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神の最善だけを求める -後編-

文:ネイサン・ウィリアムズ(BFP国際管理副部長)

技術が進歩し、快適な生活を手に入れた現代の私たちは、忍耐という美徳を手放しつつあります。
しかし、「約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(ヘブル10:36)。
忍耐の先に、主の最善が待っています。

Photo by freepik

家畜の大群を飼っていたルベン族とガド族は、ヨルダン川東岸の地域こそ最良の牧草地だと考えていました。彼らがこの地を選択した背景には、自分たちにとって最も都合の良いものを手に入れたいという欲望があったのかもしれません。ここで両部族は、神が与えようとしていなかったものを求めました。

では、ヨルダン川の西には適切な放牧地がなかったのでしょうか。ウェストミンスター神学校のイエイン・ダギッド博士は次のように述べています。「ルベン族とガド族は、神の約束ではなく、自分の所有物のために落ち着く場所を決めたいという誘惑に駆られました。その要求はつまるところ経済的な理由であって、神学的な理由ではありません。実際、彼らが定住したいと願った地は、神が彼らに住むように命じた場所ではなく、自分たちの生活スタイルにより適した場所でした」

さらに、ある学者たちは、この二つの部族が自由な選択をしたために代価を払うことになったと主張しています。彼らがヨルダン川東岸に定住するなら略奪隊の攻撃に無防備になってしまいます。第二列王記15章29節を見ると、ルベン族とガド族に属するギルアデの地が、アッシリアの王ティグラテ・ピレセルに征服され、民がアッシリアに捕囚されてしまったことが分かります。ヨルダン川東岸に定住することに関して、ルベン族とガド族がモーセに示した取引は、一見良いものに見えましたが、その結末は悲しいものだったのです。彼らが自らの選択によって刈り取ったものは、神が与えようとしておられた祝福ではなく、苦痛と捕囚だけでした。

神のご性質の啓示

モーセに率いられ、反逆した世代にも、
主は祝福を注がれました

かつて奴隷の身分であった古い世代。彼らはうなじがこわい民であり、事あるごとに神を試みました。そのため主は、ご自身の忍耐と恵みを力強く表されました。主のご性質は、反逆する世代の民に対しても従順な世代の民に対しても変わりません。主は頑なな者を訓練されますが、ご自身の契約を破棄したり、あふれるばかりの祝福を注ぐのをやめたりはなさいません。事実、主は民の忍耐と信仰を試され、民が何度失敗しようとも、昼は雲の柱、夜は火の柱となって導き、常に臨在をもってご自分の誠実さを示されました。主は決して、ご自分の民を忘れたり見捨てたりすることはないのです。

民数記の物語は、神が反逆や不満や不信仰を容認しないことを明確に示しています。同時に、主は怒るのに遅く、あわれみに富み、従順に歩む者たちに誠実を尽くされます。荒野での経験を通して、神はご自分の民にどのようにご自身と共に歩むかを教えておられたのです。神は民の肉体的必要を満たされただけでなく、神を礼拝すること、互いに仕え合い、近隣の国々への証しとなる生き方をすることを教えられました。神は彼らの神であり、彼らは神の民でした。ですから神は、神の民にふさわしく行動することを要求されたのです。

今日の教訓

ウィキペディアは忍耐について、次のように説明しています。「困難な状況下で、遅れを耐え忍び、いら立ったり憤ったりせず、怒りを抑え、長期間にわたる困難に直面して緊張状態の中にあっても辛抱すること」

最近、親しい友人が「神を待ち望むことに疲れてきた」と言ってきました。友人は、ある決断を下さなくてはならず、主が打ち破りと導きを与えてくださると信じていました。しかし、望んでいた期限までに主からの答えがなかったため、間もなく忍耐できなくなり、自分に都合の良さそうな道を選択してしまいました。私はその時、神の完全な御心ではないものを選択したルベン族とガド族の物語について考えずにはいられませんでした。彼らの選択に対する責任と忍耐を思い巡らし、その結果起こった長期的な影響についても考えました。私たち信者も、神の最善ではなく、それなりの良いものなら選択してもいいという誘惑によくさらされます。多くの場合、それは忍耐力の問題です。

