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ティーチングレター

モーセとエリヤのつながり

文:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

ユダヤ社会では、最も偉大な預言者はモーセで、2番目がエリヤだとされています。
両者に見られる共通点について学んでまいりましょう。

「変貌」カール・ハインリッヒ・ブロッホ
Public Domain

モーセとエリヤと聞けば、イエスの御姿が変わった変貌山での出来事(マタ17:2〜3)を思い出す人が多いでしょう。二人にはどんな共通点があるのでしょうか。二人とも興味深い方法で神によって取り去られました。エリヤは火の戦車で天に上り、モーセは神以外に誰もいない場所で死にました。両者とも、神の力を示すため奇跡的な方法で神に用いられ、偶像礼拝に手を染めた反抗的な民に対処しなくてはなりませんでした。

トーラー・ポーション(週ごとに定まっているモーセ五書の朗読箇所)とハフタラー(トーラー・ポーションと共に読む預言書と諸書の箇所)では、モーセが偶像礼拝に対処した金の子牛事件と、エリヤがバアルの預言者に立ち向かった話が関連付けられています。

金の子牛事件(出32章)

モーセが神に会うため山に登っていた間に、民衆はアロンに迫って金の子牛の偶像をつくらせました。早くも偶像礼拝に走ったのです! 山から降りてきたモーセは、神によって十戒が刻まれた2枚の石の板を持っていました。最も大切な神の十戒は、皮肉なことに次のことばで始まります。「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。あなたは自分のために偶像を造ってはならない……」(出20:2〜4

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モーセは、神との濃密な霊的会見の場から偶像礼拝の現場に戻ってきました。主は既に事態を把握し、それに対処させるためモーセを下山させました。モーセは怒りに燃えて石板を破壊し、子牛を取って火で焼き、粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの民に飲ませました(出32:19〜20)。さらに、主に忠実な者たちに呼び掛け、反逆者たちを殺すよう命じ、3千人が倒されました。

その後、民に悔い改めを求め、主の元へ行き、事の次第を告白しています。主はモーセに言われました。「わたしの前に罪ある者はだれであれ、わたしの書物から消し去る」(同:33)。これほどまでに主は偶像礼拝を憎んでおられるのです!

34章にはこうあります。「主は言われた。『今ここで、わたしは契約を結ぼう。わたしは、あなたの民がみないるところで、地のどこにおいても、また、どの国においても、かつてなされたことがない奇しいことを行う。あなたがそのただ中にいるこの民はみな、主のわざを見る。わたしがあなたとともに行うことは恐るべきことである。わたしが今日あなたに命じることを守れ。見よ、わたしは、アモリ人、カナン人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を、あなたの前から追い払う。あなたは、あなたが入って行くその地の住民と契約を結ばないように注意せよ。それがあなたのただ中で罠とならないようにするためだ。いや、あなたがたは彼らの祭壇を打ち壊し、彼らの石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒さなければならない。あなたは、ほかの神を拝んではならない。主は、その名がねたみであり、ねたみの神であるから。あなたはその地の住民と契約を結ばないようにせよ。彼らは自分たちの神々と淫行をし、自分たちの神々にいけにえを献げ、あなたを招く。あなたは、そのいけにえを食べるようになる」(出34:10〜15、強調筆者

ここに二つの重要なテーマがあります。一つは、他の契約を結んではならないこと。民は、既にイスラエルの神と契約を結んでいるからです。もう一つは神の命令を守ること。そうすれば神は奇跡を行われ、民は主の御業を見ることになります。

エリヤとのつながり

ユダヤ人社会では、金の子牛事件の物語を読む週に、列王記第一18章も合わせて読みます。この2箇所には相関関係があるためです。

エリヤの時代、民はイスラエルの神との契約を無視し、他の神々を拝んでいました。神はこれを「淫行」という強烈な言葉で呼んでいます。モーセと同様、エリヤも偶像礼拝に対処しなくてはなりませんでした。

エリヤは驚くべき人物です。預言者マラキはこう述べています。「見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす」(マラ4:5)。イエスは、この預言はバプテスマのヨハネが成就したと語りましたが、ユダヤ人は今もエリヤとメシアを待っています。過ぎ越しの祭りの時、食卓にはエリヤの席を設け、エリヤが待っていないかドアの所に行って確認する係も置きます。割礼の儀式(ブリット・ミラ)においても、伝統としてエリヤの席が用意されます。エリヤは「契約(ブリット)の預言者」と考えられているためです。

エリヤの物語

アハブ王の妻、隣国出身のイゼベルは、自らの偶像を持ち込み、バアルとアシェラの祭司を大勢引き連れてきました。イスラエル人の多くは、イゼベルの熱心な勧めに従い偶像を礼拝したため、神は怒りを発せられました。

