ、ルツと別れて行くオルパ

ルツの優しさに学ぶ

ルツとナオミは、過越の祭りの時期にユダに着きました。後にルツは、ボアズの妻となり、オベデという名の息子を産みました。これは「息子は礼拝される」という意味です。後に、この家系から主イエスがお生まれになりました。その方こそ真の、「礼拝される息子」です。

ルツはモアブ人でしたが、ナオミとボアズに深い親切心、愛、あわれみを示しました。このルツの姿勢に、ガラテヤ書5章22節から23節に記されている「御霊の実」の結実を見ることができます。ルツの歩んだ道は、彼女の愛や優しい心を吹き飛ばしてしまいそうな障害がいくつもありました。しかし彼女は、神を畏れる道を選びました。

彼女は謙遜にふるまいました。「ルツは、顔を地につけ、ひれ伏して言った。」(ルツ2:10、新共同訳)。ナオミの義理の娘でありながら、ただ単なる召使いよりももっと低い地位に自分を置きました。畑で落穂を拾い、その収穫でナオミを養いました(ルツ2:18)。ルツの、神を畏れる人格の中には、非常に素晴らしい性質がいくつも見られます。服従(ルツ3:5)、親切心(3:10)、聖さ(3:10)、思慮深さ(3:14)などです。また、自分が植えられた民、イスラエルに対する真実な愛、忠実さ、献身が表れています。(4:15

畑で落穂を拾う

優しさは、愛なる神を知り、またそのお方を礼拝しているすべての人に用意されている、重要な特質です。エリメレクのように、その責任から逃れてしまう人が多くいます。神は私たちが勝利し、成功するために必要なすべてをお与えになります。しかし、エリメレクのような自己愛、自己防衛は、その祝福を奪ってしまうのです。モアブ人・ルツの生涯には、現代のユダヤ人たちが切に必要としている、親切心と愛を表わす模範が示されています。もし、私たちが優しい人になることを選ぶなら、主は私たちの期待をはるかに超える方法で私たちを祝福してくださるのです。

〈終〉

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