一般的に、霊的、経済的、政治的領域にいる指導者たちは、成功に欠かせない性質は忍耐だと信じています。簡単に言えば忍耐とは、物事には時間が掛かることを認め、忍耐を要する過程にはフラストレーションが付きものだと受け入れる能力なのです。デジタル時代が到来し、スマホが登場して以来、忍耐を実践することはますます難しくなっているようです。

喜びがすぐに得られる時代の忍耐

アメリカでは、ミレニアル世代(1982年〜2004年の間に生まれた世代)が、全労働人口の中で最大の割合を占めるようになって2年以上がたちました。この世代は権利ばかりを要求し、満足することが少なく、転職ばかりすると言われています。最初の二つは一般化し過ぎていますが、三つ目は事実です。ギャラップの世論調査によると、昨年転職をしたミレニアル世代は21%に上ります。これは、それ以外の世代のほぼ3倍の数字です。転職理由はさまざまですが、気になる傾向があります。それは、仕事がうまく行かないと、もっと良さそうな仕事を求めて辞めてしまう点です。以前は、職場で挫折を経験することは普通だと考えられていました。しかしミレニアル世代は、そんなことは克服できないと考えるのです。さらに、戦うか、あるいは逃げるかという決断を迫られると、大半の人が逃げてしまいます。

ソーシャルメディアとスマート機器は、絶え間ない交流とデジタル娯楽によって人間の脳を配線し直しています。最近のオンライン調査によると、平均的なアメリカ人が1日にソーシャルメディアを使う時間は2時間半以上。1日にスマホをタップする回数は2617回で、集中力の持続時間は8秒にまで低下しました。脳は変化する器官で、成人しても成長し続けます。つまり現代の私たちは、短時間に一気に集中し、次々と目的を変更していく訓練をさせられているのです。そのため、一つの目的を選び、粘り強く、忍耐をもって追求していくことが全くできない人が増えています。

絶え間ない交流は、現代人の集中力を低下させています
Photo by Gerd Altmann/Pixabay

さらに、私たちの社会では即席の成功話という神話が朽ちていません。ユーチューブとインスタグラムには、一夜にして成功を手に入れたという若者の話があふれています。Uber(ウーバー)という会社は、たった数年で爆発的な人気を博し、10億ドル以上の財産を保有しています。目的を達成するためには長年にわたる努力や忍耐が必要だという話は、マスコミからほとんど聞こえてきません。私たちは一夜にして物事が起こることを期待するようになりました。それは偽の現実にもかかわらず、それを達成できないのは自分に能力が無いからだと考えています。こうして、さらに粘り強さは損なわれ、自分の進歩の遅さに焦るようになるのです。忍耐という由緒ある美徳は、歴史の中に消え始めています。

見栄えの良いところに落ち着く

私たちの世代は多くの課題に直面しています。中でも最大の課題は、たとえ神のみことばに従わなくても本気になれば何でも達成でき、完全に満足した生活を送ることができると信じる、この社会です。一夜にして成功者になることは、とても魅力的でしょう。私は自分の友人も含め、この世代が気掛かりです。神の約束が自分の人生やこの世界に成就するまで、生きた信仰を保つ忍耐力が私たちにあるでしょうか。それとも、約束の地ではなく、この世が与える見栄えの良いところに落ち着いてしまうでしょうか。おそらくこれがルベン族とガド族の最も大きな罪だったと思います。彼らが得たのは、神の完全な御心から外れた幸せでした。家畜のために選択をして得た、肉体的な喜びという幸せです。

ルベン族とガド族の物語は罪を明らかにしています。しかし同時に励ましも与えています。この物語は、神の民への訓練と祝福を通して、神の揺るぎない愛を証ししているのです。たとえ神の完全な御心から外れて選択したとしても、神は引き続き私たちの忠実度に報いてくださいます。たとえ自分が下した選択の結果を刈り取らなくてはならなくても、主は決して私たちを離れず、私たちを見捨てません。あなたは神の最善を求め続ける代わりに、見栄えの良い選択をしてきていませんか。もしそうなら、より良いものを与えたいと願っておられる神に、あなたの心を向ける最善の時が今、来たかもしれません。

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