アハブを叱責するエリヤ
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その結果、3年間の干ばつが発生。この飢饉(ききん)はひどく、人も家畜も苦しんだことが聖書に書かれています。3年後、神はエリヤに「アハブに会いに行け」と命じられ、その後で雨を送ると言われました。アハブから「イスラエルにわざわいをもたらす者」(Ⅰ列王18:17)と呼ばれたエリヤは、臆することなく反論しています。「私はイスラエルにわざわいをもたらしてはいない。あなたとあなたの父の家こそ、そうだ。現に、あなたがたは主の命令を捨て、あなたはバアルの神々に従っている」(Ⅰ列王18:18

それからエリヤは、全イスラエルの目の前で、イスラエルの神の優劣を決するよう450人のバアルの預言者に挑戦しました。アハブが全イスラエルをカルメル山に集めると、預言者エリヤは民に厳しく警告します。「おまえたちは、いつまで、どっちつかずによろめいているのか。もし主が神であれば、主に従い、もしバアルが神であれば、バアルに従え」(Ⅰ列王18:21)。しかし、民は一言も答えませんでした。

異教の預言者たちは一日中、火を送っていけにえを焼き尽くしてくれるよう「神々」に願いました。その日が終わりに差し掛かったころ、エリヤの番が来ます。エリヤはさらにハードルを上げ、いけにえと溝に水を注ぎました。干ばつに見舞われた民にとって、かなり大変なことだったでしょう! その後でエリヤは祈ります。

エリヤの祈りの要素(Ⅰ列王18:36〜37)

初めに、エリヤは神がどのような方かを明らかにしました。ヤハウェ(YHWH)なる神、アブラハム、イサク、ヤコブの父また父祖の神です。このお方は契約の神です。エリヤは族長たちの名を挙げながら、民に契約を思い起こさせました。神聖四文字で表される神の御名は、ほとんどの翻訳で「」という言葉に置き換えられています。

第二に、エリヤは神を「イスラエルの神」と呼び、神が誰を統治しておられるかを明らかにしました。これは領土を示します。イスラエルは神の土地です。エリヤの時代、イスラエルの周辺地域には各民族が礼拝する神々がいました。一方、エリヤは神をイスラエルと結び付け、イゼベルが持ち込んだ神々はイスラエルの神ではないことを強調したのです。

第三に、エリヤは自分が神のしもべであることを強調しました。

第四に、エリヤは「あなたのみことばによって」と、誰の権威の下で行動しているのかを明確にしました。主権を握っておられるのは神であり、神のしもべエリヤは全能の神の指示に従っているという宣言です。

第五は、エリヤの願いです。その要求は単純でした。「私に答えてください。主よ、私に答えてください」

第六に、エリヤは祈りの目的を分かち合いました。「そうすればこの民は、主よ、あなたこそ神であり、あなたが彼らの心を翻してくださったことを知るでしょう」

こうして出エジプト記34章10〜15節のテーマに立ち戻ります。すなわち、「別の契約を結んではならない。神の命令を守れ。神は奇跡を行われ、私たちは主の御業を見る」というものです。モーセと同様、エリヤも別の契約を結ばないことの重要性を強調しました。

出エジプト記の中で神は奇跡を起こすと約束され、エリヤとバアルの祭司たちの対決でも奇跡が起こりました。その目的は、主の御業を見、神がどのような方であるかを知り、神が働いておられることを理解するためです。

その結果でしょうか? 「民はみな、これを見てひれ伏し、『主こそ神です。主こそ神です』」(Ⅰ列王18:39)と告げたのです。

もう一つの類似点があります。バアルの預言者たちはエリヤの命令で殺されます。金の子牛を礼拝していた人々がモーセの命令で殺されたのと同様です。神は偶像礼拝を重く受け止められます。偶像礼拝の問題が取り扱われて初めて、恵みの雨が再び地に降り注ぎました。

今日も、神はご自分だけに注意を向けてもらいたいと願っておられます。オックスフォード辞典によると、偶像礼拝とは何らかの物や人に対する過度な称賛や愛、畏敬の念のことです。最近、ある説教者がメッセージの中で「スマホが偶像になっていないか」と問い掛けたところ、会衆は列をなして進み出て、講壇にスマホを置きました。私自身はスマホをあがめませんが、コンピューターに多くの時間を使っていることは認めます。

もし神よりも、誰かあるいは何かを優先し罪悪感を抱いているなら、それは偶像かもしれません。神は私たちに、契約と神のことばを思い起こさせ、神と共に充実した時を過ごし、神を第一とするよう呼び掛けておられます。

神の御業を見たいと望むなら、神が求めておられるものに目を向けましょう。神は私たちに「主こそ神です。主こそ神です」(Ⅰ列王18:39)と告白してほしいのです。主の願いは、国々の民が神を信じる者の人生でなされる奇跡を目撃し、ご自分が神であることを知ることです。

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